桔梗の花の咲く頃に、幸せの鐘は再び鳴る
「それでは、新郎新婦に祝祭の拍手を」
神父さんの声に呼応するように、僕の友人や藍華の親族や友人が拍手を届けてくれる。
でもその中に僕の親族は二人しかいない。親族のなかでも特別仲が良かった従兄弟だけだ。
両親はこの結婚に反対ではなかったが、結婚式に出席すれば、僕の以前のパートナーの玲香に申し訳が立たないといって参加していない。
というか、両親は才色兼備で器量がよかった玲香をひどく気に入っていたので、なにも言わなかったけれども内心としては先の離婚に反対していたのだろう。
ここまでの話から分かるように僕は少し前に数年来連れ添ったパートナーの玲香と離婚した。
お互いに不満があったわけではないし、お互いがなにか何か不祥事を犯したというわけでもない。
ただお互いに次のステップに進むために離婚しようというような円満なものでもない。
ただ、僕がこれではいけない気がした。
それが理由だ。
僕は定職に就くことが出来なかった。
実家が幅広く商売に成功しているため、仕送りだけで生活できるくらいにはお金に困ったことはない。
しかし僕の性格は流れが速すぎるこの社会の荒波の中で岩部にしがみつけるほど強くはなかったらしい。
自分で言うのもなんだが、それほど仕事ができないわけではないと思う。
だけど、一度の失敗で中学時代の友人を失くしたトラウマからだろうか、失敗が許されない場面に立つといつも足がすくんで動けなくなってしまう。
しかも言いたいことは言わねば気の済まない性分なのか、なんとか就いた仕事でも細かい不備やミスを見つけると指摘の言葉が誰に対しても口をついて出てしまう。
当然、自分が出来ていないことも気づいてしまうわけで、それを直そうとするのだが、そうすればするほど独りでに追い詰められてしまう。
言わば口だけ番長のようになっているのだ。
そうして気づけば人の欠点を指摘するだけしておいて自分は欠点だらけで何も出来ないという失格の烙印を押されて仕事をやめてしまう。
それが何度も続いた。
実家で働くことを打診されたこともあったが、それをすると負けたような気がして受け入れなかった。
仕事は出来ないくせに人には指摘して、妙なプライドを発揮させて他人の好意を台無しにしてしまう。
そんなどうしようもない僕を献身的に支えてくれたのが玲香だ。
彼女は僕が働けるように様々なアプローチで試行錯誤した。あるときは臨床心理士を雇って、またあるときは洗脳の達人と呼ばれる胡散臭いおじさんをつれてきて挑戦した。
しかしそのどれもがうまくいくことはなく僕は「どうせ駄目なんだ」と悲観するようになり、気づけば玲香に全てを依存するようになっていた。
失敗しても他人に迷惑をかけない料理は自分で出来たが、その食材は玲香が買ってくるものに依存していたし、その他の家庭のことも外のことも全てが玲香なしでは何もできなくなっていた。
金銭面は依存していないとはいえ、それはそれでまた実家へと依存している。
すなわち僕が自分自身の力で行えることは何一つなくなっていた。
ある時、誰にも必要とされないまま、何も成し遂げられないままに朽ち果てていくような未来が見えた。
それがとても怖かった。身震いした。
同時に僕は玲香にとって迷惑でしかないのだろうか、とそうも考えるようになった。
玲香は何も言わないし、もしかすると本人もそうは考えていないのかもしれない。
だけど、今の僕は玲香と実家から甘い蜜を吸い続けて生きるだけの寄生者に過ぎないのではないか。
このままいけば自分の力で生きる意思すらも喪って、再起不能になるのではないか。
このままではいれない、とそう思った。
このままでは誰にとっても害悪でしかない存在に成り下がってしまう。
そう考えて僕は玲香との誓いの十字架を折った。
それからは自分との戦いだった。
決意を揺るがすであろう玲香との契約だけでなく甘んじて受け付けていた実家からの援助も何もかもを全て捨てて、過去の労働で稼いでいた十数万円を片手に、それ以外には何もなく六畳もない小さなボロアパートを借りた。
その生活は壮絶で、今までただの一度も経験したことのない
逃げたい、もうやめてしまいたい、玲香のいるところに戻って楽な堕落した生活に戻りたい。
何度も悪魔の甘い囁きが木霊した。
それをがんばって払い除けながら、何度も採用試験を受け続け、日雇いの肉体労働にも従事して、がむしゃらに努力を続けた。
そうして月日は巡り、玲香の元を去ってから二回目の秋になった頃、遂に何十社目かの採用試験で合格を貰えた。
その頃には失敗へのトラウマも薄くなっていて、戻ってもよかったのだと思う。
でももう、きっと彼女の心は僕のそばから離れていっているだろう。
玲香の幼馴染みで花屋をしている三津は、玲香のことを好いていたようだし、玲香と別れた数日後にやって来た三津は、「ぼくが玲香さんを幸せにする。だからお前は二度と近づくな」と僕を殴りながら言っていたから。
それに今は職場で知り合った僕と趣味があって、僕のことを好きでいてくれる藍華がそばにいる。
僕が玲香に抱えている愛は二度と消えることはない。
彼女は僕を支えてくれた存在だったし、玲香と僕は全く違うように見えてどこか似たものがあった。
そうでなくとも好きだ。
恋人なんてそれだけでいい。
僕は別々の道を進むことになる玲香に胸の中で別れとさよならを告げながら、家に咲いていた桔梗の花を思い起こした。
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「暖かいベルのままだったら」のリンクです。
こちらを見ていただくことでこの話がより深くわかると思いますので、ぜひ一読ください。