第3話 言わなくてもいいこと
昼の波が引いたあとの店内は、少しだけ空気が変わる。
騒がしさが抜け、代わりに、疲れが残る時間だ。
カウンターには二人。
どちらも常連で、互いに顔は知っているが、会話はしない。
それで問題はない。
片方の男が、器を少しずらした。
麺はもう残っていないが、スープはまだ半分ほどある。
替え玉か、迷っている。
その迷いが、手の動きに出ている。
俺は何も言わず、鍋に火を入れた。
湯が温まりきる前に、男は器を元の位置に戻す。
「……今日は、やめとく」
「そうですか」
それで終わりだ。
理由を聞くことも、勧めることもない。
この店には、言わなくていいことがいくつかある。
なぜ来たのか。
なぜ今日は静かなのか。
なぜ、替え玉をやめたのか。
そういうものは、聞かない。
もう一人の客が、食べ終えて立ち上がった。
会計を済ませ、暖簾の前で少しだけ立ち止まる。
「……ここは、楽だな」
独り言のように言って、外に出ていった。
俺は返事をしなかったが、それでよかったと思う。
しばらくして、初めて見る客が入ってきた。
鎧を着ているが、剣は置いてきたらしい。肩の力が抜けている。
「ここ、ラーメン屋か?」
「そうです」
「説明は?」
「ありません」
一瞬、戸惑った顔をしたが、やがて笑った。
「じゃあ、普通ので」
器を出すと、男は慎重に一口すすった。
そして、何も言わずに食べ続ける。
悪くない反応だ。
食べ終わったあと、男は少し考えてから言った。
「……また来ていいか」
「どうぞ」
それだけで、話は終わる。
店に、余計な約束はいらない。
来たいときに来て、食べたいときに食べる。
それ以上でも、それ以下でもない。
暖簾が、夕方の風に揺れた。
外の光が少し赤くなっている。
俺はカウンターを拭き、次の仕込みのことを考える。
明日の味は、今日と少しだけ違うかもしれない。
だが、それも言わなくていい。
伽藍堂は、そういう店だ。
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