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テトラクロノス  作者: 火とかげ
第1章 わたしがたとえ、目覚めなくても

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神さまの背中

「ねえ、セレナも覚えているよね?」

「あのあとも大変でしたよね」


セレナは遠回しな言い方でリウレンの言葉を肯定した。

ゼルが塔で最初に起こした騒動には、あえて触れない。


「シェランさんがイルナフ先生を五階に案内しようとしたら、子どもたちが、みんなぞろぞろとついていって……」


 その光景を思い出したのか、セレナの頬に微笑が浮かぶ。


「行列が五階の回廊に近づいたぐらいだったと思うんですけど、いつもは物音ひとつ立てないオルヴァス先生が」


 その名にリウレンも微笑む。今日はやけに話題にのぼる名前だ。


「図書室から出てきて、青筋を立てながら言ったんです。

 『私が今から三つ数えるうちに、ここを去りなさい』って。

 もう、声も顔もそれはすごい迫力だったんですから!」


 ゼルは面白くもなさそうに片ひじをテーブルについた。


「初日から目を付けられちゃかなわんだろ。

 だから、俺はすかさず言ったのさ。

 『はい、みっつ!解散解散!』」


「そうそう、それです!

 子どもたち、笑いながらもあっという間に散っていって。

 オルヴァス先生も苦虫を噛み潰した顔のまま、無言で戻っていかれましたけど……

 怒ってたのか、呆れてたのか……どっちだったんでしょうね」


 ゼルは肩をすくめる。


「怒ってるふりをしてただけかもしれないけどな。

 ここの大人が腹の底で何考えてるかなんて分からんさ。

 ……って、お前も後をついてきたガキどもの一人だったのかよ」


「ふふふ、ばれちゃいましたか。

 後ろからみてましたよ」


「腹の底が分からないと言えば、君もそうだろう」


 リウレンがそこで口をはさんだ。


「ゼル、君はあの賭けに、勝つつもりなんてなかったんじゃないかな」


 ゼルは椅子の背にもたれたまま、やや目を細める。


「君は、なぜかはわからないけど……最初から自分が負けることを知っていた。

 僕には、そう見えたよ」


「ほう。

 どうしてそう思ったんだ、リウ」


 ゼルがにやりと笑って返す。


「不自然だったからね。

 あのイニシャルの話とかさ。

 恩人がどうとか、あんなの持ち出す必要なかったでしょ。

 もしあの面が出なかったら、まるでその人に見放されたみたいに映るし、実際そうなった。

 それに、負けたら出ていくなんて、自分で言って自分を追い込んでたよね。

 あれは……君が哀れな敗者として印象に残るための演出だったんじゃないかって」


 ゼルはくくっと笑った。


「さすがだよ、リウ。

 よく見えている。

 だが、そんなにたいしたものじゃない。

 どこかにそういう打算めいたものもあったかもしれないが、それは物事の枝葉にすぎない。

 俺は――何かを深く考えて動くようなタチじゃない。

 その場その場で、ただしくじらないように身構えてるだけなんだ。

 ……昔から、ずっとな」


 その言葉に嘘はなかったが、真実のすべてを語っているわけでもないことを、リウレンもセレナも感じていた。


「どうあがいたにせよ」


 ゼルはそこで言葉を切り、低く言った。


「運命は、俺たちを裏切る」


 短い沈黙が落ちる。

 どこか遠くの風が、塔の外壁をさらりと撫でたような気配に、セレナは両手を胸の前で合わせた。


「だから俺は、いつだって一歩引いて見てる。

 自分が信じたものに足元を掬われないように」


 ゼルの声は、過去の傷を隠すようでいて、どこか懐かしむようでもあった。


「それとな、リウ……俺が『賭け』と言い出すとき、たいがい相手はそこにはいないのさ。

 あのときも、俺はお前たちに呼びかけながら、別のものに向かって叫んでいた」


 ゼルの言葉の向かう先が見極められず、リウレンはいぶかしげに眉を寄せた。

 彼のハシバミ色の瞳に、ゼルの不思議な物言いの中に答えを探ろうとする光が灯る。


「これは、そう――例えばのはなしだがな。

 お前は『神の存在』を信じるか、リウ?」


 リウレンは虚を突かれながらも即答する。


「イセイナやミルゥのこと?

 それとも、レジグナやリサネルのように、最初の光以後に記録された神格たちも含めた上での……

 寓話の真実性、という話かな?」


「話が早いな。

 そうだよ――俺が言いたいのは、その寓話の真実性についてだ。


 神話なんてのは所詮真実の影にすぎない。

 本体がどうだったのかなんて、誰にも確かめようがないんだ。

 それでも人は、その影のかたちを見て、本体のありようを勝手に想像して、信じたり祈ったりする。


 でもな、リウ。

 語り継がれるうちに、その影は少しずつ歪む。

 語る者の願いに引っ張られ、時代の理屈で削られ、別のものに塗り替えられていく。

 気づけば、元の光――何を投げかけてできた影だったのかすら分からなくなってる。


 今の神話なんてのは、そうやって形を変え続けて、擦り切れて、ほとんど見えなくなった影の残像みたいなもんだ。

 ……俺は、そんなものは信じない」


 淡々とした声。


「だから俺は、そんな薄れかけた影じゃなく――

 その影を生み出した、もっと途方もなく大きな『本体』のほうを信じる。


 それは、俺たちみたいなちっぽけな存在がどれだけ目を凝らしても、全貌をとらえることはできない。

 気が遠くなるほど巨大で、得体の知れない、どこまでも黙して語らない何か。


それが、俺にとっての神だ。


もしかしたら――

学者が血まなこで追っている万物の理論ってやつが、それなのかもしれない。

 そう思うこともあった。

 だが……」


 ふと視線を宙に向けると、ゼルは呟いた。


「あの日――俺がここに来た日、外は雲ひとつない、どこまでも澄んだ青空だった」


 その空を見上げた記憶が、ゼルの目の奥に焼きついているのだろう。

 ゼルの様子から普段纏いつけている道化の気配が剥がれ落ち、不気味なまでに整った造形が浮かびあがるのを、セレナの蒼い瞳が捉える。


「神というものがいるのなら、俺にはあれこそがその正体だと映った。

 そこには神話の曖昧さも余白もない。

 ただ圧倒的な実在性で俺たちの頭上にかぶさり……

 そして、それはいつだって――俺たちに背を向けている。」


 セレナがわずかに息を呑む。

 だがゼルの語りは止まらない。


「神はいない、どころか……いつだって俺たちのすぐそばにいる。

 ただし、気づかれないように、『いないふり』をしてな。

 そして俺たちに背を向け、決してこちらを見ない」


 その声はもはや誰かに語りかけているのではない。


「だから俺が何かに己の運命を賭けるときは、いつだってこうだ。

 一枚のコインを、その神の背中に向けて、投げつける。

 そして、こう心の裏側で叫ぶんだ」


 ゼルはゆっくりと、あの日シェラン・ナージュが宙に向かってコインを弾いた仕草を模倣する。

 そしてその目を虚空に向けたまま囁いた。


「――こっちを向け。お前は、誰だ?ってな」


 リウレンとセレナの目には、回転しながら落ちるコインの幻がありありと映し出される。

 ゼルの目に魔法の痕跡の輝きはない。

 それがただの錯覚だと分かっていたが、それでも二人は息をひそめた。

 ゼルは、宙に投げたはずの何かを受け止めるかのように左手の甲を差し出す。

 その上に右手を重ねると、まるで本当に何かを隠しているように見えた。


「あのときも、そいつは俺の挑発には乗らなかった。

 だから、俺は負けた。

 その意味では、リウ――お前の言うことは正しい」

 

 ここでゼルは張り詰めた空気を解くように笑顔を見せた。


「俺は、神がこちらを振り返りはしないことを、確信していたからな」


 そして、ゼルは右手を開く。

 左手の甲には、塔内でのみ使用可能な貨幣であるエルイル片――

 中央に涙の雫を受け取る双の手のひらの意匠が刻まれた円形の貨幣――が乗せられていた。

 リウレンとセレナは驚いて口を開ける。


 ゼルは二人の顔を見て満足そうだ。


「こうやって益体もないことを白々しく語りながら種を仕込んで――

 ……観衆の気が逸れた頃合いを見計らったある一瞬に、死角の影から、見せかけの奇術の花を咲かせる。

 これが、ペテン師の手口ってやつさ。

 いいか、覚えておけよ。

 二人ともな!」


「……君って奴はすごいよ。

 畑仕事を終えたばかりなのに、まるで神学論文を口ずさむ勢いでしゃべり倒して。

 そのうえ手品まで披露するんだからね」


「はっ。

 さっき猫に引っかかれたときに笑われた仕返しだ」


 ゼルは言うなり、エルイル片を右から左へ、左から右へと、軽やかに投げ移した。

 金属片は灯りを受けて瞬き、星のように宙をかすめる。


 まるで目に見えぬ糸で操るかのように何度か繰り返してから、

 ゼルは、開いた右手と閉じた左手を、それぞれ軽く振ってみせた。


 おそらく今、エルイル片は閉じた左手の中にあるのだろう。


 最後に彼はふたつの手のひらを合わせ、リウレンとセレナの前へと差し出す。


 息を詰めて見守るふたりに向けて、ゼルは得意げに口角を上げると、劇的な間を置き――

 ゆっくりと、手を開いた。


 そこには、何もなかった。


「……えーっ、ほんとに見えませんでした!

 ルイルカどこに行っちゃったんですか!?」


 生徒たちはエルイル片を「ルイルカ」と呼ぶ。

 語源や使われ始めた時期は定かではないが、おそらくちょっとした言葉遊びが定着したものだろう。

 塔の雑務を手伝い、報酬としてエルイル片を得る行為を、特に「ルイルカ拾い」とも言う。

 さきほど注文を聞きに来たフィノリアも、いわばルイルカ拾いの最中というわけだ。


「いいか、こういうのは見破ってやるぞと眉を吊りあげた瞬間に負けなんだ。

 次は逆に『騙されてやるからどんとこい』くらいの余裕で見てな」


 言いながら、ゼルは大きなあくびを漏らした。

 冗談なのか本気なのかよく分からない調子だったが、セレナはふむふむと聞いている。

 そしてふと思い出したように尋ねた。


「そういえばここに来る前、地下がどうとかお二人で話し込んでいましたけど──何かあったんですか?」


 ゼルとリウレンは顔を見合わせた。

 ゼルがリウレンにいいのか?と目くばせをすると、リウレンは構わないさとでも言うかのように軽く頷いた。


「まあ、持ちつ持たれつってやつだ」


 ゼルが首の後ろを搔きながら言う。


「俺の研究は今、数百ページに渡る数式処理で詰まっていてな。

 こいつにちょっと助けてもらいたい。

 逆にこいつは、地下迷宮から持ち出したい遺物があるらしいんだが――

 ご覧のとおり、肉体労働には壊滅的に向いていないからな」


 リウレンはおどけた仕草で両手を広げた。


「だからまあ、俺が代わって一肌脱いでやるって話さ」


「……イルナフ先生、なんだか損してるように見えちゃいますけど……」


「だよな!

 だが、そうも言ってられない事情がある。

 やむを得ずこの陰気な悪魔に屈したってわけだ」


「極めて公平な等価交換じゃないか」


リウレンは涼しい顔でうそぶいた。


「あの迷宮は君みたいな異端の肉体派にはぴったりでしょ?」


「それは……まあ、否定できん。

 だが、言われると腹が立つのはなぜだろうな」


 ゼルはしかめ面でしぶしぶ認めた。

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