第11話 暖簾を上げる時間
伽藍堂の暖簾がかかったのは、いつもと同じ時刻だった。
特別早いわけでも、遅いわけでもない。
ただ、その時間になったから、そうしただけだ。
レンは暖簾を整え、戸を少しだけ開ける。
風が入り、店の中の空気が外と混じった。
鍋に火を入れる。
湯が静かに温まり始める音が、店に戻ってくる。
それを確認してから、レンはいつもの位置に立った。
最初に来たのは、リリアだった。
暖簾をくぐるとき、ほんの一瞬だけ足を止める。
「……開いてた」
誰に言うでもなく、そう呟いてから、カウンターの端に座る。
いつもの席。
しばらく来ていなかった気がするのに、違和感はなかった。
レンは視線だけで応える。
言葉はない。
次に戸が開いたのは、それから少し経ってからだった。
グロムが、頭を下げるようにして店に入ってくる。
大きな身体を持て余すこともなく、静かに腰を下ろした。
席はひとつ空いている。
だが、誰もそこを気にしない。
注文もない。
ここでは、それが普通だった。
レンは二人分の準備を進める。
麺を量り、器を温める。
動きは変わらない。
湯気が立ち、音が強くなる。
リリアはそれを見て、少しだけ肩の力を抜いた。
「……いつも通りだね」
言葉はそれだけ。
レンは返さない。
やがて両方の席に丼が置かれる。
二人は同時に箸を取った。
しばらくの間、音は啜る音だけになる。
それで、十分だった。
食べ終えたあと、リリアは丼を前に置いたまま、少しだけ店内を見回す。
何も変わっていない。
だが、何も変わっていないことが、少しだけ不思議だった。
「……また、来る人、増えるのかな」
独り言のような声だった。
レンは、鍋の火を弱めながら考える。
増えるかどうかは分からない。
増えたとしても、何かを変えるつもりはない。
席は、空いていれば座れる。
合わなければ、来なくなる。
それだけだ。
グロムは何も言わずに立ち上がり、暖簾をくぐる。
リリアも、少し遅れて席を立った。
「ごちそうさま」
レンは軽く頷く。
二人が出ていったあと、店には空いた席が残った。
レンはそれを見て、特に何も思わない。
しばらくして、戸の外で足音が止まる。
暖簾が、わずかに揺れた。
レンは、手を止めずに待つ。
暖簾を上げる時間は、終わっていない。
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