来客
「雪!」
雪が、涙を拭いて黙々と買ってきたものを整理していると、正子の声が聞こえた。
(…なに?ちょっと声色がいつもと違うわ。)
怪訝に思いながらも、少し大きな声ですぐに返事を返す。
「はい、お義母様。」
すると、どこにいるかわかったらしい正子が、雪のもとへ来た。
「あなたにお客よ。…あの女そっくりの顔が役立ったわね。」
最後の言葉は、雪の耳元で小さく囁かれた。
「どういうことですか…?」
「あなたを花嫁候補にしたいって、となり町の、あの鳳財閥の方がいらしてるのよ。」
「え?」
雪は、頭が真っ白になった。
町が違えど、この地域一帯の領主でもある鳳財閥の名を知らない者はいない。
長男が花嫁を探しているとの噂は雪も聞いたことがあったが、それは上流階級の家柄同士の話…まれに下流、中流階級の親が家のためにうまく嫁がせることはあるが、そもそも藤宮の娘として扱われていない雪には、関係のない話のはずだった。
「何でも、変わった髪と目の色をした女がいるって噂を聞いたらしいわ。」
正子の言葉を聞きながら、雪は、市場で聞いた噂を思い出していた。
『何人もの花嫁候補が泣かされたらしい』
『冷酷非道で、にこりともしないらしい』
花嫁を探している長男について聞いた噂は、どれも悪いものばかりだ。
(……これもある種の誕生日の贈り物かしら。)
「連れて参りました。」
半ば現実逃避をしながら、雪は来客が待つ部屋に入った。
「失礼します。雪と申します。」
しとやかに、頭を下げてあいさつをする。
顔をあげると、スーツを来た品の良い男性と目があった。
父親が生きていれば、同じくらいの年齢だろうか。
「鳳家から参りました、柳と申します。…噂通り、美しい髪と瞳をお持ちですね。」
穏やかに微笑むその顔に、雪の警戒心は少し薄れた。
「急に押し掛けてしまい、申し訳ございません。鳳家の跡継ぎであります、樹月様が、ぜひ雪様が18歳になり次第、花嫁候補としてお呼びしたいと前々から申しておりまして。」
政略結婚となれば、場合によっては18歳に満たなくてもできる。
だが、この周辺では常識的に18歳を越えてからの嫁入りが多く、名家の女は、20歳になる頃には、ほとんどの者が親に決められた相手の家に嫁ぐ。
本来ならば、姉である優子が先に花嫁候補になるはずだが、どうやら本当に、この唐突な申し出は、雪の容姿が関係しているらしい。
「光栄でございます。雪、お待たせしないよう、すぐに準備をなさい。」
外向けの優しい笑顔と声だが、雪にはわかる。
粗相は絶対に許さない、という圧力が込められていることに。
(そりゃそうね…。まさかこんな大物からうちに縁談がくるなんて、本当ならありえないもの。)
「本日が生誕日だと聞いております。家族にお祝いをしてもらう時間も大切でしょうから、明日、もしくは一週間後でも、ご都合のよろしい時にお迎えにあがりますよ。」
「お気遣い感謝致します。家族では、もう朝から盛大に祝いました。可愛い娘と離れるのは辛いですが、この子も鳳様に早くお会いしたいと思いますので、本日連れていっていただいて構いません。ねえ、雪?」
(…誕生日なんて忘れていたくせに、嘘がお上手ね。)
「はい。すぐに準備致します。」
一刻も早くこの家から離れたいー…
雪はその一心で、すぐに部屋に戻って荷物をまとめた。
まとめてみると、名家の娘とは思えない荷物の少なさだった。
途中から優子のお下がりしかもらえなくなった着物、こっそり持っていた父と母の写真…父がいなくなってから、雪が持っていた物は、ほとんど捨てられていた。
肌身離さずつけていた、母の形見のペンダントが無事だったため、雪は何とか耐えられたが、それ以外の母に関するものは、もう何も残っていない。
雪は何もなくなった、殺風景な部屋にぺこりと頭をさげた。
(お父様、お母様。18年間、ありがとうございました。ふたりの写真を持っていきます。雪を見守っていてくださいね。)
一度目を閉じ、深呼吸をして、雪は鳳家の使いである、柳が待つ馬車に急いだ。