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入れ替わりの王子  作者: りんご
2章 それぞれの暮らし
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-7-

 今日は何もない一日だ、とキティグは思った。訓練もなく、王もどこかに出向いているということで何でも自由にしてよい日であった。キティグはジブリールという重い殻を外し、王宮の廊下を一歩一歩たしかめるように歩いた。


 ――全く……、どこもかしこも隅々まで掃除されてやがる。


 数は確認していないが、この王宮で働く者は少なく見積もっても100人以上はいる。その全ての人間に何らかの役目があるらしい。例えばこの廊下の掃除一つとってみても、かなりの人数がこの掃除だけに使われていることがキティグには分かった。次にキティグは廊下に並ぶ窓から外を見た。正面を見ると、王都があり、下を見ると広大な庭が広がっていた。この庭も毎日手入れされている、とキティグはすぐに分かった。球状に切り揃えられた何らかの植物が、等間隔に並んでいるからだ。綺麗に球状に切り揃えられた植物など自然界には存在しない。すぐに枝が伸び、そこから葉が飛び出し、あらゆる方向に広がるからだ。


 ――王の権力というものは、本当にすごいな。


 この王宮の隅々までなされている掃除も、切り揃えられた植物たちも、毎晩食べる豪華な料理も、着替えでさえ、たった一握りの権力者のためになされていることであった。


 ――蟻だ。これはまるで蟻に似ている。


 女王蟻に尽くす、蟻達。それにそっくりだとキティグは思った。以前のキティグはそれを苦い気持ちで捉えていた。自分がタリスマンに尽くし続ける側であったからだ。だが、立場が反転して思う。これはとてもいいものなのかもしれない、と。


 今キティグは衣服さえも自分で着ていない。

 自分に着替えをさせる役割を持った人がいるからだ。王子とは、良い服を着て、ふかふかなベッドで寝て、豪華な食事を毎夜食べる者だと思っていた。違った。王子とはキティグの想像よりも凄まじいものであった。

 王子とは、王以外の全ての人間の生殺与奪を握る者だった。数日前にこんなことがあった。キティグが弓の訓練をしていると、そこに誤って石を投げてしまった子供がいた。ほんの握りこぶし程度の大きさの石だ。その石はキティグの腹にあたり、キティグは地面を転げ回った。青ざめた子供は急いで逃げようとするも衛兵に捕まえられ、キティグの前に連れてこられた。聞くと庭師の息子で、石がどこまで遠くに飛ぶか、友達と勝負をしていたらしい。


 怒り狂ったキティグは、子供に向かって「てめぇぶっ殺すぞ!」と叫んだ。これは王都の貧民街に住む者なら喧嘩の手前の挨拶のようなものだ。だが、それを聞いた子供と衛兵の反応は違った。子供はわんわん泣き「どうか、お許しください! 何卒お許しください」と叫び、衛兵は無言で鞘から剣を引き抜いた。

 キティグは衛兵の光った剣先を見て思った。


 ――本当に殺すつもりなのか?


 首筋から汗が流れた。焦ったのはキティグの方であった。腹が立ってはいたが、別に本当に殺したかったわけではない。


「待て」とキティグは衛兵に向かっていった。「殺さなくてもよい。10発殴るだけにしてやれ」

 衛兵はキティグの命令を忠実に守り、10発子供のあらゆる部分を殴った。頬、腹、背中、アゴ。沢山殴られ、顔を腫らした子供は、殴られ終わると、キティグに向かって土下座し「殿下ありがとうございます。この恩一生忘れません」と言って涙を流した。


 衛兵もそれを当然だと思ったのか「少し罰が軽すぎたかもしれません。しかし、この度の殿下の寛大な処置、王都に住む者は皆殿下の優しさをしることでしょう」といった。


 キティグは殴られて感謝する子供などはじめて見た。だが、同時に実感した。王子とはそれほど偉い存在なのだ、と。たぶんその気になれば、何の罪もない人間を、気に食わない、という理不尽な理由で殺しても許される存在なのだ。


 ――王子とはそれほど凄いものなのか。


 ドクン、と心臓の音が鳴った気がした。未知の快感がキティグの体を走り抜けた。その時にはすでに口が衛兵に向かって勝手に喋りはじめていた。


「お前の殴り方が悪かった。もう一発子供の顔面を殴れ。その一発が私の意思にそぐわなければ、今度はそんな一撃を放った自分を恥じて死を選べ」


 衛兵は驚きのあまり身をよじらせ口をあけた。だがキティグの目を見て、その意思を知ると、それから子供の顔面を力一杯殴った。子供はその一撃で倒れ、口から泡をふきだした。衛兵は、体を震わせながら恐る恐るこちらをを見た。すぐに分かった。衛兵の瞳は恐怖で暗く濁っていた。


 ――これが権力の味か。


 キティグは衛兵の瞳をジッと見たあと、「満足した」といった。衛兵の瞳に生気が戻った。まさに彼は今、死の一歩手前から帰還したのだ。


 キティグは窓から視線を外し、廊下に視線を戻した。

 キティグは王子の生活を気に入っていた。とても気に入っていた。だがその甘い蜜の中に浸かれば浸かるほど、恐怖がましてゆく。自分は代わりにすぎないからだ。数年後ジブリールがひょっこり戻ってきた時、自分は元の生活に戻れるだろうか。一瞬、前の生活が頭をよぎった。だがキティグはそれを一瞬でかき消した。


 想像したくなかった。

 数日……、たった数日暮らしただけで、キティグはもう元のキティグではなくなってしまっていた。


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