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猫みたいな栞

 栞は俺の胸に顔を埋めて俯いてしまった。


「栞……──」


「おーい! しおりーん?! 高原君くーん?!」


 俺がどうにか栞にかけるべき言葉を探して、口を開こうとした時、少し離れたところから楓さんの声がした。


 パッと顔を上げた栞は、俺の腕からするりと抜け出す。


「もう大丈夫だよ、涼。変なこと言っちゃってごめんね、忘れて」


 そして、楓さんの方へ駆けていった。俺も慌てて後を追う。


 俺がしたくてしたことだから栞は気にしないで、と言おうと思っていたのだが、完全にそのタイミングを逃してしまった。


「ごめん、彩香、遅れて……」


「もー! 時間になっても全然こないと思ったら、こんなところでまーたイチャイチャして──って、どしたのしおりん?!」


 楓さんは、まだどこか様子のおかしな栞を見てギョッとした顔をする。


「さっき涼がトイレに行ってる間に二人組の男の人に絡まれちゃって、それが結構しつこくってね……」


「えっ?! それ、大丈夫だったの?!」


 大丈夫じゃなかったら栞は今、俺と一緒にいないわけだが。


「うん。涼が守ってくれたから平気だよ。ね、涼?」


「う、うん」


 振り返った時には栞はさっきの表情が嘘のように微笑んでいた。


「へ〜え、やるじゃん、涼」


 遥がニヤニヤしながら肘で突いてくる。当たり前の事をしただけなのにからかってくる遥に少しイラッとした。それに、遥には言っておかなければいけないこともある。


「そりゃ、ね。でも遥、ラッシュガード全然役に立たなかったんだけど?」


 遥に言われてわざわざ購入したのに、肝心なところで効果を発揮しなかったら意味がない。文句も言いたくなるというものだ。


「それを俺に言われてもなぁ。黒羽さんがそれだけ目を引くってことなんじゃね? そんな子を彼女にしてんだ、そういうこともあるだろ」


 呆れたように遥に言われた。確かに栞はとっても可愛いけども、腑には落ちない。


「それでこれからどうする? もししおりんの気が乗らないならもう帰ろうか?」


 栞を心配してのことか、楓さんはそう言ってくれる。でも、栞は静かに首を横に振った。


「ううん、もう少し遊んでいきたいな。せっかく来たんだし、最後があんなんじゃイヤだもん」


「それじゃイヤなこと忘れちゃうくらいパーっと遊んじゃいますか!」


「ごめんね、我儘言って」


「いいのいいの。私達が誘ったんだし、どうせなら最後には楽しかったって言ってもらいたいじゃん!」


「うん、ありがと。ほら、涼も行こっ?」


 グイッと手を引かれる。栞はもういつもと同じ笑顔を浮かべている。いや、それ以上かもしれない。


 少なくとも、その時の俺にはそう見えた。


 無理してるんじゃないかと心配にもなったけれど、わざわざ話を蒸し返してまた栞の表情が曇るかもと思うと、それ以上は何も言うことができなかった。


 またウォータースライダーをやりたいと言う栞に皆で付き合うことに。来てすぐの時と同じようにはしゃぐ栞を見ていたら俺もようやく安心できた。


 それに加えて、笑顔の栞にあれこれと引っ張り回されているうちに心配していたことも、いつしか頭から抜け落ちてしまっていた。




 日が傾いて空が茜色に染まり始めた頃、遊び疲れた俺達は帰宅することになった。


 うちの最寄り駅までは乗り換えを含めて一時間程度。電車に乗り込むと、疲れと揺れのせいで眠気が押し寄せてくる。


 ただ先に栞が俺の肩に頭を乗せて眠ってしまったので、乗り過ごすのを恐れて起きておくことにした。


「高原君も眠かったら寝ていいよ? 乗り換えの駅で起こしてあげるし」


 俺達以上のテンションではしゃぎ回っていたというのに楓さんはケロッとしている。とんだ体力お化けもいたもんだ。


「いや、大丈夫だよ。栞が寝ちゃったし、楓さん達と分かれた後も考えたらね」


 一度寝てしまうと頭がぼーっとしてしまうし、安全のことを考えれば起きておくのが良いと思ったのだ。


「そっか。にしても──」


 楓さんはすぅすぅと静かな寝息を立てる栞の顔を覗き込み、そのまま栞の頬を指でツンと突いた。


「ん〜……」


 栞はそれから逃れるように、更に俺に身を寄せてくる。


「ふふ、か〜わい〜なぁ。しおりん、すっごく変わったよねぇ。なんかさ、猫みたいじゃない?」


「……猫?」


 確かに栞の甘え方に猫っぽさを感じることはあるけれども。


「ん〜とね、前は野良猫みたいな感じだったんだよねぇ。毛を逆立てて周りを威嚇するみたいな感じで、いつもピリピリしててさ」


「あー、うん。そんな感じはしたね」


 あの頃の栞は誰も信じられなくなっていて、信じるのが怖くて人を遠ざけていた。それは当然周りにも伝わっていた。自己紹介の言葉だけではなく、栞は態度でもそれを示していた。


 図書室で話すようになった後の俺でさえも、教室にいる時の栞からは近づくなという雰囲気を感じていたくらいだ。


「それがさー、今じゃすっかり甘えん坊な家猫みたい。ほら、よくネットで見るじゃない? 保護猫のビフォーアフターみたいなの。あんな感じ」


「なにそれ」


 俺は思わず笑ってしまった。俺もそういうのは見たことがあるし、楓さんの例えが的を得ているような気がしたから。


 人から愛情を受けて、優しく可愛らしい顔に変わった猫と、今の栞の姿が重なって見えたのだ。


「まぁ、それだけ涼の隣が居心地いいってことなんだろ。お互い溺愛みたいだしな」


 遥が俺の顔を見てニヤリと笑う。人から言われるとまだ恥ずかしいけど、俺が栞を溺愛しているのは間違いない事実で。


 栞にはずっと穏やかでいてほしい、幸せにしたい。そのためには俺ももっと頑張らないと、そう思いながら、そっと栞の髪を撫でた。

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