泳げない宣言
◆黒羽栞◆
『私ね、泳げないんだ……』
──なーんてねっ?
私の手を力強く掴んでくれる涼の手をぎゅっと握り返しながら、私は心の中でペロリと舌を出した。
本当は私、カナヅチじゃないんだから。下手くそなのは否定しないけど、全く泳げないわけじゃないんだよ?
5メートルくらいならギリギリなんとか……、たぶん、自信はないけど……。
でも、わざわざこのタイミングで泳げない宣言をしたのには理由があるんだ。
こう言っておけば心配性で過保護な涼のことだから、私から目を離さないでいてくれるでしょ? 彩香には余裕ができたなんて言われたけど、こんな場所なんだから、保険くらいはかけておかなきゃね。
プールだから当然なんだけど、周りは皆水着なわけで、もちろん女の人だっている。女の私の目から見ても綺麗な人はたくさんいて、もしも涼がそんな人に目を奪われたりしたらって思ったらね……。
そんなの私、おかしくなっちゃうよ……。
せっかく勇気を出してちょっと大胆かもって思うような水着を選んだんだから、しっかり涼の目に焼き付けてほしい。涼には私だけを見ていてもらいたいっていう、私の我儘なんだ。
それに最近の涼ったら、ますます格好よくなってきちゃって困るんだよ。私の欲目が過分に含まれてるのかもしれないんだけどさ。
背中を丸めなくなったから背が高く見えるし、表情が明るくなったからキリッとした顔になって、継実さんにカットをお願いしたおかげで髪型もバッチリ似合ってる。
私なんて涼を見るたびにドキドキしっぱなしなんだからね?
涼が格好よくなるのは私としてはとっても嬉しいんだけど、同時に心配にもなっちゃう。学校でも女の子に囲まれてたしさ。皆冗談だって言ってたけど、中には本気そうな目をしてる子がいたの気付いてるんだから。
だから私がしっかり掴まえておくの。私が目を離した隙に万が一でも涼がナンパされることがないように、この格好良い男の子は私の彼なんだよってしっかりアピールするんだ。
つまりあの泳げない宣言は、ずっと涼にくっついておくための大義名分であり、今日の涼の思い出を私一色に染め上げるための布石。
あんなこと言って、余計な心配をさせちゃうのはちょっぴり心苦しいんだけど、そこは口には出さずに『ごめんね?』と言っておく。罪悪感が全くないわけじゃないけど、ここまでするほど私が涼のこと大好きってことなんだ。
「さて、色々あるけどどうしようか? 栞はなんか気になるのある?」
涼のこういうところも本当に好き。私のことちゃんと考えてくれて、優先してくれる。強引に連れ回されるっていうのも、涼が相手ならそれはそれでときめいちゃうのかもしれないけどね。
ぐるりと周りを見渡すと、少し離れた所でウォータースライダーの出口からカップルらしい男女が一緒になって飛び出してくるのが見える。
よく見ると長いのから短いのまで、中にはゴムボートにのって滑り降りるものまであるみたい。
「ねぇねぇ、涼。私、あれやりたいな」
最初に見たスライダーを指差すと、涼の視線もそちらに向かう。
「ウォータースライダーかぁ。いきなりって感じはするけど、栞がやりたいならいいよ。って勝手に決めちゃったけど、遥達はどうする?」
「いきなり別行動ってのもなんだし、一緒に行くぞ。彩も好きだしな、あれ」
「うんうん! しおりん一緒に滑ろー?」
「いや、私は涼と……」
「わかってるよー! ちゃんと最初は高原君に譲るからさっ。別に一回しかダメってことはないでしょ?」
「んー……。まぁ、それなら……」
「やったぁ!」
私は涼とだけでもいいんだけど、これも付き合いってやつなのかな。プールに誘ってくれたのは彩香だし、宿題も頑張ったらしいから少しぐらい相手してあげなきゃ可哀想だもんね。
私達は揃ってウォータースライダーの列へ。待ち時間の表示を見ると10分くらい並ぶことになるみたい。
列が進み、しだいに上の方まであがっていくとそれなりに高さがあることがわかる。特に高所恐怖症でもないから足がすくんだりはしないけど、それでもなかなか迫力がある。
私達が並んでいる間にも、次々に人が滑り降りていく。皆一様に『わー!』とか『きゃー!』なんて笑い混じりの叫び声を上げている。
最初に目についたから選んだけど、こうやって見ていると楽しそうで期待が高まってきた。
「結構高いよね。栞はこういうの平気?」
下を見下ろしていると涼が声をかけてくれた。これはきっとチャンスだよね。
あざといかもしれないけど、涼に対しては妥協はしない。少し不安げな表情を意識して、上目遣い。
「ちょっとだけ怖いかも……。だからしっかり掴まえててね?」
「わかってるよ。離さないから大丈夫。意外と栞って怖がりなんだね?」
「だってこういうの初めてなんだもん。でもね、涼と一緒ならたぶん平気だよ?」
「まったく、栞は甘えん坊なんだから」
涼はよしよしと頭を撫でてくれる。相変わらずの優しい手付きが心地良い。ちょっぴりくすぐったくて幸せな気分になっちゃう。
学校でやらかしてから、涼は人前でこういうことを恥ずかしがってあんまりしてくれないのに。きっと私の作戦が成功してるんだろうね。人目が気にならないくらい私のことだけ見てくれてるってことだもん。
「なんか高原君、しおりんにいいように転がされてるよねぇ」
「いいんじゃね? 涼もなんか嬉しそうだし」
「そりゃねぇ、だってしおりん可愛いし。でも……、私達の空気っぷりときたら……」
彩香達がなんかコソコソ話してるけど、バッチリ聞こえてるからね? 幸い涼の耳には届いていないみたいだけど、転がすなんて人聞きの悪いこと言わないでもらいたいよ。私、そんな悪い女じゃないんだから。ちょーっと涼の庇護欲をくすぐってるだけだもん。
そんなこんなでようやく私達の番がまわってきた。彩香と柊木君は一足先に滑っていって、下で待っててくれることになっている。
私が前で涼が後ろという順でスタート位置についた。涼の腕が私のお腹に回されて抱きかかえられる形に。これでも十分くっついてるけど、我儘な私にはまだ足りない。
「ねぇ、涼。もっとぎゅってして?」
「これくらいかな? 苦しくない?」
「もっと強くして。じゃないと私、怖いなー?」
「ちょっと恥ずかしいんだけど……」
なんて言っても、要望に応えてくれる涼。背中が涼とぴったりくっついて密着すると安心感が段違いになった。
次は涼に前になってもらうのもいいかもね。背中にぎゅってくっついたら、いったいどんな顔をしてくれるのかな?
もう私の頭の中は、どうやって涼と楽しんでドキドキさせるかでいっぱいなんだ。
「それじゃ、いってらっしゃーい!」
係員さんの掛け声でスタートを切ると、水の流れも手伝ってどんどん速度が上がっていく。涼も勢いに負けないようにしっかりと私を捕まえていてくれる。
「わわっ! 結構はやっ!」
「あははっ、すごーい! ねっ、涼?」
「えー? なんだってー?」
涼は私の耳元で話してるからしてるから聞こえるけど、私の声は水の音にかき消されて涼に届かないらしい。
それでも構わない。きっと私がはしゃいでいるのは伝わってるだろうから。涼と一緒だと何もかもがキラキラして見えるんだよ。
「ふふっ、なんでもなーい!」
いくつもカーブを曲がって、私達は一塊になって勢いよく出口から飛び出した。
あーもうっ、最高に楽しいっ♪




