003.ジョン、ソコノ村へ行く
村へと向かいがてら、俺たちはお互いのことを話し始めた。
と、言っても、俺には記憶がないから、聞き役に徹するばかりだけどな。
「ねぇ、お兄ちゃん。帰ったら、セフィちゃんに腕診てもらおうね!」
「セフィちゃん?」
「私の仲間の、治療術師だ。セフィリアと言う」
心配そうに、俺を腕を見つめるウェンディが、聞き覚えのない名前を口にする。
俺が首を傾げていると、辺りを探っていて、会話に混ざっていなかったシュゼさんが、そう紹介してくれた。
「アイツには、待機してもらっているんだ」
「そうなんですか」
記憶がない、と言っても、常識まで忘れているものと思っていないのか、俺が「治療術師」を知っている感じで話が進む。
何となく想像はつくものの、知っている訳ではない。聞いた方が良いか?
うーん……聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥って言うし、聞いとくか。
「因みに、治療術師って何ですか?」
シュゼさんが、勢い良く俺の方へ顔を向ける。
あまりの勢いに、兜がガチャン、と激しい音を立てたくらいだ。
……あれ、そんな驚く程?
「そう言えば、記憶がないと言っていたか」
「そうなんですよねー」
「言葉は話せるようですが、そうした常識も抜け落ちてしまっているのですか?」
「みたいですねぇ」
シュゼさんは、兜の隙間から少しだけ見える眉間に、皺を寄せていた。
イルフェン村長に続けて尋ねられたから頷くと、「お労しい」と憐れむように呟かれた。
そこまで大仰に受け取られても、俺、困るんだけど。
微妙な気持ちになりながら、俺は続きを促した。
「それで、治療術師とは何ですか?」
「職階と呼ばれる、戦闘スタイルの一つだ。回復魔法を使うことに特化している」
「へぇ。傷を治せるってことですか」
「セフィちゃんは、スゴいんだ! この傷もすぐ治してくれるよ、きっと」
「そっか」
ニコニコと、嬉しそうに目を細めるウェンディの頭を優しく撫でる。
体感的には、その人の手を煩わせる程じゃない、とは思うんだが、ウェンディたちを心配させるのも悪いしな。ちゃんとお願いしないと。
「シュゼさんは、どんな職階なんですか?」
「細剣士だ。職業は、剣士」
「じょ、職業?」
「戦闘スタイルを表す、最も大枠の言葉だ」
ますますゲームみたいだな。
けど、冷静に聞いてる俺。ワクワクしても良さそうだけど、何でだろう?
「シュゼ姉たちは、王都でも有名な凄腕の冒険者ギルド『星々の行路』のメンバーなんだ! 冒険者は分かる?」
マイケルが、ひょこっと俺の顔を覗き込んで、首を傾げた。
分かるーって、言えるような知識量じゃないよな、俺。
苦笑気味に頷く。
「いや、分からないな」
「世界の各地にある、迷宮ってところに入って、魔物を倒したり、宝物を取ってきたりする仕事だよ!」
「すっごくお金がもらえるんだって!」
無邪気に笑う子どもたちに、シュゼさんが複雑そうに目を細めた。
それを見てか、苦笑気味にイルフェン村長が補足してくれる。
「それは、一握りの優秀な冒険者だけですし、そもそも危険な仕事で、命を落とす人々も多いのですがね」
「命を落とす危険性があるのに、わざわざ行くんですか? 中から強い魔物が出て来るから、事前に倒しておきたい、とか?」
ゲームであれば、そこに理由付けなんて必要ないだろう。
仮に死んでも、やり直せるからだ。
でも、現実はそうじゃないから、俺には大した理由もなく危険な場所に行きたがる人の気持ちが分からない。
人を守る為なら、まだ分かるが、と思って疑問を口にすると、イルフェン村長は首を横に振った。
「いいえ。迷宮から、魔物が出て来ることはありません。外に住む魔物たちとは、どうやら生態が異なっているようです」
「だとすると……その、宝物目当て?」
「そうですね。目的はそれぞれ違うのでしょうが、外では見ない魔物の死体や、宝物の回収を行うことは共通しているようですね」
「……目的は、一攫千金、研究、鍛錬など多岐に渡る」
「へぇー」
やっぱり、鍛錬目的で挑んでる人、いるんだ。信じられないなぁ。
「なら、シュゼさんたちは、今どうしてこの村に? あ、地元ですか?」
「いいや。我々は、他のギルドと異なり、国家所属だからな。こうした、国家騎士の手が届かないような場所の、平和維持管理に時間を使うことが多い。今は、ソコノ村の防衛を担っている」
「防衛……」
なんか、きな臭い単語だ。戦争でもあるって言うのか?
いや、そこまでは物々しくは感じない。ただ、何もないと言える程、シュゼさんたちの雰囲気は、ほのぼのしていない。
「えーと、国家所属ってことは、国の指揮管理下にあるってことですよね。他のギルドと、どう違うんですか?」
「冒険者ギルドは、元々、迷宮に挑み、命を落とす者があまりにも多かったことで、その対策の為に作られた、互助組織だ」
「ふむふむ」
「迷宮に入る者を管理し、調整することで、生存率は大きく跳ね上がったと言う」
「素晴らしいですね」
「ああ。その結果、冒険者たちは強くなっていった。すると、外の魔物の退治依頼が舞い込む。国でも対策を行ってはいるが、手に余ることもあるからな」
俺は、頷きながらシュゼさんの話に耳を傾ける。
と言うか、シュゼさん真面目だなぁ。まさか、ギルドの始まりから話してくれるとは思わなかったよ。いや、ありがたいけどな。
「ギルドは、依頼を冒険者に割り振り、彼らはそれをこなして行った」
「なるほど」
「だが、人という生き物は、複数集まると、争うものだ。要するに、ギルドの方針に不満を持った者が、反旗を翻したのだな」
「……え?」
……何か、きな臭くない?
「一つのギルドが、二つに分かれる。やがて、三つ、四つと分かれて行くと、別個にギルドを立ち上げる者も出て来る」
「…………」
「ギルド同士での権利の奪い合い、面倒な依頼の押し付け合いが行われるようになり、今では、各地に数多のギルドが存在するのにも関わらず、こうした僻地における、防衛依頼などが捨て置かれるようになった」
「うわぁ……」
汚い。人って、汚い生き物だよ。思わず頬が引き攣る。
俺は、そうなりたくないものだ。
「ここまで話せば、国家所属のギルドの意味が分かるだろう?」
「……全力で、貧乏くじを引きに行った、お人好し集団、ですか?」
「それは……言い得て妙だな。だが、まぁ……そういうことだ」
元々、国では手に余っていた防衛とか、救助の依頼を請け負っていたギルドが、それを放棄すればどうなるか。
当然ながら、元通りに、困っている人々が出て来る。
けれど、国は多分、これ以上手を広げる訳にはいかない事情がある。
だから、やっぱり冒険者が必要で、その為に雇われてるのが、国家所属の冒険者ギルド、ってことなのか。
「シュゼちゃんたちはね、困ってる人を助けてくれる、正義の味方なの!」
「そ、そのように美化されても困るぞ、ウェンディ」
言葉通り、困ったように微笑むシュゼさんは、綺麗だ。
いや、見た目の美醜じゃなくて。本当にそう思った。
「それに、我々は国家ギルドだ。給金は安定しているから、あまり欲の無い人間のように言われても、な」
「安定している代わりに、大きな収入もありませんし、私も、素晴らしいと思いますがね」
「僻地や、薄利の依頼を受け付ける、心あるギルドもある。私たちよりも、そちらの方が余程、素晴らしいと思いますよ」
イルフェン村長も褒めてくれてるのに、謙遜するなぁ、シュゼさん。
俺としては、実際に助けてくれる人が偉いと思うし、その人たちも素晴らしい。シュゼさんも素晴らしい、で良いと思うんだけど。駄目?
「わ、私のことは良い。それより、ジョンくん。疑問は解けただろうか?」
「え? ああ、そうですね。丁寧にありがとうございます」
「そ、そうか」
誤魔化すように一つ咳払いをしたシュゼさんは、また腰の柄を握り締めると、周囲の警戒を始めてしまった。
ギュッと口元が引き結ばれているから、これ以上話すつもりは無いのだろう。
「あっ、見えた! あそこが、アタシたちの村だよ」
「やーっと着いた! ジョン兄、疲れてない?」
「そうか、あそこが……」
話に、一応の一区切りがついたところで、子どもたちが声を上げる。
小さな指でさした方向に目をやると、確かに点々と家が見えていた。
遠目に見ても、舗装されている、綺麗な石造りの港町、といった様子に見える。
……勝手ながら、田舎のボロっちい村を思い描いていた俺。謝りたい。
「あ。村長! シュゼ殿! お帰りなさいませ」
「ああ。今、戻ったよ。セフィリアさんたちは、宿かな?」
「はい。今のところ、何も異常がありませんので」
「分かった、ありがとう」
村は、簡素ながら壁で囲われていて、そこの隙間には、門兵と思しき男の人たちが立っていた。
その内の一人が、イルフェン村長を見つけると、ホッとしたような声を上げる。
彼と、二、三言葉をかわすと、イルフェン村長は、笑顔で俺の方を見た。
「先ほど話していた、治療術師のセフィリアさんは宿にいらっしゃるので、まずはそちらに行きましょう」
「あ、ありがとうございます」
「こっちよ!」
どうも、と軽く頭を下げると、門兵たちは、まったく疑った様子もなく、笑顔で見送ってくれる。
村の中に入って、ウェンディに手を引かれながら、小走りに進んで行っても、すれ違う人たちに、怪しむ様子はない。
彼らの服装は、男の人が簡単な七分袖、丈の上下にベスト。女の人が質素なエプロンドレス? みたいな、長いスカート姿で、割と普通である。
なのに、半裸のギリシャ神話男を見ても、眉をひそめることすらないとか……なんて、なんて優しい人たちなんだ!
俺は、思わず涙ぐみそうになった。
……いや、だって結構恥ずかしいんだよ、この格好。
*****
「初めまして、私がご紹介に預かりました。セフィリア、ですわ」
「ジョンです。よろしくお願いします」
宿の、エントランス……と呼ぶ程広くはないけど、入り口にある席を案内された俺が、しばらくそこで子どもたちと戯れていると、やがてシュゼさんが、優しげな女の人を連れて来た。
慌てて立ち上がった俺を笑うこともなく、彼女は穏やかに一礼する。
薄い金色の髪に、垂れたピンクの目。ノースリーブのセーラー服に、腕を殆ど隠すアームカバー。足下まで覆うロングスカート。
文句なしに可愛いのは良いんだが、イメージしてた服装じゃないな。……お嬢様系魔法少女?
「セフィ。さっき簡単に説明したが、彼を治してやって欲しいんだ」
「勿論、お安い御用ですわ。ウェンディちゃんたちの命の恩人ならば、尚更です」
「えーっと、よろしくお願いします」
因みに蛇足だが、シュゼさんも今は兜を外していて、顔が露わになっている。
ベリーショートの銀髪に、キリッと吊りあがった細い藍色の目。全身、細身だけど、ガッチガチに固められた鎧は強そうで、セフィリアさんとは、真逆の印象を受ける。……どうでも良いんだけど!
「まぁ。シーエイプと戦ったと伺いましたけれど、この傷は……何か鋭利な……武器、にしては汚いですね。何か、折れた堅い物で切りました?」
「良く分かりますね。はい、折れた流木でちょっと……ガリッと」
「流木! それはいけませんわ。早く消毒もしなくては……」
俺の腕を取ったセフィリアさんは、垂れた目を吊り上げ、早口でまくしたてる。
怪我人を前にすると、性格が変わるタイプの人なんだろうか。
……ちょっと怖い。
「《光よ。彼の者の傷を癒したまえ……癒しの光》」
彼女が、手に持つ小ぶりな杖で、トントンと軽く俺の傷の横を叩きながら、詠唱的な物なのか小さく呟くと、杖の先から柔らかな光が溢れ出し、傷口に集まる。
その光は、しばらくキラキラと光り続け、しばらくすると消えた。
すると、結構広く、ザックリいっていた俺の傷は、綺麗サッパリ、治っていた。
「おお、凄い!」
「あら、回復魔法をご覧になるのは初めてですの?」
「俺、実は記憶喪失で……見るもの聞くもの、みんな物珍しいんですよ」
「記憶喪失……そんな。私では、お力になれそうもありませんわ。申し訳ございません……」
「あ、いやいや、気にしないでください! 俺、全然辛くないんで」
はしゃぐ俺を、微笑ましいような笑顔で見ていたセフィリアさんの顔が、曇ってしまった。
そうだよな。記憶喪失って聞いたら、俺だって心配するもんな。
これからは、あまり他言しない方が良いか。……いや、それはそれで問題か?
「ジョン様。此方に滞在している間に、何かございましたら、遠慮なくお申し付けくださいませ! 私……出来ることなら、何でも致します!」
「え? あ、ど、どうも??」
何の琴線に触れたのか、セフィリアさんは、急にガッと距離を詰めて、俺の両手を握りしめた。
目を潤ませて、凄い勢いでそう言われると……あらゆる意味でドキドキするよ。
混乱する俺を気遣ってか、シュゼさんが呆れたようにセフィリアさんを引き離してくれた。
「すまないな、ジョンくん。セフィはちょっと……怪我人に過保護なところがあるんだ」
「過保護だなんて! 記憶喪失は、立派な御病気です。私たち治療術師が寄り添わずして、一体誰が助けになると言うのです!?」
「落ち着け、セフィ」
「は、はは……」
仕事に対して、きっと情熱的な人なのだろう。深く考えたら負けだ。
俺は、思わず渇いた笑いをもらした。
「さて、治療も終わったようですし、ジョンさん。我が家へご案内しますね」
「はい」
「それでは、村長。我々はこのまま、仕事に戻ります。村の中は安全だと思うのだが……何かあれば、お呼びください」
「分かりました。頼りにしていますね」
「ジョン様! いつでも、お呼びくださいませ!!」
「ど、どうも……」
そうして、俺たちは宿を出ると、シュゼさんと分かれた。
あ、因みに、外で一緒だった他の人たちは、村に戻った段階で別れてるから、既にこの場にはいない。
セフィリアさんは、そのまま宿に残るようで、扉に手をかけた状態で、俺を見つめていた。圧がスゴイが、ここは無視する方向で。うん。
「もう、日暮れに近いですし、今晩は是非我が家へお泊まりください」
「えっ? いや、でも、申し訳ないですよ。俺、一文無しですし」
「気にしないで! 一緒に寝ようよ、お兄ちゃん!」
「ええ? それなら、オレん家にしようよ。な、ジョン兄!」
俺も、随分と懐かれたものだ。悪い気はしないけど。
「ははは。今日は、マイケルも一緒に泊まりだよ」
「えっ?」
「御両親に、話は通すから」
「ヤッター! ありがとうございます、おじさん!」
イルフェン村長の言葉に、マイケルの表情が、パッと明るくなる。
そうだよな。こんなに喜んでるんだし、一日くらいお言葉に甘えるのも、悪くはない、よな。
俺が、内心で頷いていると、ふとイルフェン村長の方から、冷気が流れて来る。精神的なものだけど、え?
「ああ、二人とも。覚悟するんだよ。今晩はみっちり……何故、誰にも告げずに、禁足地の方へ二人だけで向かったのか、説明してもらわないといけないからね」
「えっ」
「えっ」
子どもたち二人の表情が凍りつく。
禁足地……って、どこかで聞いた様な?
それは思い出せないが、そんなことより、あれ、これ、楽しいお泊まり会、じゃないのか? お説教会?
「あ、あのー……二人とも、無事だったんですし、今日くらいは……」
「いえ、こればかりは、譲る訳にはいきません。私も、心苦しくはありますが、万が一、が起こってからでは遅いのです……」
イルフェン村長が、苦渋の選択、とばかりに表情を歪ませるので、俺は何も言えなくなってしまう。
二人とも、ごめんな! お兄ちゃん、サルからは助けられても、親御さんからは助けられないみたいだ!
「ジョンさんは、気にしないでください。これは、ソコノ村の問題ですから!」
「そ、そうですか……」
「えーん! お兄ちゃん、助けてよぉー!」
「ほらぁ! だから、怒られるって言ったじゃないかぁ!」
「何よ! 良い子ぶっちゃってさ!!」
「ほらほら、ケンカしない」
子どもたち二人は、絶望したような顔だけど、俺は、何となくこの雰囲気に、懐かしさを感じていた。
記憶にはないけど、俺にもこんな、帰る場所があるのかなぁ。
誰にも何も言わないで、行方不明になったりして! って、怒ってくれる人が、いるのかなぁ。
「お兄ちゃん、どうかした? 早く行こうよ」
「オレ、説教ガンバるから、ジョン兄オレと一緒に寝てよ!」
「えー、ヤダァ! アタシと寝るんだからぁ!」
ギュッと、左右から握られた小さな手を握り返す。
ま、あんまり深く考えてても仕方が無い。
気持ちを切り替えた俺は、笑って彼らについて行った。
「分かったよ。皆で寝ような」
そして俺は、イルフェン村長の奥さんの手料理を御馳走になって、こってりと絞られて涙目の二人と一緒にお風呂に入って、狭いベッドにギュウギュウになって三人で眠った。
料理は美味しかったし、魔法で湧かされたお風呂は気持ち良かったし、ベッドは狭いけど温かい。
――目覚めたら記憶喪失だったが、こんな一日の終わりを迎えられるんなら、きっと何とかなるだろう。
そんな能天気なことを考えながら、俺の意識は完全に眠りに落ちた。




