誕生日 朝の風景
身支度を全て整えてダイニングへ行くと、栞はパタパタとテーブルとキッチンの間を往復して俺の朝食の用意をしてくれていた。
あれから毎日のことになっているので、さすがにもう母さんも何も言わなくなった。きっと、これが日常になったという証拠なのだろ。
「おはよう」
家族といえど、こういう挨拶はちゃんとするようにしている。というよりも、小さい頃からの習慣なので考える前に口が動く。
「おはよう、涼。それから、誕生日おめでとう」
「あぁ、うん、ありがと」
母さんからお祝いの言葉をもらったが、なんとなく例年に比べてあっさりしているような気がする。もう両親に祝われて大喜びする歳でもないので別に構わないけれど、どことなく違和感を覚えた。
違和感を覚えながらもそこまで気にならないのは、最愛の人からはしっかりお祝いしてもらえたからだろう。その当人は配膳を終え俺を椅子に座らせると、俺の席の正面に置かれた真新しい椅子に腰を落ち着けた。
その椅子は前回の週末に俺の両親が買ってきたものだ。それまで栞は食事を終えた後の母さんの椅子を使っていたのだが、毎日のことならあったほうが良いだろうと母さんが提案してくれたのだ。
我が家に確かな形のある栞の居場所ができたのは、こそばゆく感じながらも嬉しかった。栞もいたく気に入ったようで、初めて座った時なんかはしばらく立ち上がろうとしなかったほどだ。
「ほら、涼。早く食べないと遅刻しちゃうよ?」
「そうだった。いただきます」
ニコニコ顔の栞に見つめられながらの食事というのもだいぶ慣れてきた。というよりも、栞の言うように急いで食べないと電車の時間に間に合わなくなってしまうからというのが大きい。
一応一本後の電車でも間に合わないこともないのだが、それだと駅から学校まで走らなければならなくなる。
朝から走りたくはないし、真面目な栞は余裕を持った行動を心がけているので俺もそれに合わせているというわけだ。
せっかく栞の用意してくれた食事なのだから落ち着いてとは思うけれど、時間がないのでしかたがない。栞の用意してくれた食事と栞本人を比べたら、どちらに軍配があがるかなんて明白なわけで。つまり朝の時間を奪っている原因の半分は栞にあるのだ。
そんな事を考えながら、パンの最後の一欠片を口に放り込んで、コーヒーで流し込んだ。
「ふぅ、ご馳走様。今日もありがと、栞」
「うんっ、どういたしまして」
俺がお礼を言うと、いつも栞は幸せそうに笑ってくれる。お世話をされて幸せなのはむしろ俺の方だと思うのに。
時計を見れば家を出る時間まで残り5分をきったくらいなので、今日もどうにか間に合ったようだ。
一度自室に戻って鞄を掴んで玄関へ向かうと、すでに栞は靴を履いて待っていた。俺も靴を履いて、栞と一度だけキスを交わす。
それから、
「「いってきまーす」」
二人揃ってリビングの母さんに向かって叫ぶ。
「いってらっしゃーい」
母さんの返事を聞き届けてから家を出る。もちろんしっかり手を繋いで。
と、寝起きの過剰なスキンシップはあったものの、最近の我が家の朝はだいたいこんな感じだ。誕生日だろうとそれはそう大きくは変わったりはしない。
「おっす、ご両人」
「おっはよー、二人共!」
教室について、机に鞄を引っ掛けたところで遥と楓さんが寄ってきた。この二人はいつも俺達より先に教室にきている。特に最近は文化祭のことでやることがあるらしく、以前より早く登校するようにしているとかなんとか。
「おはよう、遥。楓さんも」
「おはよ。彩香は今日も朝から元気だね」
「あぁ、こいつはそれだけが取り柄だからな──って、──あっ、ちょっ、やめ!」
余計な事を言ったばかりに、楓さんからお仕置きを受けるはめになった遥。ポコポコと胸を叩かれているのは、端からはイチャついているようにしか見えないけど。にしてもそれだけじゃないってわかっているくせに、まったく遥は素直じゃないんだから。
しばらくしてお仕置きから開放された遥は頭をかきながら口を開いた。
「あーっと、それで本題なんだけどな、例の件少しだけ進捗あったぞ。学年主任に話を持っていったのにまさか教頭にまで話がいくとは思わなかったけどな……。とりあえず頼み込んで住所と名前だけは教えてもらえた」
「本当?! すごいじゃん!」
「本当はダメだけど、目的を話したら渋々って感じだったな。バレたらやばいって言ってたから、情報の出どころはくれぐれもここだけの話にしといてくれよ?」
「そりゃもちろん」
例の件、というのは文化祭で俺達が内密に進めている計画のことだ。遥の話によれば一番の難所だと思われていた部分がクリアできたことになる。どうやってあの人に接触するかが、この計画の最大のポイントだったから。
まだ承諾を得られるのかと、もう一人のターゲットにバレないかという心配はあるが、そこはもう運に任せるしかない。ひとまず今は一歩前進したことを喜ぶべきだ。
「ところで、栞……?」
「ん〜? なぁに〜?」
「さっきから何してるの……?」
「んふふ〜」
栞からはまったく答えになっていない照れ笑いが返ってきた。
いつもならこうして皆で話をしている時は俺の隣に立っていることの多い栞。それがなぜか今は俺の背後にいる。そして、さっきから俺の後頭部は柔らかくて幸せな感触に包まれているのだ。更には首の後ろから腕が回されて抱きしめられて、頭頂部には頬擦りされているような感覚まである。
学校で色々とやらかしてきた俺達だけど、決して毎日やらかしてるというわけじゃない。当然、いきなりこんなことをされると俺もビックリする。
「あっ、私もそれ思ってた! また一段とべったりだなぁって。ねぇ、しおりん? 今日はなにかいいことでもあったの?」
「ふふ〜ん、それはねぇ──」
楓さんからの問いかけに栞は少しだけ勿体つけたような間を空ける。
それから、
「──今日は涼の誕生日なのっ」
弾むような明るい声で言った。
途端に遥と楓さんの目がジトッとしたものに変わり、揃って俺を見つめてくる。
「……えっと、なんでしょう?」
「聞いてねぇぞ。なんでそういう大事なことを言わんかね?」
「そうだよ! 水臭いじゃん!」
「いやぁ、ほら……。聞かれなかったし……?」
というか、わざわざ自分から誕生日を伝えるなんて、祝ってくれと言ってるような気がして言い辛いものがあるわけで。なんかこう、図々しいというかさ。
「そもそも涼は私がおめでとうって言うまで忘れてたけどね?」
栞がそう言うと、遥と楓さんは呆れた顔をした。
「自分の誕生日を忘れるなよな……」
「もしかして高原君って意外と抜けてる?」
「ほら……、ここのところ忙しかったし……? それどころじゃなかったというか……」
「まぁ、なんにせよだ。涼、誕生日おめでとうな」
「あっ、そうだよね、先にそっちだった。おめでとう、高原君!」
「うん、ありがとう」
伝えていなかったことで文句は言われてしまったけれど、こうして祝ってもらえたことは胸にジンと来るものがある。去年までは誰にも知られることなく終わってしまっていたので余計に。
栞と出会ってから本当にいろんなことが変わった。栞との関係はもちろんのこと、こんな友人ができたのもものすごい進歩なんだと思う。
「そういえば俺、遥達の誕生日も知らないけど?」
「あー、確かに言ってなかったな」
俺も俺だけど、遥も遥だ。文句を言うのなら自分のも教えておいてほしいところだ。
「んーっと、俺が5月16日で」
「私は7月7日だよっ!」
「二人共もう終わってるんじゃん……!」
「そうだな。まぁ、来年祝ってくれや」
「そりゃ、覚えておくけどさ……」
今日のお返しはまだ少し先のことになりそうだ。近いところで言えば──
「それで、しおりんはいつなの?」
「私? 私は来月だよ。10月27日」
「おー! しおりんは後ちょっとだ!」
そう、栞の誕生日はわずか一ヶ月後なのだ。この後の中間試験や学校祭なんかで忙しくなるのはわかりきっているので、絶対に忘れたりしないようにしなければ。まぁ、俺は基本的に栞のことばかり考えているので忘れることはないと思うけど。
プレゼントなんかは早いうちに考え始めておいた方がいいかもしれない。なにせ女の子がもらって喜ぶものなんてさっぱりわからないのだから。
やるべきことが増えてしまったけれど、栞のためだと思うと全然苦には思わない。それどころかワクワクと楽しくなってくる。
いつも側で支えてくれる栞。
いろんな初めてを運んでくれる栞。
こんな俺をその全てで愛してくれる栞。
そんな栞の喜ぶ顔が見たいから。
とは言え、今日のことろはまだ栞がなにか考えてくれているようなので、ひとまずそれをしっかりと受け止めようと思う。