001.記憶喪失、砂浜で目覚める
他の作品も終わっていないのに、新連載です。
読者様の息抜きのお手伝いになれば幸いです。
とある、剣と魔法のファンタジー世界――アステルラ。
この世界には、多くの迷宮が存在した。
迷宮は、複雑に入り組み、様々な魔物が闊歩する、極めて危険な場所である。
だが、様々な理由によって、危険を承知で、迷宮に挑み続ける人々がいた。
――富。名誉。秘宝。向上心。探究心。
様々な欲望、希望を抱いて、迷宮に挑む人々のことを、周囲はいつからか、「冒険者」と呼ぶようになった。
冒険者たちは、今日も何処かの迷宮に挑んでいる。
それぞれの願いを、叶える為に。
……そして、この世界に、また一つの迷宮が生まれようとしていた。
後に、その存在への畏怖を込めて、「傾国迷宮」という名が与えられることになる、巨大迷宮。
それは、今、砂浜で目覚めようとしている青年が創り上げることになるのだが、彼は、まだそんな、己の未来を知らない。
*****
一面の砂浜。一面の砂浜。一面の砂浜。香り来る潮風。
一面の砂浜。一面の砂浜。一面の砂浜。広大な海原。
一面の砂浜。一面の砂浜。一面の砂浜。照りつける太陽。
「……あつい」
目が覚めると俺は、見知らぬ浜辺に、大の字で倒れていた。
ジリジリと照りつける日差しが、暑いを通り越して、最早痛い。
背中に、ほぼ直接触れている砂の熱も、痛い。とても、痛い。
「俺、何でこんな所に倒れてるんだ……?」
上手く働かない頭に文句を言いつつ、記憶を辿るが、何にも思い出せない。
そもそも、俺が誰なのか、という記憶すらなかった。
「……ココは何処? 私は誰? ……なんちゃって」
軽く首を傾けると、耳の中に砂が入りかけたから、すぐに身体を起こす。
若干付いた砂が、ジャリジャリしてて気持ち悪い……なんていう感想は、すぐに出て来るのに、こういう時、一体何をどうしたら良いかは、皆目、見当もつかない。困ったもんだ。
ただ、こんな日差しの下に、いつまでも居るのはイヤだし、近くに東屋のような場所を見つけたから、ひとまず避難することにした。
石造りで、ボロボロ、かつ非常に狭い空間だったが、日陰があるというだけで、今の俺にとっては、オアシスのような場所である。
「うーん……手ぶらだな」
適当な石に腰を下ろすと、全身を確認してみる。
身分証か何かが見つかることを期待したけど、残念ながら、俺は何も持っていなかった。財布も、スマホも、何にもない。
ついでに言えば、マトモな服装ですら無かった。何だろう、このただ布を巻きつけただけ、みたいな格好は。ギリシャ神話の人?
記憶を失くす前の俺が、変態ではないことを祈るばかりである。
「なんて、ふざけたこと考えてる場合じゃないか……」
ふぅ、と溜息をつきつつ、いつまでも独り言を呟いてる現状を、静かに嘆く。
辺りを見回しても、一方には砂浜、もう一方には、海原が広がっているのみで、人の気配は皆無である。
この状況で、当てもなく砂浜をウロつく気にはなれないが、このままここに座っていたところで、デッドエンド待ったなしだろう。どうしたものか。
「こんな東屋? 遺跡? みたいな物が建ってるって言っても、相当ボロいし……多分、人里からは離れてるってことだよなぁ」
この傾いた柱なんて、相当オンボロだ。良くぞ、建物としての体裁を保っていた、と褒めても良いくらいじゃないだろうか。
「うーん……とりあえず、一回寝ようかな……」
悩んでいても仕方が無い。
少なくとも、空腹ではないし、熱中症気味でもない。
移動するのならば、日差しの弱まった夜間の方が幾らかマシだろうと判断した俺は、早速丁度良さそうな場所を見つけると、横になって目を閉じる。
……石造りだから、結構全身痛いけど、潮風はそれなりに心地良いな。
『――キミ』
「…………」
『――この声が、聞こえるかい? ねぇ、キミ』
何だか、遠くのような、近くのような、不思議に反響する声が聞こえる。
頭の中に、直接語りかけられている、と表現するのが適切だろうか。
不思議……と言うよりも、寧ろ不気味な声だ。
多分、暑さで参ったせいで聞こえる、幻聴のようなものだろう……。
『禁足地にまで来たんだし、ボク目当てじゃないの? もしもーし!』
……と、思ったが、この怪しい声は、しっかりとした意志を持って、俺に話しかけて来ている。ような気がする。
俺は、薄っすら目を開くと、首だけ動かして周囲を確認する。
やっぱり、特に人影らしきものは見えない。
気になる物と言えば、俺の後ろにある、巨大な水晶くらいなものだ。
「うるさいですよ、寝られないじゃないですか」
『え? あ、ごめん……って、聞こえてるじゃないか! 良かった! ボク、キミにお願いが……』
こうも頭の中で騒がれると、眠れるものも眠れない。
俺は、若干イライラしながら苦言を呈したのだが、完全に失敗だったっぽい。
謎の声が聞こえているのだと、自ら証明してしまった形だからだ。バカだなぁ、俺。厄介ごとの予感しかしないっていうのに。
困っている人は、助けるものだけど、不気味な声は助けるべきだろうか?
……別に、無視で良いか。
「スヤァ……」
『何でそこで寝るんだい、キミ!?』
「ぐー……」
『え、無視!? おーい、キミ! キミ!!』
「んん……?」
無視を決め込んで、しっかり目を閉じると、声が焦ったように上擦る。
ただでさえ不気味だった声が、更に不協和音を奏でて、不愉快極まりない。
……流石に、こんな状況で眠れる程、俺の神経は図太く出来ていないらしい。
俺は、溜息混じりに身体を起こした。
「えーっと、姿が見えないけど、何処の誰ですか?」
『ああ、良かった。やっぱり聞こえてたんだ。ホッとしたよ』
「……だから、何処の誰ですか?」
声は、その言葉通り、安心したように息をついた。
声の正体には興味ないが、質問に答えてもらえないと、気になるものらしい。
思っていたよりも、ムッとした声が出て、自分でも少し驚いた。
そんな俺とは反対に、声は機嫌良さそうに答えた。
『ボクは、この水晶に封じられた、善良な魂さ』
「……善良な魂は、封印なんてされないと思うけど」
明らかに怪しい。俺が眉をひそめると、何故か楽しげな笑い声が響いた。
『アハハ、そりゃそうだ。信用出来ないよね。当然の話だ。……そうと分かった上で、お願いがあるんだけど、聞いてくれないかい?』
「えー……イヤですよ」
幾ら、記憶を失っているからと言って、常識まで忘れた訳ではない。
名前も、顔も分からないような他人に、ついていく程、俺は間抜けじゃない。
姿も見えないような怪しいヤツの願いごとを聞くなんて、まっぴらゴメンだ。
『キミの、失くした記憶を取り戻させてあげる、と言ったら?』
「再考の余地もない」
『ええ!?』
正直、未練はまったく無い。何しろ、何にも覚えていないのだ。懐かしい気持ちすら湧かない。声の提案は、所謂ひとつの悪魔の囁きなのだろうが、今の俺にとっては、何の魅力もない物だった。
俺の即答に対して、声は予想外だ、とばかりに荒らげられていて、それを聞くのは、少し清々しかったが、それ以外、特に思うこともない。
『意外だなぁ。キミの心は、読まれたことへの驚きもないし、揺らぎもない』
「心が読めるなら、分かるでしょう。こんな、超常現象に巻き込まれてるんだ。多少、あり得ないことが起きても、驚きませんよ」
実際は、記憶喪失であると看破されたことへの驚きはある。
でも、まったく興味が湧かないから、あまり大きな影響にならないのだ。
……それは、人間としてどうだ、と思わなくもないけど。
『ふーん。そうかぁ』
「因みに、どんなことをお願いするつもりですか?」
『あれ? 興味ないんじゃなかったの?』
「内容にくらいは、興味ありますよ」
『そっか。……簡単なことだよ、頼みたいのは。この水晶に触れて欲しいんだ』
「この水晶?」
俺の後ろにあるコレか。俺は、ゆっくりと立ち上がりながら振り向く。
すると、確かにそこには、白く濁った色の巨大な水晶が浮かんでいた。
……コレに、封印されてるってワケか。この声は。
「それで、封印が解けるって寸法ですか」
『勘が良いね、褒めてあげよう。その通りだよ』
「ふーん」
声が封印されているのだと分かった上で、改めて水晶を見ると、どことなく禍々しく見えるから不思議だ。
俺は、少しだけ黙ってから、興味本位で、その水晶を蹴ってみた。
「……えいっ」
『いや、何で蹴るの!?』
声の主は、驚いたように悲鳴を上げる。
蹴ったことで、封印が解けたりはしないようだ。何となく胸がスッとした俺は、とりあえず、もう一度蹴ってみる。
「やあっ」
『ちょ、キミ、ボーッとした見た目なのに、結構良い性格してるね!?』
「お褒めに預かり光栄です」
『褒めてないからね! 分かって言ってるでしょ!?』
興が乗って来たし、声のことは無視しよう。よし、もう一回……。
「とおおおおお!!」
『めっちゃ助走して来た!! 何でとりあえず蹴ろうとするの、キミ!?』
「ウルトラタイガーボンバーギャラクシカルドロップキーーーック!!」
『技名長い上にダサッ!!』
失礼な感想を受けながら、全力で水晶に飛び蹴りを放つ俺。
そして、ガン! という、激しい音の直後、地面に倒れ伏した俺。
……今、足の防御力が著しく低いことを忘れてた……。
「いったぁぁ!!!」
『いや、当たり前デショ。キミ、サンダルで鉱物蹴るとか……バカなの?』
「馬鹿かもしれない……」
『それ、自分で言っちゃうんだ。……そんなキミに、一応教えといてあげる。ボク、別にこの水晶は本体じゃないから、蹴られても全然ヘーキなんだよね』
「先に言って欲しかった!!」
『それ逆ギレだからね! 何なの、キミ!?』
こんな怪しげな声に叱られる筋合いはないと思う。
普通、頭の中に響く、怪しげな声に遭遇したら、反撃に出ようと思うよな。
……あれ、違う??
『急に蹴られるとは予想外だったけど……流石に、もう落ち着いたかい?』
「えーっと……まぁ、ハイ」
『それは良かった。隙あらば、今度は枝とか拾って殴ろうとか思ってない?』
「…………。……ハイ」
『何なの、その間! 目も逸らしてるし! これ、絶対やる気だよ!!』
俺は、そっと逸らした視線を戻しつつ、誤魔化す為……じゃなくて、話を進める為に、疑問を口にした。
「ところで、さっき善良な魂とか何とか言ってたけど、結局何者なんですか?」
『えー? それ、まだ聞く? ワケあって名乗れないんだよねぇ、ボク』
声は、不満そうに溜息をついているようだった。
『まぁ、敢えて言うのなら、神様みたいなものだよ』
「自称神様(笑)」
『サンダルで鉱物蹴るような人に、馬鹿にされたくないんだけど』
「よっ、神様! 今日も光り輝いてますね!」
『それ、寧ろバカにしてるよね、そうだよね!?』
そんなことないよ。俺、ビックリするくらいリスペクトしてるよ。
そう続けようと思ったのに、声はもう良いから、と言って遮って来た。
何だよ、何だよ。ほんの冗談じゃないか。
『何か、まだ馬鹿にされてる気がするんだけど……』
「気のせい気のせい。それで、何で封印されてたんですか?」
『昔、この辺であった戦いの結果さ。ボクは負けたんだけど、だからと言って、ボクを殺せるような敵もいなくてね』
何の気なしに喋ってはいるけれど、内容がなかなかに不穏である。
もしかするとこの声、やっぱりヤバい奴なんだろうか。
頭の中におどろおどろしく響く声の主が、真っ当な人とは思えないし。
『あれ、何でちょっと距離取ってるの?』
「今からでも、この出会いを無かったことに出来ないかなーと思って」
『本当に失礼だな、キミは! あと、残念だけど、事実は消せないからね!』
「ちぇっ」
『話聞く気ある!?』
一応は、ある。ただ、真面目に聞く気がないだけで。
何と言えば良いのか、自分が誰なのかも分からない状態で、急に常識とかけ離れた状況に陥ると、人間、混乱するんだよね。
ふざけずにはいられなくなるって言うか……あれ、俺だけか?
『仕方ないな。ボクも、あんまり時間無駄に出来ないし、単刀直入に言おう』
怪しげな声に、呆れた様な感じで言われる俺の立場って……。
ちょっとだけ悲しい気持ちになった俺は、黙って頷いておいた。
『ボクは、何としてもココを出たい。その為に、力を貸して欲しい!』
「さっき言ってたことと全然変わって無いじゃないですか。……だから、イヤですって。答えは変わりませんよ」
『頼むよ! 代わりに、キミにモノスッゴイ力をあげるから!』
「モノスッゴイって言われても困ります」
何だよ、「モノスッゴイ力」って。
あまりにも抽象的過ぎて、想像が追いつかないわ。
「せめて、もう少し事情を説明してもらえないと、受け容れられないですよ」
『それは……ボクも、説明してあげたいケド……出来ないんだ』
苦々しい口調になった。どうやら、本当に悔しく思っているらしい。
俺は、軽く顎に手を当てると、小さく唸った。
言ってることが、ウソだとまでは思わないし、面白そう、と思わなくもない。
だからと言って、受け容れる理由には弱い。
だって、俺がノリで引き受けたら、世界が滅びましたー、なんてなったら、それこそ冗談にならないだろうし。
考え過ぎ……ってことも無さそうだしさ、この声の言ってる内容考えると。
「なら、やっぱ無理です。お引き受け出来ませんー」
『そ、そこを何とか! ホンットーに、色々とマズイんだよ、このままだと!』
「それは疑ってないけど……やっぱ無理です」
『そんなぁ……』
不気味な声が、気落ちしたような調子になる。
申し訳なくはあるけど、妥当な回答だろう。
「じゃ、俺もう行きますからね」
このままここに居たら、勧誘の嵐に巻き込まれ続けるだろう。
そう思った俺は、屋根の外へと足を向けた。
『え!? 行っちゃうの!?』
「はい、スミマセン。餓死はイヤなので、人里探しに行きます」
日差しの下に出ると、またジリジリと焼けつくような刺激を浴びる。
……やっぱり、もう少しここに居たいなぁ、なんて思うけど、我慢だ。
『……分かったよ。無理強いは出来ないしね』
とても残念そうだが、言葉の通り、俺の意志が捻じ曲げられて、勝手に身体が動きだすー、なんて展開にはなっていない。
いかに怪しい声と言えど、封印された状態では、こうしてしゃべるくらいが関の山なのだろう。
どうせなら、声も漏れないレベルに封印しといて欲しかったよ。
『でも、いつでも戻って来てくれて良いんだからね。ボク、待ってるから』
「どうせ待っててくれるなら、美少女が良いですね」
『ホントに失敬だなぁ、キミって男は』
だから、こんな怪しい声に呆れられる筋合いはないと思うんだ。
俺が、ムッと眉を寄せると、最後に声は、多少楽しげに呟いた。
『封印を解いてくれたら、力をあげる。……この約束は、いつまでも有効だから、忘れないで』
「多分、二度と来ませんよ」
そう言って、ヒラヒラと手を振りながら、その場を離れた。
それからすぐに、声の気配は消え去って、何も感じなくなった。
(と言うか、記憶喪失で倒れてたら、普通最初に出会うのってヒロインじゃないのか? 何で、あんな怪しげな声なんだよ、俺……)
それは、二次元だけだろうか。なんて思ってから、ふと、そういう、どうでも良い記憶だけは持っていることに気付いた。
……まったく役に立たない気付きだな、こりゃ。
「……何か、先が思いやられるなぁ」
落ち込む気持ちに反して、景色はムカつくくらい、綺麗だった。