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「いいかジブリール! 王子とはな――」
赤の色調で統一された王の間に国王であるバルバレアの声が響いた。キティグはジブリールと全く同じように直立不動の姿勢でその怒鳴り声を聞いていた。
――この怒鳴り声にジブリールは嫌気がさしたんだな。まぁ、分からなくもない。
キティグはそんなことを思いながら、説教を聞き流していた。
元々キティグはこの手の説教には慣れていた。タリスマンに育てられたからだ。タリスマンは、説教をする時、人の目をジッと見つめ、自分の言葉に畏れを感じていない人間をみつけると痛みを与えた。
だが、畏れを感じすぎてもダメなのだ。
人によっては恐怖に支配され、頭が真っ白になり、何も考える事ができなくなる。そんな人間をタリスマンは嫌う。だから、その場合も痛みが与えられた。そんな環境で育ったキティグにとって、バルバレアの説教など、欠伸がでそうなくらい穏やかな説教に思えた。
――第一、この王は人の目を見ていないではないか。
言いたい事、思っている事を喋るだけ。そもそもキティグは、効果的ではないことはするな、とタリスマンから口を酸っぱくして教えられた。
金を貸すのは簡単だが、取り立ては相手を見て手段を変えなければならない。取り立てに簡単に応じてくれる人間なのか、そうじゃない人間なのか。そもそも、この人の大事にしている価値観とは何か、主張は、ポリシーは、優先順位は……。
人間とは面白いもので、人によって何もかもが違う。家族が何より大事な者もいれば、名誉が何より大切な者もいる。ある出来事には勇敢であるのに、ある出来事には酷く臆病であったりする。人とは、そういう生き物だとキティグは思っていた。キティグの仕事は金を貸した相手の人間性を見極め、上手く相手の感情をコントロールすることだった。だからこそ思った。
この王の説教は効果的ではない、と。
キティグはジブリールの人となりを知っている。臆病で、正直で、優しいタイプ。いわゆるカモになりやすいタイプだ。この手のタイプは少々の脅しで十分に恐怖を感じてくれるので、比較的簡単に金を支払わせる事ができる。ただ、恐怖を与え過ぎてもいけないのがこのタイプでストレスを溜めすぎるとそれから逃れるために大胆な行動に出やすい。
キティグが思うに、ジブリールへの説教など半年に一度ぐらいで十分なのだ。むしろその方が効果が出やすい。だが、この王は言いたい放題自分の好きな事をいうだけだ。そして、キティグはその理由も知っていた。ザグゼインから聞いたのだ。
『陛下とて、昔からジブリール殿下に辛く当っていたわけではない。すべてはラメロウ殿下が亡くなってからだ。ジブリール殿下には10歳ほど歳の離れた兄がいた。この御方がよく出来た御方でな。誰にでも分けへだてなく接し、文武に優れ、ミッドランド中の人々に慕われていた。私も逞しい騎士に成長してゆくラメロウ殿下を見てミッドランドの未来は明るいと思った。
だが、死んだ。流行り病でな。
それからだ。ジブリール殿下に対しバルバレア陛下が厳しくなったのは。バルバレア陛下は世継ぎであるジブリール殿下に逞しくなってもらいたいのだ。国に勇気を与え、隣国を震えあがらせるラメロウ殿下のような王子にな……』
キティグは思った。願うのは分かる、と。だが、ジブリールはそんな人間ではない。
恐らくジブリールなど、自分の趣味に没頭するのがせいぜいの人間で、どう教育したとしても伝え聞くラメロウのような人間にはならないだろう。兄弟で能力が天と地ほど異なる人間をキティグは腐るほど見てきた。だからこそキティグは思った。
バルバレアはまず現実を見るべきなのだ。
ラメロウとやらの幻を追いかけるのではなく、まずジブリールを正しく見なければならないのだ。もしも、本当に効果のある説教をしたければ、の話だが。
キティグはそんなことを考えながらも、ジブリールを装う事に余念が無かった。きっと臆病者のジブリールは王が怒鳴るたびに体のどこかを震わせたのだろう。
だからキティグもそうした。
やがてバルバレアの説教は終わり、キティグは一礼をして王の間を後にした。すると、廊下の途中でザグゼインに会った。キティグはザグゼインの心配そうな顔を見てすぐに要件が分かった。キティグは声をだした。
「ザグゼイン、何か話でもあるのか?」
「はっ、殿下にお耳にいれたきことが」
「そうか。では我が部屋で話そうか」
二人にはルールがあった。
まず、王宮の廊下であろうがどこであろうが、他の人がいるかもしれない環境では徹底的にジブリールとザグゼインの関係を装った。完全に二人きりの時だけ、しがない金貸しのキティグと、ガード家の領主ザグゼインに戻る。キティグが自室のドアを閉めたと同時にザグゼインはキティグに尋ねた。
「陛下はなんと仰せであった?」
やはりそのことか、とキティグは思った。
「いえ、いつもどおりのただの説教です。稽古にしろ座学にしろ成績が一斉に落ち込んだからだそうです。ただ、陛下に私のことを疑っているそぶりはありませんでした。むしろ、たるんでいる、と思っただけのようです」
「そうか……。なら良いのだが……。だが、むしろ大変なのはこれからだぞ」
そう、大変なのはこれからなのだ。一時的な成績の落ち込みはよくあること。だが、それが継続した落ち込みなら……。当然稽古や座学を指導している人間の不信感は募る。最初はそれでもいい。成績が一向に上がらないというだけで、バルバレアの関心はそこに集中するだろうから。
だが、そのうち誰かがふと「これは何かおかしい」と疑念を持ち始めるかもしれない。その中の一人でも「もしや、この王子はジブリール王子とは別人なのではないか」という疑念を持ち始めると、それはもう相当に危ない状況といえた。
別人の可能性を探る為、恐らくその指導者は、他の指導者と接触して、それとなく探りを入れ始めるに違いない。そうなると、話を聞いた指導者たちの視線は一斉に偽王子である自分に注がれる。何か普段と違うところはないか、いつもとは違う行動はないか、と常に試されるようになる。
こうなると、隠し通すのはほぼ不可能であった。恐らく指導者連名で「現在のジブリール王子は偽王子である」とバルバレア陛下に奏上されるに違いない。
「私の言いたい事が分かるな? キティグ」
キティグは、一拍おいたあと黙ってうなずいた。
ザグゼインはそのキティグのうなずきを見届けると、顎を細かく上下させ、よし、と言った。そして、そのすぐ後に「猶予は無いからな」と念を押し、王子の部屋から出ていった。バタンとドアが閉まる音が部屋に響いたあと、キティグはジブリールのベッドの上に寝転がった。
目を瞑り大きな溜息をついた。つまり、ザグゼインの言いたい事とはこういうことであった。
《疑念を持たれる前に短期間でジブリールのレベルまで到達せよ》
稽古の指導者たちの疑念を最小限に抑えるためには小手先の嘘ではなく、キティグのレベル自体をあげる必要があるというザグゼインの判断だった。だが、土台無茶な話である。このレベルの教育をジブリールは10年近く受け続けてきたのだ。こちらは昨日今日始めたばかりである。この状況がおかしくてキティグは鼻で笑った。
「最初、捨てにかかろうとか言ってたじゃねーかザグゼインさんよ」
発言が二転三転するのは状況が良くない証拠だ。キティグはまた大きな溜息をついた。すると、「クゥアアア」という鳥の鳴き声が聞えた。キティグは鳴き声が聞えた方に顔を向けると、鳥籠とその中で盛んに羽をばたつかせる黄色い鳥が見えた。
ジブリールが飼っていた鳥だ。
一応ジブリールの所有物なので生かしてやっているが、この鳥はなにせキティグに反抗的だった。餌をあげるとき、よく手を突っつくのだ。
「クゥアアア、クゥアアア」
「うるせーぞ。黙れ、鳥」
いつか焼き鳥にでもしてやる、と思った。
とにかく、どうにかして自身をレベルアップさせる必要がキティグにはあった。