故郷の味
「静かな場所……って言ったよなぁ」
俺は思わず、そう呟いた。
俺たち四人は、冒険者ギルドを出てすぐ、王都に新しくできたばかりの飲み屋に来ていた。
王都の大通りに面したその店は、以前そこにあった道具屋や古ぼけた飲み屋の土地をまとめて買い取って建てられたらしい。随分と広い敷地に立派な店を構えている。
店の中は、一部が吹き抜けになった二階建てで、吹き抜けの下からはかなり高い天井が見えて開放感がある。二階も十分な天井高だ。調度品も一見して高級そうなものがそろえられていて、地方の飲み屋とは一線を画している。いや、王都でルークスさんたちと入った飲み屋よりも高級そうだ。
人気店だということを売らずけるように、昼間だというのに客でごった返していた。
屋根を支える立派な柱の周囲に、テーブルと椅子が所狭しと並べられ、賑やかな話し声と、料理の香りが充満している。
「……こんな場所で機密性の高い話ができるのか?」
ヨハンさんが珍しく、低い声でいぶかしむ。ヨハンさんはこういう場所が苦手そうだ。
ごもっともです。俺も心配です。はい。
「静かな場所って言ったのは、オットーさんですよね?ってか、オットーさん、この店が静かに見えるんですか?」
おそらく今の俺はかなり不機嫌そうだと思うんだが、そんなこと気にするそぶりもなく、オットーさんはニヤニヤしながら、手でジェスチャーした。
ん~。そういうとこですよ。多分。カールさんから嫌われてるところ。
と、思ったが、オットーさんはこともなげに言う。
「そりゃあ、静かじゃないさ。だが、周囲が騒がしい方が、逆にこういう込み入った話はしやすいだろう?」
「まあ、そういうことだ」
フリードリヒさんも同調するように頷く。
「そういうこった。俺たち四人がテーブルを囲んでいるだけで、誰もこの会話の中身なんて気にしねぇさ」
俺とヨハンさんは顔を見合わせた。確かに、これだけうるさければ、近くの席の会話なんて聞き取れないかもしれない。
「まあ、そういうならいいですけど」
俺は渋々受け入れ、椅子に腰を下ろした。
すぐに店員がやってきて、フリードリヒさんとオットーさんが淡々と酒を注文する。俺は、ヨハンさんの情報が気になっていた。
ヨハンさんがさっき言ってたんだよな。『この新しい酒場は魚料理が美味い』って。
俺がこの世界に転生してから、海を見たことがない。この世界が島国なのか、大陸なのかもわからない。かなり広い面積があることはわかるが、少なくとも王都は内陸にあるので、食べられるとしても川魚だろう。
とはいえ、それでも久々の魚料理だ。心躍らずにはいられない。
どんな魚が出てくるかなぁ。塩焼きだと嬉しいなぁ……心の中でそう呟きながら、料理を待つ。
そして、注文した料理が運ばれてきた瞬間、俺とフリードリヒさんは同時に、言葉を失った。
運ばれてきたのは、「刺身」と「煮つけ」だった。
大きな皿には、美しく切り分けられた「生魚の切り身」が並べられている。そして、土鍋からは、醤油と砂糖で甘辛く煮込まれた魚と、生姜の香りが湯気と共に立ち上っていた。
「……え?」
「……は?」
俺は思わず、二度見した。
横を見ると、フリードリヒさんも同じ表情だ。
ヨハンさんとオットーさんは、単に「珍しい料理」が来たという様子で、それを見ている。この世界では、生魚を食べる習慣も、これほど甘辛く煮込む文化もない。だからこそ、彼らには『変わった味』として映るだけなのだ。
でも、俺とフリードリヒさんは違う。日本からの転生者である俺たちにとって、これは故郷の味そのものだ。
「おい、サトシ。これ……」
フリードリヒさんが小声で、しかし切羽詰まった声で俺に問いかけてきた。
「はい。間違いないですよ。転生者です。それも、日本の」
情報共有どころではない。こんな料理を出すということは、この店の料理人、あるいはこの店のオーナーは、俺たちと同じ世界から来た人間だ。カルロス一味の手がかりかもしれない。
「急ぐぞ!」
フリードリヒさんは立ち上がるや否や、駆け出した。俺も慌ててその背中を追う。
「ちょ、ウルフの旦那!どこ行くんだよ!」
オットーさんが驚いて声を上げるが、俺たちは無視して店の奥にある厨房の入り口に突進した。
厨房は、ホールとは違い、熱気と湯気で溢れていた。腕を振るっていたのは、四十代くらいの強面の男性料理人だ。
「すいません!この料理、誰が作ったんですか!?」
俺が息を切らせながら尋ねると、料理人は怪訝な表情で俺たちを見やった。
「なんだ、騒々しいな。料理が気に入らねぇのか?」
「いや、逆だ!完璧だ!この味付けと調理法、この生魚の扱い……誰に教わった!」
フリードリヒさんが捲し立てる。
料理人は顔をしかめ、持っていた包丁をまな板に置いた。
「このレシピはオーナーが考えた企業秘密だ。それ以上は何も教えられねぇ。あまり騒ぐようなら、つまみ出すぞ。文句がねぇなら黙って食え!」
冷たい声でそう言い放たれ、俺たちは一気に水を差された気分になった。
これ以上騒いでも、情報が得られないどころか、厄介者扱いされるだけだ。俺たちは互いに顔を見合わせ、渋々厨房を後にした。
テーブルに戻ると、ヨハンさんが変わらず無表情で、刺身の切り身を眺めている。オットーさんは面白そうに笑っていた。
「随分と慌てたな、ウルフの旦那、それにサトシも珍しいな。あんなに取り乱すなんて。この料理はそんなに美味そうかい?」
オットーさんは、俺とフリードリヒさんの行動から何やら確信めいた推測をしているようだが、みなまでは言わなかった。
「ああ。とてつもなく美味い。まさかこんな場所で故郷の味が食べられるとはな」
フリードリヒさんはそう言って、渋い顔で席に着いた。
俺も刺身をカトラリーで取り、口に入れる。この味付け……醤油が僅かにかかっている。そんなものまで……
とはいえ、醤油が貴重なのか、塩と香草も使い味を調えられていて魚の旨味が引き立っている。
刺身というよりはカルパッチョに近いかもしれないが、今の俺には十分すぎるご褒美だった。
「マジで美味いですよ、これ。ヨハンさん、良い情報ありがとうございます」
俺は興奮気味にヨハンさんに感謝を伝えた。
「……そうか」
ヨハンさんは一言だけ返すと、甘く煮付けられた魚を口に運び、小さく頷いた。
こうして、俺たちはこの世界では珍しい魚料理の味に酔いしれていた。




