表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テトラクロノス  作者: 火とかげ
第1章 わたしがたとえ、目覚めなくても

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/16

夜明けの背理

 だがその刹那、意識の底で、ひとつの幻視が起こる。

 それが単なる夢ではなく、重大な真実の断片であることを、リウレンは直感的に理解した。


 長い旅の果てに、すべてを語り終えたミラリスは、今はただ安らかな寝息をたてて眠っている。

 その掌にあったはずのコインが、ゆっくりと指のあいだから滑り落ちる。

 ミラリスの身体をすり抜けながら、くすんでゆく。


 夢の時間が壊れ始める。

 すぐそばまで来た覚醒に抗うように、リウレンはその意味を読み解こうとする。

 思考が限界を超え、脳が軋むような圧にさらされる。


 夢の扉を開くために使われた奇跡の鍵。

 あらゆる可能性を使い果たし、輝きをなくした銀のコイン。

 ミラリスとともに力を失ったそれは、もはやどんな色も光も持つことはない。

 ここは夢の世界。現実とは異なる摂理が支配する。

 未来を失ったものが、概念として落ちていく先は――過去。


 だから、それは。


 灰色のコイン。


 その瞬間、夢の深い底で、落ちてくるコインを見上げる子どもと視線が交わる。

 その顔を、彼は確かに見たことがあると思った。

 塔の入場証でもある灰色のコインとの噛み合いに、推論の歯車が回り始めようとする。


 だがリウレンの意識は焼き切れるように闇へ沈み、符丁を持ち帰ることはできない。


   *   *   *


 同刻、ティレムナ観月測潮府の元首執務室――


 夢見の水盤を見つめていたテネカ・ディレカーフが、手にしていた手帳を落とす。


「見つけ、ました」


 その言葉を聞く者はいない。

 その頬が高揚を兆して朱を帯びるのを、見る者もいない。


 ゼルを誤解させ、誘導した。

 だがテネカは知っていた。

 過去改変がたやすく行われるものではないことを。


 力を持たぬはずの灰色のコインからすべてを築きあげた者がいる。

 禁学の塔、不可能証明の仕組み。

 無から有を生みだした摂理の改竄者。

 過去改変よりも重大な歪みをもたらした根源。


 手帳を拾いあげ最後のページに、テネカは描く。


 硬質な線で写し出されるのは、水底で揺れる子どもの顔。


「……灰の王」


   *   *   *


 やがて、どこから入り込んだのかわからない猫の鳴き声で、セレナは目を覚ました。

 まだ夢の中にいるような、ぼんやりとしたまどろみの中で、目尻に残る涙を拭う。

 何の夢を見ていたのかは、もう思い出せない。

 ただ、誰かがずっと泣いていた気がする。

 泣いていたのは自分だったのかもしれない。

 それも、もうわからなかった。


 気づけば、白いシーツの端で、銀色の毛並みの子猫が小さく丸くなっている。


「おはよう」


 セレナはその子を両手で抱き上げた。

 そして、名をつけるように、あるいは何かを思い出すように囁く。


「……ミラリス」


 そう呼んであげるのが、とてもふさわしく、そして大切なことのように思えたから。


 このとき、それを知覚するものは誰一人いなかったが――

 けれど、ゼルの決断で進んだテトラクロノスの四本目の針が、それと分からぬほど小さく戻った。

 子猫を抱くセレナの腕の中で、銀の毛並みに星座のような模様が浮かびあがり、すぐに消えた。


 それは、ある秘密の試験にセレナが合格した合図だった。


 同じ朝、リウレンもまた長い夢から目を覚ます。

 だが彼の目に映る天井は、見慣れた私室のものではない。

 石造りの天井。

 錆びた鉄格子の影。

 ヴァルゼル・トゥアに見出される以前、彼が収監されていた部屋を思わせる場所。


 ゼルの逃亡を手引きしたという疑いのもと、リウレンは今、塔の獄室に囚われていた。


 夢の名残は、指のあいだからこぼれ落ちる水のように薄れていく。

 銀の髪の少女。

 見えない猫。

 灰色のコイン。

 黒い球体の秘密。

 どれも思い出そうとするほど輪郭を失っていく。


 それでも胸の奥には、ひとつだけ、消えきらない感覚が残っていた。

 失われたと思いこむには、まだ早いのかもしれない。

 そんな、証明にも推論にもならない頼りない予感だけが。


 リウレンは冷たい床に手をつき、ゆっくりと身を起こした。

 現実は何ひとつ変わっていない。

 ゼルは姿を消し、塔の上層ではおそらく騒ぎが広がっている。

 自分の立場も、きわめて危うい。


 だが、それでも。


 ずっと忘れていた暗い部屋の中で、誰かが確かに言ったのだ。


 あきらめないで、と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ