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いつまでも愛されてると思うのは間違いですよ

キラキラの金髪、深い緑の瞳。

婚約の顔合わせで初めて会った時、王子様かと思った。

優しく笑ってよろしくと手を出してくれた。

触れたその手の温かさに、きっと、この人を幸せにしようと誓った。


私はアマーリア・シルフェーヌ。

シルフェーヌ子爵家の令嬢で、薄い金茶色の髪と、水色の瞳の特別目立つ容姿でもない平凡な少女だ。

両親からお前の婚約者だよと、紹介された彼は、伯爵家の次男であるアイン・ジーニスト様。


人懐っこい笑顔と、美しい容姿で、私は一目で恋に落ちてしまった。

私より2才年上のアイン様はとても好奇心旺盛で、いつも楽しいことを見つけることが上手だった。

7才の時に婚約して、あれから10年。

久しぶりに婚約者に呼び出されたアマーリアは、王都で有名なお茶とお菓子の美味しい店にいた。


「アマーリア。君に紹介するよ。彼女はエリアナ嬢。モルトイット男爵家の令嬢だ。」


アイン様の横には焦げ茶色の髪にピンクブラウンの瞳の小動物の様に可愛らしい令嬢が寄り添っている。

紹介されるよりずっと前から知っている…。

アイン様が1年前から夢中になっていると噂の令嬢だ。

モルトイット男爵家は新興貴族で商売がとてもうまくいっていて、かなり裕福な家だ。

エリアナ嬢もいつ見ても初めて見るドレスを着て、沢山の宝石を身につけている。


じっと見ていたからか、エリアナ嬢が怯えた様に、アイン様の腕にしがみついた。

「…怖いわ、アイン様…。」

縋りついたエリアナ嬢を愛おし気に見つめ、大丈夫だよ、と優しく笑う。

その笑顔は、昔は私に向けられていた…。

もうはるか昔だわ…。


エリアナ嬢を庇うように寄り添ったままアイン様が私を見つめる。

「君が18才になる1年後に結婚式を行う予定だっただろう?エリィは兄がいるから、男爵家は継げないんだ。だが、私と恋仲になってしまってね。アマーリア、すまないが、君と結婚はするが、彼女も一緒にいいだろうか?」


「……どういう意味でしょう…?」


唇が震えないよう、慎重に言葉を紡ぐ。

私はずっとこの10年間、アイン様の願うままに行動してきた。

アイン様のご実家であるジーニスト伯爵家は、過去に王女が降下したこともある由緒正しい歴史ある家だが、アイン様のお父上である現ジーニスト伯爵の度重なる事業の失敗で領地は困窮していたため、10年前、宝石が潤沢に採れる鉱山を持ち、裕福であった我が子爵家に婚約の打診が来たのだ。

初顔合わせで私がアイン様に一目ぼれをした為、恙なく婚約は決まったのだ。

子爵家からは資金援助を、伯爵家からは歴史と人脈を…といった完全な政略結婚だ。

アイン様は社交界で令嬢からとても人気があり、婚約者である私はいつも嫉妬をされたり、羨ましがられたりしたし、時には嫌がらせをされることもあった。


貴族や裕福な商人の子供は15才から18才の間、学園へ通い、知識や社交を学び、人脈を築くのだが、彼が2年早く学園へ入学してからは私がどれほど手紙を書いたり、会いに行っても忙しいといって返事もめったにくれることがなくなり、会う時間も作ってくれなくなった。急に連絡が来たときは、ほとんどがお願い事や学園の課題の手伝いを求めるもので、定期的に彼が送ってくる課題を私が代わりにこなしていた。

正直まだ学園に入学する前の私にはとても難しかったが、王都の図書館へ通い、自力で学びながら彼の課題の手伝いをしていた。


「君は僕の大事な人だからあまり公の場へ連れて行きたくないんだ。その可愛い顔を独り占めしたいから。」

そういって、夜会やパーティなどで私をエスコートしてくれることはなく、大きな夜会は別として、私はほとんど参加することなく今まできたのだ。


かわりに耳に届くのはアイン様が他の令嬢をエスコートして参加していたという話。

1年前までは特定の令嬢ではなかったため、彼が話す、家の繋がりで頼まれて他の令嬢をエスコートした、という話を信じていた。

でも1年前からは彼がエスコートをしたのはこのエリアナ嬢だけだ。

大きな夜会では私をエスコートして参加するものの、最初のダンスを踊った後はそのまま放置され、壁の花となるのだ。


愛されない地味な婚約者。

お金で買われた可哀想なアイン様。

社交界ではそんな噂が広がっていることも知っている。

それでも彼を好きだったから…。彼の望む私でいようと、努力した。

彼の最終学年の年に私が入学してからは、彼の為に課題をこなして、試験前には予想問題と対策を書き連ね、自分の勉強と彼の為の勉強を同時にこなした。彼も上位の成績で卒業出来たし、勉強のおかげで私はこの2年、学年首席だ。

彼からの贈り物がなくても、私は彼が欲しがったものをプレゼントしたし、結婚したら隣国へ旅行に行きたいと言われて困ることの無いよう隣国の言葉も学んだ。

努力してきたのだ…。

ずっと…。

蔑ろにされていることはわかっていたのに…、幼い時に優しくしてくれたから…。優しい笑顔で君が好きだよっていってくれたから…。

思い出してもそれは…もう、何年も前…いいえ、婚約した当初の…短い期間の話なのに…。


悪いとも思っていない様子で、エリアナ嬢の肩を抱きながら、アイン様は笑顔で私に言った。

「どういう意味って、そういう意味だよ。彼女を第二夫人として連れて行きたいと思っている。」


第二夫人…?

確かに王様は側妃が1人いらっしゃる。でもそれは正妃に子供が生まれなかったためだ。

基本的には一夫一妻のこの国で、婿に入る家に正式でないにしても、第二夫人という名目の女性を入れろと言っているの?

結婚前に婚約者を放置して散々浮気を繰り返してきたアイン様。

本当は知っていた。

家の繋がりだなんていってエスコートしてきた令嬢達はその時々の彼の恋人だったこと。

裕福な商家の令嬢や、友人の妹、まだ婚約者のいない貴族の女性もいた。

でもいつかは私の旦那様になって二人で家庭をもつのだと、そう信じていたから彼の為に頑張ろうと思ったのだ。なのに、第二夫人…。愛妾でもなく、第二夫人?


シルフェーヌ子爵家に子供は私しかいない。

この国は男児にしか継承権が無いため、私と結婚する人が宝石鉱山を持つ裕福なシルフェーヌ子爵となるのだ。

彼は私に子爵家の家柄とお金だけを求めていたのだ。

第二夫人といいつつ、実質、私は子爵家のオマケで、エリアナ嬢を正妻にするという事だ。

そんなバカな話があるの?

今まで散々彼の為に尽してきたのに、こんな未来が待っているなんて。


好きだったはずなのに、アイン様の顔を見ても憎らしさしか湧かない。

私は彼のどこが好きだったのだろう。

思い出せない。

大事にしていたのは、思い出だけだった。

いつかはあの頃の笑顔を私にむけてくれるのではと。

そんな未来なんてこないのに。

だって私は愛されていなかったのだから…。

ただの都合のいい女だった。


「…お断りします。そういう事でしたら、私はあなたと婚約解消いたします。」

少し低くなった声ではっきりと伝える。

「アマーリア?なぜだ?エリィの家は裕福だから彼女にかかる費用は男爵家が負担するといっている。はっきりいってもう17才の君にマトモな新しい婚約者など出来ないだろう?年の合う貴族の令息はすでに婚約者がいるだろうし、君はこういってはなんだけど、地味で社交界でも浮いているし…。それに婚約解消なんてしたら、瑕疵がつく。」


それがわかっていてこんな提案をしてきたのだろう。

ずっと従順でいた私だからこんな荒唐無稽な話も素直に受けるだろうと?


「瑕疵がつこうがかまいません。私はあなたとの婚約は解消いたします。正式な書面は後ほど父からお送りします。失礼します。」

踵を返す私の背中に待ってくれ!後悔するぞ!!と、アイン様の声が聞こえてくるが無視して店を出ると、待たせていた馬車に乗りこんだ。


馬車で待っていてくれていた専属侍女のキルフェが乗り込んだ瞬間泣き出した私の背中を心配そうに撫でてくれる。

「お嬢様…、何があったのですか?」

「…キルフェ…、私、アイン様と婚約解消するわ。彼、噂の男爵令嬢を連れてきて、第二夫人として連れてくるだなんて言ったの…!」

「…なんですって…?散々お嬢様の献身を受けるだけで感謝もせず放置したのに…!!許せません!婚約解消してよかったです。そんな人に大事なお嬢様を任せられません!!」

アマーリア以上に怒りだしたキルフェに少しだけ心が軽くなる。

「ありがとう…、キルフェ。あなたがいてくれて良かったわ…。私、どうしてあんな人好きだったのかしら…?」

涙は止まらないが、どこか自分に呆れてしまう。

もっと早く婚約を考え直せばよかった。

彼の実家である伯爵家から得られる人脈はもう十分得たのだし、それ以上にかかる資金援助の額が年々増えていることも気になっていたのに。


我が家からの婚約破棄にしたら慰謝料だなんだと言ってきそうだから、これまでの彼の浮気や今回の事は包み隠さず訴えて、アイン様責の婚約解消をしなくては。

どこか冷静な自分に少しだけホッとする。


「アマーリア様は素晴しい女性です。優しくて賢くて、旦那様のお手伝いもなさっていらっしゃる。それにお嬢様はとてもお綺麗です。あの方がアマーリア様が着飾るのを嫌がっておられたから、地味にしておりましたが、これからは私の渾身の技術でもってお嬢様を着飾らせていただきます!きっとすぐにお嬢様と結婚したいという方が現れます!」

握りこぶしを作って熱弁するキルフェに、フフッと泣き笑いをする。

そうね、彼に合わせて、頑張りすぎていたわ。

少しだけ…ゆっくりしたいわ…。


それから自宅に戻るとアマーリアは直ぐに両親に今までの事、今日のアイン様の話をした。

すると父は激怒し、すぐに伯爵家へ婚約解消の手続きと、今までかかった資金援助の返還を求めた。

もちろん資金が戻ってくるとは思っていないが、こちらに非がないという事を周知するためだ。


意外にもすんなり婚約は解消され、なぜか伯爵家からの手紙には謝罪もなく、今後後悔するだろうという旨が書かれた文書が届いた。

確かに王家とも繋がりがあるジーニスト伯爵家の人脈は幅広い。きっと商売をする上で困るような、

"ジーニスト伯爵家に見限られたシルフェーヌ子爵家"と、我が家に非があるように広めるつもりだろう。

それでも自分を蔑ろにするアイン様と結婚なんてしたら、この家を彼らに乗っ取られるのだ。

絶対に嫌だ。


それから1週間後、私とアイン様の婚約解消の話題が社交界に拡がった。

予想通り、とうとうお金でアイン様を縛っていた愛されない地味な婚約者が捨てられたと、アマーリアを貶めるような内容だ。

今後は爵位目当ての商人や、我が領の宝石鉱山目当ての下位貴族の者や、問題のあるような人からしか縁談は来ないだろう。

…そして父から呼ばれた。


「アマーリア、大丈夫か?」

「はい、お父様。私のせいでこのような不名誉な噂が拡がり、申し訳ございません…。」

「いや、お前は頑張っていた。それは私たちがよく知っている。気にしなくていい。それより、お前に縁談が来た。」

「…もう…?こんな醜聞だらけの私に…。」

「醜聞など、事実無根だ。お前に非がないことをわかる者はわかっている。お前の気が進まなければ断っていい。だが、いい話だと思う。それに、これは政略としての縁談ではない。一度会ってみないか?」

政略ではない…?

ということは、子爵家に利を求めての縁談ではない、ということ…。私自身への縁談…?まさか…。

「…はい…。こんな私を必要として下さる方なら、ぜひ会ってみたいです。」


そうしてその場に現れたのは…


「ジョシュア様…?」

「アマーリア嬢、こんにちは。」


顔合わせの場にいたのは学園で1つ上の学年で首席のハインバルト侯爵家の三男であるジョシュア様だ。

侯爵家子息で成績優秀。王太子の側近候補と名高い優秀なジョシュア様は、侯爵家が持つ爵位の一つ、領地のない子爵位を継ぐ予定だと聞いていた。真面目で物静かな方で、数年前からアマーリアとは図書館でよく会うため、会えば声をかけて下さるので、一緒に勉強をする友人でもあった。


サラサラの黒髪を揺らして首を傾けると、ジョシュア様は労わるような優し気な瞳でアマーリアを見つめた。

「大変だったね、アマーリア嬢。君はあんなにも努力して尽くして来たのに、彼はバカだね。」


耳に心地良い低めの穏やかな声が、その言葉がアマーリアの心を温かくする。

「…ありがとうございます…。あの…どうして、ここにジョシュア様が…?」


ぼんやりとしたまま、口をついた疑問に、フフッと笑ったジョシュア様の楽し気な笑顔で我にかえった。

そうだ、縁談の申し込みだった…。

…でも、え?ジョシュア様が私に縁談を申し込んだという事?


「百面相してるよ、アマーリア嬢。そうだよ。

僕は君に結婚の申し込みに来た。」

「ウソ…。そんな、まさか。」

「アマーリア、とにかく座りなさい。」

父に声をかけられて、戸惑ったまま、ジョシュア様の向かいのソファーに腰を下ろした。


「あの…ハインバルト侯爵家の御子息であるジョシュア様が、娘と知り合いだったのですね。」

父の驚きに、落ち着いた声でジョシュア様が返事をする。

「はい。5年ほど前から王都の国立図書館でよく一緒になり、声をかけたのが始まりです。アマーリア嬢は元婚約者殿の課題のため、必死で学んでおられました。その直向きさがとても…好ましいと思っておりました。」

「そ…そうですか!ありがとうございます。

そうなのです。娘は…親の私が言うのもどうかと思いますが、努力家で真面目な優しい子です。今回、このような目に遭い、筆舌に尽くしがたい悔しい思いでおりました。しかし、ちゃんと娘を知っていてくれる方がいるとわかって、嬉しく思います。」

嬉しそうな父の笑顔に、アマーリアは鼻がツンとなり、慌てて下を向いた。


「僕は結婚するつもりがなく、婚約者もおりません。それは興味がなかったからではなく、心に思う人がいて、その人が婚約者を一途に思っていたからです。」


ジョシュア様…好きな方がいたのね…。

いつもジョシュア様に秋波を送る令嬢にも興味を示さず、勉学に打ち込んでおられたから…知らなかったわ…。


「他人事みたいに聞いているけど、アマーリア嬢、君のことだよ。」

ニッコリと笑ったジョシュア様の熱い視線に、アマーリアはハッとして顔が熱を持った。

そ、そうだったのね…。全然、気づかなかった。

ダメだわ、私、今きっと真っ赤だわ。


「僕は君より一年早く学園にいたから、元婚約者殿の事を君より知っている。あんな奴のために、君があれほど苦労しながら努力を続けていることが、歯痒くもあった。僕ならもっと大切にするのに…。もっと君を甘やかして、いつだって寄り添って支えるのにって。」


ああ…そうだった。

私がいろんな人から噂を聞かされたり、嫌がらせをされたり、ひどい噂を流されたりして落ち込むたび、いつも逃げるように向かった図書館にジョシュア様は現れて、静かに傍にいてくれたわ。


優しく頭にポンと手を一度乗せて、顔を上げた私の顔色を見て心配そうに、困ったように笑ってくれた。

「君は頑張ってるよ。」

そう言ってくれた。

その言葉がどれほど嬉しかったか。

惨めになりそうな心が、しゃんとした。


「僕を選んで欲しい、アマーリア嬢。きっと後悔なんてさせない。大切にするし、一生君を、君だけを愛し続けると誓う。」


真剣な深い海のようなサファイアの瞳が真っ直ぐにアマーリアを見つめている。


私はずっとアイン様が好きだった。

彼を幸せにしようと努力してきた。

彼の顔を見たら機嫌がわかった。何をして欲しいのかどうすれば喜ぶのかを考えて、その通りの行動をして、求める言葉を発してきた。

彼は私のために一度でもそれをしてくれたかしら…?今まで息をするように尽くして来たのに、一度疑問に思ったら、全てが納得いかなくなった。

私の幸せは?

彼は私の幸せを考えたことすらないのではないかしら?

私は…私の事を幸せにしたいと思ってくれる人がいい。そう思ってくれる人を幸せにしたい。


「あの…ジョシュア様。私はまだ婚約を解消したばかりで、あなたに思いを返せるのかわかりません…。」

「うん。」

「でも、辛い時に支えて下さったあなたを幸せにしたいです…。」

「…だったら…頷いて欲しい。それだけで僕は世界一幸せな男になれるから…!」

どこか必死なジョシュア様の表情に、胸が甘く締め付けられる。


出会ってから5年。

ずっと、優しかった。

いつも穏やかな笑顔で、傍にいてくれた。

私も一緒だわ…当たり前みたいに思っていたのかもしれない。

彼がどれほどの心の葛藤を抱えてそうあってくれたのか知らないで…。


「…ジョシュア様との縁談…、謹んでお受けします。どうぞよろしくお願いします。」


はにかむように笑って答えたアマーリアに、パッと嬉し気にジョシュア様が輝くように笑った。

その幸せそうなとけそうに甘い視線に、胸がいっぱいになる。

きっと与えるばかりではダメなのね。

見返りが欲しくて尽くして来たわけではない。ただ幸せにしたかっただけ。でも…返ってこない優しさは心が疲弊してゆくのだ。

私も、今、こんなにも優しい幸せな想いをくれたジョシュア様を幸せに出来るよう、努力しよう。


「アマーリア嬢、きっと今、頑張ろうって思ったでしょ?」

「え?どうしてわかるんですか?」

びっくりして問うと、愛おし気にジョシュア様が微笑む。

「君は頑張り屋でとてもいじらしくて可愛いから…。でもね、僕は君が笑って傍にいてくれるだけで幸せだから。だから頑張らなくていいよ。」


カァっと顔が熱くなり、そういえば、父がいたんだった、と隣を見るといつの間にか席を外していた。


「え?父は…?」

「ハハッ。気付かなかった?とっくに2人にしてくれるため、出ていったよ。」


気付かなかった。

フフッとアマーリアも恥ずかしげに笑うと、ジョシュア様がそっと近づいてアマーリアの手を取った。

指先に触れるだけのキスをする。

「アマーリア嬢、好きだよ。ようやく君の隣に立てる権利を得られたんだ。一生これでもかってくらい、甘やかすから覚悟してね。」

「…っ!」

ボッとさらに真っ赤になったアマーリアを見てジョシュア様が嬉しそうに笑い声を上げる。

たった一週間しかたっていないのに、10年も好きだったはずのアイン様の事なんてひとつも好きではなくなってる。

私はきっとこの方を…ジョシュア様を…好きになるわ…。

それは確かな予感だった。



「アマーリア!あれから考えなおしたかい?君には僕しかいないと気付いただろう?今日は私のために頑張ってお洒落をしたのだね。…悪くない。もう一度、婚約してもいい。」

煌びやかな刺繍が施された白のウエストコートを纏った、今日もキラキラ呑気に輝いているアイン様がアマーリアの前に立っている。


あの婚約破棄から2ヶ月後の王太子の生誕祝いのパーティーで、ジョシュア様のエスコートを受けて参加していたアマーリアは、周りの視線を感じていた。

「あの綺麗な令嬢は誰かしら…?」

「ジョシュア様がエスコートをされるなんて…、どういったご関係かしら…?」

「彼は卒業後は王太子の側近になる事が決まっている優秀な青年だろう?結婚する気がないと聞いていたが…。」


今日のアマーリアはジョシュア様から贈られた彼の瞳の色であるサファイアのネックレスとイヤリングを身につけて、彼が選んでくれたブルーのドレスを纏っていた。

金茶色の髪は結ってハーフアップにして、下ろした髪は緩やかに巻いている。

いつもはあまり化粧をしないアマーリアは、今日は濃くない程度にキルフェが気合いをいれて美しく化粧を施してくれたから、自分でも綺麗だと思えた。

幼い顔立ちのアマーリアが少しだけ目のラインを入れるだけで、これほど色っぽく見えるだなんて知らなかった。

淡い薔薇色の頬に少し小さめの唇は潤んだピンク色で、薄い水色の瞳によく似合っていた。


迎えに来てくれたジョシュア様が、しばらく私を見て頬を染めてボンヤリと見惚れてから、慌てて、

「勘弁して…。似合ってるし、綺麗すぎる。ごめん、抱きしめていい?」

そう言って返事をする前にギュッと抱きしめられた。父が呆れて、母が嬉しそうに笑っていた。

もちろん私は真っ赤になってしまったけど、それでも、信じられないくらい幸せな気持ちになった。

キルフェが嬉し涙を浮かべて微笑んでくれているのを見て、私も泣きそうになった。

せっかくキルフェが綺麗にお化粧をしてくれたから、気合いで涙をひっこめたものの、心は温かった。


婚約の発表は、ジョシュア様の尊敬する王太子殿下のこのパーティーで、伝えるつもりでいたからアイン様が知らないのは当たり前だ。


でも、よくそんな事、平然と言えるわね、とアマーリアは憑き物がとれたように冷静に彼を見つめた。

今日はあの方はいらっしゃらないのかしら…?グルリと視界を巡らせると、少し離れたところでこちらの様子を伺うエリアナ様が見えた。


「君はアイン・ジーニスト伯爵令息ですね。お話するのは初めてですね。私はジョシュア・ハインバルト。」

知り合いに声をかけられて、少しだけ離れていたジョシュア様が、すぐに気付いて隣に来てくれ、アマーリアの腰に手を添えた。


自分より格上である侯爵家子息であるジョシュア様からの挨拶に、アイン様が一瞬戸惑った表情をした。

「申し遅れました。私はアイン・ジーニストです。あの…少しだけアマーリアを借りても良いですか?少し個人的な話がありまして。」


「個人的な話?リア、そうなの?」

アマーリアの耳元に唇を寄せてジョシュア様が優しく尋ねる。

声は優しいが、その瞳にアイン様への静かな怒りが見える。

アマーリアは小さく息を吐くと、いいえ、と答えた。

「ジーニスト伯爵令息様と、個人的な話などありません。」

「だ、そうですよ?」


顔は微笑みを浮かべているが、ジョシュア様の怒りが伝わってくる。私のために、怒ってくれているのだ。

こんな時に…嬉しいだなんて…。


「アマーリア。君にとっても大切な話だよ。僕達のこれからの話だ。」

さもいい話をするかのような上からの物言いにアマーリアは呆れた。

…この人はあんなに私を蔑ろにしていたのに、未だにまだ私が自分を好きだと信じているのね。

だから婚約解消もすぐに受け入れた。

いつでも覆ると自信があったから。


「ジーニスト伯爵令息様。お忘れですか?私とあなたは無関係です。これからもずっと。」

はっきりと目を見つめて伝えると、理解出来ないと言った顔でポカンとしている。


「君にいつもベッタリくっついていた令嬢はどうしたんだい?」

バカにしたように息を吐いて、ジョシュア様がアイン様に向き合う。


周りが私達に気付き、ザワザワし始める。

…ジョシュア様とご一緒の令嬢って、あの地味令嬢だわ!

…あんなに、綺麗だったかしら…?

…アイン様から解消したって聞いたけど違うの?


「いや、エリィ…エリアナ嬢は…今日は…別の者にエスコートを頼んでいる。」

「へぇ?なぜだい?大事な恋人だろう?

10年前、伯爵家から打診して婚約を結んだのに、家の負債の肩代わりや資金援助だけでなく、君の学園での課題を2つも年下の彼女に代わりさせていた君が…、第二夫人として、噂の男爵令嬢を婚姻時に連れて行くとバカげた宣言して婚約解消された君が、今更一体なんの用があって、私の婚約者に個人的な話があるというんだい??」

辺りがザワッとなる。


「婚約者…?」

アイン様が惚けたようにジョシュア様を見る。


「ええ。ようやく害虫…いや、君と婚約解消してくれたからね。ずっと好きだったアマーリアに求婚したんだ。リアは受け入れてくれた。」

アマーリアの肩を抱き寄せ、愛おしそうに髪に触れたジョシュア様に、アマーリアは恥ずかしそうに微笑んだ。


「そ、、そんなバカな!だって君は僕が好きだろう!?」


綺麗な顔を歪めて真っ赤な顔でいきり立つアイン様に、アマーリアはジョシュア様の手をそっと握った。

気付いたジョシュア様がギュッと握り返してくれて、ホッとして吐息をつくと、アイン様に向き合った。


「ジーニスト伯爵令息様。確かに10年前、初めての顔合わせで、私は物語の王子様みたいなあなたに恋をしました。婚約者になったあなたを幸せにしたいと思い、ずっと努力をしてきました。こちらから手紙を送っても返事は来ず、会いにいっても忙しいと時間も作ってもらえず、あなたから連絡が来る時はいつも課題の手伝いや、援助を求めるときだけ。夜会では放置され、贈り物ひとつない貴方を、それでも結婚するのだからと、尽くして来ました。でも、返ってこない思いは尽きるのです。あなたは私と結婚はするが、エリアナ嬢を第二夫人として連れて行くのを認めろとおっしゃった。その時に気持ちは冷めたのです。それまでも気付きたくなかったけど、私は貴方を愛してはいなかったのだと思います。…ジョシュア様に大事にされて気付きました。私はただ、婚約者という立場だった貴方を大事にしようとしていただけ。私が今、誰よりも大切で、幸せにしたいと思うのはジョシュア様です。でもそれは…婚約者だからではなくて、ジョシュア様だからです。あなたはあなたの大事な方を幸せにして差し上げてください。」


静かに見守ってくれていたジョシュア様がハッと息を飲む気配がした。

隣を見上げると、耳が赤いジョシュア様が少しだけ驚いたように私を見つめている。


アマーリアがフワリと笑いかけると、嬉しそうな優しい目をして笑い返してくれる。

こうして気持ちを返してくれるこの人がとても愛おしい。


「そ、そんなバカな…。意地を張っているんだろう?アマーリア。君が私以外を好きになれるはずないだろう?!第二夫人が嫌だったのか?それなら妾でもいい。」


必死に訴えるアイン様は、周りが見えてないのかしら?ジョシュア様がはっきりと言ってくれたから、周りの貴族女性が軽蔑の眼差しを浮かべているのに。

当たり前よね、結婚もする前から相手に第二夫人も連れてくると言われて怒らない人はいないでしょう。

年配の方は信じられないといったふうに、贈り物ひとつなかったことに驚いている。

紳士達は、学園の課題を2つも年下の婚約者に任せていた事に驚愕している。


これで私の醜聞は少しはなくなるでしょうね。


「これはどうした事だい?」


一際通る声がして、人々が頭を下げて道を開ける。

そこにはこのパーティの主役である王太子殿下が立っておられた。


「ずっと片思いを拗らせていた我が友が、婚約者を紹介してくれると聞いて楽しみに待っていたのだが、一向に来ないから探しに来てしまったよ、ジョシュア。」

ジョシュア様の次兄の親友でもある王太子殿下は、ジョシュア様とは幼馴染でもあるそうだ。

面倒見が良く、快活な王太子殿下は、ジョシュア様を弟のように可愛がってくれているそうだ。


「サフィアス殿下、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。少しトラブルがありまして…。」

ジョシュア様が頭を下げると、王太子殿下は手で軽く制して辺りを見回した。

「そのようだね、ジョシュア。で、そこの先程からおかしな事を騒いでいる君は、ジーニスト伯爵家のアイン殿だね?」

軽蔑のこもった冷たい目で王太子殿下に見つめられ、アイン様はビクッと体を揺らした。


「あ…、いや、王太子殿下…、違うんです。何か誤解があったようで…。」

しどろもどろに返事をするアイン様に、王太子殿下がニッコリと笑う。


「誤解?第二夫人だとか妾だとか聞こえたけれど、君、そもそも婚約者がいないだろう?高位貴族の婚約も解消も、王家の決済がいるんだよ。私は確かに見たけどね、君が有責で婚約解消された書類を。そして、君の不適切な行動も言動も把握している。そのうえで、婚約期間中に受け取った資金援助金の最低でも三分の一の返還義務を申し付けている。ジーニスト伯爵は、相も変わらず安易な投資話に喰いついて負債を増やしているようだが、…で、君は何をしているんだい?」


明朗快活、優秀だが、容赦のない冷徹な一面があると聞く王太子殿下のその瞳には、氷のような冷気が漂っている。


「アイン殿、先ほどからコソコソこちらの様子を覗いていたあなたの愛しの恋人は、早くも逃げ出したようだよ。まぁ、私の婚約者は、私が困った時に置いて逃げるような冷たい女性ではないがね。」

アマーリアの腰をグイッと抱き寄せてジョシュア様が口角だけを上げて笑う。


「献身的で君を幸せにすることだけを考えていた貴重で尊い女性を、蔑ろにしてきた自分自身の愚かさを、後悔しても遅いんだ。アマーリアは私が一生かけて大切に愛するのだから。」

ジョシュア様の言葉に呆然としたまま唇を噛み締めると、アイン様は王太子殿下に礼をして去っていった。

その小さな背中を見ても、アマーリアの心は全く動かない。

「私って…薄情だったのね…。なにも感じないわ。」

ポソリと零れた独り言に、ジョシュア様が顔を寄せて笑う。


「ありがとう、リア。僕を大切にして幸せにしたいと言ってくれて。嬉しかった。」

愛おしそうに見つめてくれるそのサファイアの瞳に、アマーリアの中に愛おしさが溢れた。

「私こそ…守って下さってありがとうございます。ジョシュア様の婚約者になれて、幸せです。」

花が綻ぶように笑うアマーリアの笑顔に、ジョシュア様は眩しそうな顔をした。


「ジョシュア、いい加減、二人の世界から抜け出して紹介してくれ。」

ニヤリと笑う王太子殿下が、アマーリアの前に立つ。

これほど近くで王太子殿下に謁見するのは初めてで緊張するが、ジョシュア様に恥をかかせたくなくて、学んだ一通りの挨拶を頭に巡らせる。


「サフィアス殿下、この度は、お誕生日おめでとうございます。ジョシュア・ハインバルトがご挨拶申し上げます。こちらは私の婚約者のアマーリア・シルフィーヌ子爵令嬢です。」


「アマーリアです。この度はおめでとうございます。王太子殿下にご挨拶出来る幸運に感謝申し上げます。」


「ハハッ、ありがとう、二人とも。そして、婚約おめでとう。ジョシュアは非婚主義なのかと思っていたが、ただの一途な男だったんだな。アマーリア嬢、私はね、子供の頃から真面目で穏やかで少し頑固なこの年下の幼馴染を弟の様に可愛く思っている。どうか、幸せにしてやってくれ。」

優しい目でジョシュア様を見つめる王太子殿下の様子に、アマーリアは温かい気持ちになる。


「はい。もちろんです。私の人生をかけて、ジョシュア様を幸せに出来るよう努力いたします。」

「もう、リア、言っただろう?僕は君が傍にいてくれるだけで幸せなんだ。だから、一生傍にいてほしい。」

「…はい…。」

「アッハッハ、見たか?ゲイン。あのジョシュアが、こんなに甘い男だなんて!」

楽しそうに笑いながら王太子殿下が少し後ろで控える護衛騎士を振り返る。


「殿下、弟で遊ばないでください。」

王太子殿下の護衛騎士であり、親友でもあるゲイン様はジョシュア様の次兄だ。

伯爵家の令嬢と結婚していて、2人の子供がいらっしゃる。

頭を使うのが苦手だからと騎士になったそうだ。


「ではな、ジョシュア。楽しんでいってくれ。」

王太子殿下はそういうと、他の貴族からの挨拶の列に戻っていった。


そのパーティー以降、私の悪い評判は一転した。

ジョシュア様との婚約のおかげで、浮気者の婚約者と別れ、真実の愛を手に入れた献身的で優しい幸運な令嬢と言われ、社交界でも友人が沢山出来た。

最初から私の事を信じてくれていた人が、いたことには驚いた。

それにあの婚約解消以来の醜聞に関わらず、商売を続けてくれる家もたくさんあったそうだ。それは、きっと実直で誠実な父の人柄もあってのことだろう。

友人からの話によると、エリアナ嬢の家は裕福だったが、手を広げすぎたことによるここ近年の事業の失敗続きで赤字になり、宝石鉱山を持つ我が家に目をつけたそうだ。それで近付いたアイン様と恋仲になり、我が子爵家に入り込み、鉱山の実権をモルトイット男爵家で握るつもりだったそうだ。なんて図々しいことを考えるのだろう…。

アイン様の頭はお花畑なので、そう言ったことには全く関与していなかったが、息をする様に自分を優先すると思っていた私の反発に理解できないまま謹慎となり、その上、エリアナ嬢に去られた彼には婚約者もいないそうだ。


「あのお顔ですから、それでもいいとおっしゃる方が現れるかもしれませんが、適齢期の令嬢でジーニスト伯爵令息様と婚姻を結びたいという方はおられないでしょうね。」


ジーニスト伯爵家は我が家への返金と、賠償金、増えた借金の為に、金策に走ることとなり、伯爵位は長兄が継いで立て直しを図っているそうだ。アイン様の兄は優秀な方なので、伯爵家もいずれ持ち直すだろう。


「それで、ジョシュア様との新婚生活はどうですか?」

友人が興味津々に聞いてくる。

「フフッ…、ええ。幸せです。あの辛かった日々も彼に会うために必要な時間だったのではないかと、今は思います。だって何をおいても私を優先してくれて尊重してくれるジョシュア様の隣は、その尊さも知っているから余計に幸せを感じられます。」

甘やかされてる…。

いつも傍にいてくれる。

私を目に映す時の、あの愛おしさのこもった優しいサファイアの瞳を見るたび、泣きそうになるほど心が温かくなる。

私を心から愛してくれていると、日々、実感させてくれる。

その安心感と、深い愛情にめまいがするほどの幸福感が溢れる。

私が笑うだけで嬉しそうに笑うジョシュア様の笑顔に、愛が溢れてくる。


「羨ましいわ。旦那様が穏やかで優秀なうえ、愛妻家だなんて…。仲良しの秘訣はあるんですの?」

興味津々で私を見つめる友人たちに昔の自分を思い出す。

「そうですね…、どんな些細なことも当たり前に思わず、感謝を忘れない事。相手を尊重すること…。

きっとそれを忘れなければずっと仲良しでいられると思います。」


あの頃の自分に言ってあげたい。

あなたはちゃんと幸せになれるんですよって。


今日もきっと、帰って来た時に彼は私を見つけると幸せそうに笑うのだろう。

その繰り返す日々の彼を思い出して、アマーリアは幸せそうに笑った。

























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こういった話、浮気男ざまあの一環で浮気女は逃げおおせる描写が多いですが、浮気女にもきちんとざまあ描写が欲しかったなと消化不良おこします。 未来は明るくないでしょうなんて補足は思い浮かびますが、男に対し…
伯爵家の婿養子風情が第二夫人なんぞ持てるわけなかろうて…
一人称と三人称が混ざっていて読みにくいです。
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