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テトラクロノス  作者: 火とかげ
第1章 わたしがたとえ、目覚めなくても

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迷宮攻略読本

 禁学の塔の地下は大きく四層に分けられていて、

 主塔の一階にある入り口から降りてすぐの階層は、一般的な図書館として使用されている。

 学術書だけでなく大陸全土の多様な書を集めた、知の殿堂と呼ぶにふさわしい図書館である。


 図書館階層の一つ下の階層は、禁書閲覧区画。

 ここの目玉は歴代に達成された王命終理の写本だ。

 その他にも、読了した者の多くが精神の均衡を崩すとされる奇書や稀覯本の類が秘蔵されている。


 図書館階層へは、塔の住人であれば基本的に自由に出入りできる。

 だがその下層にある禁書閲覧区画への立ち入りには、塔主シェラン・ナージュの許可が必要となる。


 そして禁書閲覧区画の下の階層こそが、リウレンとゼルの目的となる地下迷宮である。

 ここには、禁学の塔が創設以来、現代に至るまでに収集してきた、神話の時代の力を今なお宿す神秘的な遺物が納められている。


「リウレン先生は、五階の終理のほかにも、遺物の研究もしてらっしゃるんですよね」


 セレナは先刻受けた講義の冒頭を思い出す。

 するとリウレンが少し前のめりに答える。


「そうだよ。

 終理の果てしない証明工程を思い描くと気が変になりそうだからね。

 息抜きとしては最高の研究対象になるよ。

 それに面白いと思わない?

 あの法外な力がどうやってガラクタみたいな遺物に宿ることになったのか。

 それは誰かが最初から意図した結果なのか、それとも予想外の悲劇の終着点として不思議な力がそこに閉じ込められることになったのか。

 想像するだけで胸が高鳴らない?

 それにさ……」


 リウレンは自分に言い聞かせるように、声の調子を落とす。


「僕らは塔の外に出られないから、実際に見ることができる対象というのは貴重だと思うんだ」


 塔の教師たちも、かつては生徒だった。

 それはつまりは教師たちも、かつてここを出た老師に救われた過去か、それに類する凄惨な生い立ちを持つということだ。

 外の世界に、彼らの居場所はない。


 彼の言葉に目を伏せたセレナを見て、リウレンは明るく続ける。


「でも、外で見られる景色なんかより何倍もここの遺物の方が貴重だよ。

 塔以外だと、王宮とか魔法院とか、どちらも簡単に立ち寄れる場所じゃないからね」


 アノジェアの聖遺物を保管するのは、禁学の塔だけではない。

 緋銀の王アゼル・リュゼインが統治する王宮。

 不可能証明を審査する「レフネイアの森」の傍らリュゼリア高等魔法院。

 それらの地下に、また別の理念と用途に応じたかたちで隠されている。


 とはいえ、それは塔を含めた三組織の対立を示すものではない。

 むしろ、アノジェアが侵略を受けた際、これらの遺物が一度にすべて敵国の手に渡ることを防ぐ──

 危機管理上の分散措置として、そうした役割が与えられているのだ。


 もっとも――アノジェアが王都のみならずこの秘匿された禁学の塔まで外敵の手に脅かされるという未来は、今のところ考えにくいものだが。


「僕が……終理の完成に一役買って、ここを出ることが許されたら、王宮や魔法院の遺物も見てみたいなって思うよ。

 ミリュゼーンの謎を追う旅に出てもいい」


「お前ひとりじゃ、迷宮を踏破できないだろうが。

 どこの山奥に眠ってるとも知れん秘境を目指すなら、なおさらだ。

 俺も護衛として付いていくぞ」


「わ、わたしはじゃあ……イルナフ先生が猫ちゃんたちに悪さしないよう見張りとして付いていきます!」


「そんな見張りいらねえよ。

 正当防衛だって言ってるだろうが」


「君らが終理の達成に関わるようになるのは、ずいぶん長く待つ必要がありそうだねえ……」


「違いない」


 ゼルがそう締めくくると三人は笑った。

 その未来が実現することはおそらくないと全員が分かっていたが、それでも彼らの胸中は少し弾んだ。


 笑顔の余韻が収まるのを見計らって、ゼルがリウレンに尋ねた。


「リウ、書類の方はもう万端なのか?」


「もちろん」


 リウレンは、鞄から何かを取り出す。


「塔主殿の許可証もこの通りさ」


 迷宮階層への入出には、禁書閲覧区画同様にシェラン・ナージュの許可が求められる。

 それに加え、どの遺物を何のために閲覧するのかを事前に書類として提出しなければならない。


 提出物が認められて初めて遺物迷宮に足を踏み入れることができる。

 しかしこの階層はその他の地下階層とはかけ離れたしろものである。


 誰かが最初の扉をくぐるたびに、迷宮は都度その構造を変えるのだ。

 過去にここを訪れた者が残した地図は、もはや役に立たない。

 探索者は己の足と知力だけを頼りに、未知の構造に挑むほかない。

 しかもこの迷宮には、地上では目にすることのない、異界の影法師たち……

 まるで神話の残党のような怪物たちが闊歩している。


 たとえば、音叉の騎士「オルエイス」。

 武器を振るうたびに空間が震え、迷宮の構造が変容する。


 あるいは、六枚羽根の鳥「キルナエリ」。

 人の声を模倣し、聴くものの心に孤独と郷愁を吹き込む。


 左右で羽の色を違える蝶「インレクト」。

 片羽は浅瀬の水、もう一方は褪せた夕焼け。

 触れずして導き、触れれば遺物を遠ざける。

 いずれ斬られることを、蝶自身は知っている。


 地に咲く棘の中心で眠る赤子「ジョシュア」。

 根元に近づけば、抗えぬ夢に落ち、ひと柱の暴竜に喰われるとも、語りかけられるともいう。


 そうした者たちを己の手で切り伏せ迷宮を踏破したものにのみ、遺物の謁見という栄誉が与えられるのである。


 これは想定外の侵略者にやすやすと遺物を渡すまいという防衛機構でもあり、塔内の人間にとってもその遺物を手に取る資格があるのかという審査としても機能していた。


 しかしながら――ここは禁学の塔。

 各人は知識と論理の剣を磨きこそすれ、武術の心得を持つ者は塔内でもごくわずかだ。

 そのことは塔の運営側も理解していて、代理人による迷宮探索が認められているというわけである。

 リウレンがゼルに目を付けたのはこの制度を利用するためだったのは言うまでもない。


 また、徒手空拳で空想の怪物たちに挑むことにはならない。

 地下迷宮への挑戦者には、地下管理部よりある特別な剣が手渡される。

 それは、アノジェア王国の前期王朝時代、ザレイア環域に飛来した隕鉄の隕石から造られたという。

 名は、ミルグリーフ。


 柄頭には金色の眼が一つ。

 鞘を離れれば、刃文には今は読み解けぬ神代の言葉で綴られたある回文が浮かぶ。

 それは、霊獣を沈黙させ、迷宮の壁に影を返す、ただ一つの銀の解。


 塔の者たちはこう呼ぶ。


「この世界で最初に観測された流星の記憶。

 その光跡をなぞる剣」と。


 それは一振りすれば、宙に解けた鈴の音が周囲の空気を揺らす奇妙な剣である。

 しかしその響きはおとぎ話の生き物たちの神話の記憶を刺激し、その行動を鈍らせるのだという。

 そしてこの剣に切りふせられた獲物は、黒い霧となって迷宮の壁に吸い込まれていくのである。


 そもそもこの怪物たちは何者なのか、流星の剣で霧消しても一定期間ののちまた現れるのはなぜなのか。

 そうした疑問が学者たちの議論の俎上にあげられた時代もあった。

 しかし今では、それについては一定の結論に達し、議論はすでに終息している。


 すなわち、これら異形は塔の創設者があとから解き放ったのではなく、魔物の棲む迷宮を封印する形で塔が建てられた――

 それが学者たちの現在における一致した見解だった。


 ともあれ、ミルグリーフの力を正しく振るうことができれば、それほど大きな危険はない。

 塔の地下管理部には、幾重にも設けられた鏡面と導光管によって迷宮各所の光を集め、それらを一点に結ぶことで映像的に状況を把握する「遠見の部屋」が設けられている。

 地下の様子は、塔上層に控える剣と知と心を兼ね備えた者たちへと逐次伝えられ、万が一の際には、迅速な対応が取られる仕組みとなっている。


 そういうこともあり、学術でなく武をもって塔の運営に貢献する道を志す生徒にとって、迷宮探索の代理業は「ルイルカ拾い」の有力な手段となっていた。


 己の力か腕に覚えのあるものに頼むか。

 いずれにせよ、遺物の謁見に成功したものは、それを地下から一定期間持ち出す権利を得る。

 それを手元に置き、間近でつぶさに観察することができれば、学者たちの研究に大いなる示唆をもたらすはずである。


 また、迷宮探索者の体験談を、文筆に秀でた生徒がまとめ上げ、「迷宮攻略読本」として購買に並べる――そんな形のルイルカ拾いも存在する。

 これが意外に読み物としても面白く、購買部では常に人気の品となっている。


「それなら、いよいよ今夜決行とするか」


 ゼルは緊張感もなく宣言する。


「ほんとうかい?!」


 対照的に、リウレンの声はいつになく興奮の色を帯びた。


「じゃあ、これとこれとこれも、ささやかな餞別として贈るよ」


 リウレンがまた鞄から次々と取り出し、ゼルの目の前に並べたのは、厚みも表紙もまちまちな三冊の小冊子だった。


「攻略読本か……」


 ゼルは眉根を寄せ首を傾げた。


「なんだい、いらないのかい?」


 リウレンは不服そうだ。


「そういうわけじゃないんだが……せっかくの冒険の興趣が削がれる気がするな。

 俺は初見の興奮と感動を味わいたいんだよ。

 無事お前のところに例のやつを持参して帰還した暁に、答え合わせとして読んでみるとするかな」


「……じゃあ、わたしがそれまで預かっておきますね」


 セレナが素早く手を伸ばし冊子を回収した。


「お前なあ……」


 ゼルが飽きれた様子でセレナを睨みつける。


「わたし、これ好きなんですよね」


 ゼルの威圧を少しも気にかけず、セレナが笑顔を見せる。


 そのとき、耳の奥に染みわたるような少し高くて柔らかな音色を、食堂にいる誰もが聴いた。

 食堂だけではない。

 主塔にこのとき滞在していたすべての人間がおそらく耳にしたことだろう。

 それは決して不快なものではない。

 塔の住人ならだれもが聞き慣れた、馴染みの深い塔の律動音だった。

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