関係のアップグレード2
「ところで涼君、栞の誕生日は知っているかな?」
これで交際を認めてもらえた、と思ったところでのこの質問。俺としてはこれで話すことはなくなったわけだけど、聡さんにはまだあるようだ。
意図はわからないものの、栞の誕生日ならば教えてもらっているので知っている。
「10月27日、ですよね?」
「うん、あってるよ。じゃあその日が何の日かは知ってるかい?」
「いえ、さすがにそこまでは……」
「まぁそうだろうね。その日はね、読書の日なんだ。私も文乃も割と本を読む方でね」
「はぁ……」
急に栞の誕生日について語り始めた聡さん。この話が、さっきまでの話といったいなんの関係があるのだろうか。
「そんな日に生まれたこの子に私と文乃は『栞』と名付けたんだ。私達の人生という物語、その中の幸せな出来事のページに挟み込む『栞』になってほしいという思いを込めて、ね」
思いがけず知ることになった栞の名前の由来。とても素敵だし、本当にご両親から大切にされているのだと思う。
俺の名前なんて両親の名前の頭文字を合わせただけ。『水』と『京』で『涼』、なんとも単純なものだ。ついでに言えば涼しくなってきた頃に生まれたから、だそうだ。
そんな俺の思考を遮るように聡さんは続ける。
「でも実際には幸せなことばかりじゃなかった。栞が傷付いて塞ぎ込んで……、それがわかっているのに何もしてやれずに、私達も苦しんだよ。大切な一人娘だというのに、私達は無力だったんだ」
聡さんの目尻にじんわりと涙が滲んでいるように見える。その目は真っ直ぐに俺をとらえて。
「でも涼君はそれをあっさりと取り除いてくれた。私達が一年以上かけてもできなかったことを、たったの数ヶ月でね。この子の笑顔を取り戻してくれた。そして涼君が今も栞のことを大事にしてくれているのも、最近の様子を見ていればわかるよ」
「それは、まぁ……」
栞の問題の解決については栞自身が頑張ったのが大きいとは思うが、その隣には俺がいたのは本人からも言われているし、俺ももう認めているところだ。
栞のことを大事にしたいと思えるのも、俺もまた栞に救われたからで、栞が真っ直ぐに愛情を向けてくれてくれているからこそだ。
「だからね、そんな涼君にここまで言われたら、私も認めざるを得ないじゃないか。まぁ、まだ二人とも高校生だ。今すぐというわけにもいかないだろ?」
ここにきて、ようやく俺は何かおかしいなと思い始めた。『今すぐ』とはいったい聡さんは何を言っているのだろうって。交際を認めてくれるだけにしてはどこか重苦しい空気だし。
「涼君」
「は、はい!」
聡さんの真剣な目が俺を見据える。
「栞との結婚を許すよ。ひとまずは婚約者、ということになるだろうけどね」
「は……? えっ?! けっこ……、婚約?!」
「栞のことをよろしく頼むよ」
聡さんは俺に向かって深く頭を下げた。大人にこんなことをされたこともないし、思っていたのと違いすぎる展開に焦る。
「ちょ、ちょっと聡さんっ?! 結婚って……」
「ん? あれ……? そういう話じゃなかったのかい……?」
…………。
微妙に話が噛み合っていなかったことで俺も聡さんも戸惑い、なんとも言えない沈黙が訪れる。
「……ぷっ」
その静寂を破ったのは文乃さんだった。成り行きを見守っていたはずの文乃さんが吹き出したのだ。そしてプルプルと震えながら笑いを堪えている。
「……ふ、文乃?」
「ご、ごめんなさいっ。ふふ……、あははっ」
ついには抑えきれずに笑い出した文乃さん。父さんは相変わらずだが、母さんもクスクスと笑い出して。俺も聡さんもポカンとしてしまう。
「よかったわね、栞。お父さん、涼君との結婚を許してくれるって」
「……? えぇぇっ?! けっ、結婚?!」
栞もどうやら途中からフリーズしていたらしい。文乃さんの言葉で再起動して叫び声をあげた。
「え……、文乃? 私はなにか間違って……?」
「涼君はね、たぶん栞と付き合うのを認めてほしかっただけだと思うわよ? 私も前に同じこと言われたもの。それなのに、ふふっ、結婚まで許しちゃうんだもの」
「なっ……!」
「私がついノリで涼君のご両親を連れてきちゃったからなんでしょうけど、ね?」
文乃さんは栞そっくりの、いたずらが成功した時の顔をして、俺に向けてパチリとウインクを決めてきた。どうやら俺達は文乃さんの手の上で踊らされていたらしい。
「涼ったら、この状況なのに大真面目な顔であんなこと言うんだもの、そりゃ勘違いもされるわよ。私も途中から笑いを堪えるのに必死だったのよ?」
黙りを決めていた母さんも茶化すように言う。
「でもね、なかなか格好良かったわよ。お父さんがうちに挨拶に来た時なんて、ねぇ?」
「お、おい、その話は……」
俺と比較されて貶される父さん、哀れ……。
というのは今は置くとして、この話は結局どうなるのか、と思っていると、
「あー、涼君……。なんか色々と勘違いがあったようだが……、うん。栞のこと、任せたからね?」
どうにも引っ込みがつかなくなったのだろうか、聡さんは再度俺に頭を下げた。
「えっと、はい……、でいいんですかね?」
俺ももうわけがわからなくなって、そう答えるのが精一杯だった。チラッと隣の栞の様子をうかがうと、少しだけ唇を尖らせていて、
「私、まだプロポーズだってされてないのに……」
そうポツリと呟いた。
そういえば、数日前にプロポーズがどうとかって話になって、まだ早いと言ったばかりだった。
もう順番なんてめちゃくちゃだし、まだなんの用意もないけれど、こうなってしまった以上は、ちゃんとした言葉くらい必要なのかもしれない。栞との関係は何においてもいい加減にしたくないから。
でも今すぐにこの場で、というのは俺の精神力が保たない。それに、その言葉は栞にだけ聞いてほしい。告白の時もそうだったが、そういう大事なことは二人だけのものにしたいという思いがある。
だから、問題を棚上げするわけじゃないけれど、少しだけ待ってもらうことにする。
「栞……? それは、二人きりの時に改めて、でいいかな……?」
「うんっ、待ってるねっ!」
花の咲くような栞の笑顔を見ると、勘違いから始まった婚約という話も、もうこれはこれでいいのではと思ってしまう。栞と別れる未来なんて考えられないし、二人きりだった間もそうなりたいと思いながら過ごしていたのだ。
いつか聡さんに許しをもらわないとならないのなら、それがただ早まっただけのことだ。むしろ今後も気兼ねなく栞とイチャつけるというものだ。
ぎゅっと抱きついてくる栞を受け止めながら、俺はそんなことを考えていた。
ただ一つだけ気になったのは、この後のこと。
「栞も助けられるばかりではいけないよ。ちゃんと涼君を支えてあげないとダメだからね?」
聡さんにそう言われた栞が、不安気な顔になった気がしたことだった。
ただそれも一瞬で、すぐに笑顔に戻った栞に安心して、囃し立てる両親達の喧騒によって俺の頭の中からもかき消されていった。




