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キティグの頭の中がめまぐるしい早さで回転していた。思えばいつもこうだった。客から金を巻き上げた時も、タリスマンの目に留まらないように振る舞っていた時も、いつだって相手の微かな反応から答えをさぐり当てた。
――そんな中を俺は生き抜いてきたんだ。
キティグには相手の言動や所作から相手を見極める自信があった。
――なぜイリーナは自分の席につかなかったのだろう。
その事実にキティグはまず疑問を抱いた。言い訳を言う相手は国王バルバレアだけではない。それを聞くイリーナも納得させる必要があった。二人が、如何にもジブリールが言いそうだ、と思える言葉を用意しなければならない。だが、その為の情報がまだ出揃っていない、とキティグは思った。
だから、まずキティグは敢えて答えをイリーナに委ねた。彼女の言動をみて態度を決めるべきだと思ったからだ。
「イリーナにお尋ね下さい父上」
キティグにそう言われ、バルバレアはイリーナの方を向いた。すると、目を伏せていたイリーナはバルバレアの方へ顔を向け、答えた。
「今日もジブリール殿がお休みになるかと思ったので」
そういうことか、とキティグは思った。恐らく王子のいない食事は2日間、バルバレアとイリーナの二人だけで食べていた。その席の配置がこの形だったのだ。恐らくイリーナは、ジブリールが来たらその席から離れればいい、と思っていたのだろう。
――だが、俺は何も言わず、向かいの席に座った。かなり不自然に感じただろう。いや、それとも何も言えずに黙って席についた方が自然だったのだろうか。二人はどのような力関係だったのだろう。
キティグの脳裏にザグゼインの言葉が蘇る。
『ここだけの話だ。殿下は実は婚約者であるイリーナ様が苦手だ。前に一度ポロっと洩らされた事がある。喋らないし、何を考えているのか分からない。そして、何より冷たく感じるのだそうだ。鉄仮面というあだ名をつけたのも殿下で……。あ、これは絶対に言うなよ。いいな』
――となると、あの笑みは……。
キティグは、先ほどのイリーナの表情を思い出していた。確か、席についた直後にイリーナはほんの少しだけ口角を上げたのだ。これら全ての事実を加味して、あの笑みの理由を考えた。すると、ある一つの可能性に思い至った。
――あれは蔑みの笑みだったのだ。
イリーナは、自分がジブリールから嫌われている事を明確に知っている。そして、イリーナは、そんな自分に対しジブリールは明確に間違いを指摘できないことも知っている。だからイリーナはジブリールの席に座ったのだ。何も指摘できずに自分の席に座るジブリールが見たくて。そして、それが面白くて微笑んだ。
何とも性格が悪い女だ、とキティグは思った。
だが、同時にホッともしていた。この想像が正しいなら、キティグは彼女の思うジブリールを見事に演じた事になる。
ここでキティグはようやくジブリールがとるべき言動が分かった気がした。きっとジブリールならこの言葉を選ぶ。そう思いキティグは口を開いた。
「その父上……、私はてっきりイリーナが足でも痛めているから扉に近い私の席に座っているのかな、と思いまして……。だからそっとしてあげたのです。いわば“気遣い”です。これが席のことで敢えてイリーナを問いただそうとしなかった私の理由です」
このキティグの言動を聞いて、バルバレアは呆れ顔をうかべ、イリーナはまたうっすらと微笑んだ。キティグにはこの二人の心が手に取るように分かった。
確実に二人は “相変わらずどうしよもない奴だ”と思ったに違いない。バルバレアは“自分の婚約者ひとつ叱り飛ばせない情けない奴”と思い、イリーナは“意気地の無い男”と思っただろう。くだらないジブリールの虚勢はすでにこの二人にはバレている。知らないのはジブリールだけだ、とキティグは思った。
――まぁせいぜい舐めさせておくさ。
キティグは心の中でほくそえんだ。
その後、食事は滞りなく進み、無事終わった。
「まさか、殿下がお嫌いな事がイリーナ様にバレていたとは……」
レイピアを片手に握ったザグゼインの失望ともとれる声が剣の稽古場にうっすらと響いた。キティグはレイピアで何度もザグゼインの体を突こうとするが、空を斬るばかりで、まるで当たらない。ザグゼインの心は戦いから遠ざかっているのに、だ。ザグゼイン=ガードはジブリールの剣の師匠で、剣の稽古をつけるのはザグゼインだった。この朝の時間は、二人が情報をすり合わせる為の貴重な時間だった。キティグは肩で息をしていた。またザグゼインの溜息が聞えてきた。
「まぁ、バレなかったからいいじゃないですか」とキティグが言えば、ザグゼインは嫌味ったらしく「文字の読み書きはできるようになったのか」と聞いてきた。
――そんなものたった数日で出来るわけがない。
そうキティグは言いたかったが「いえ」とだけ答えた。ザグゼインは「なにがあっても署名だけはするなよ」とキティグに言った。キティグは首を縦に振った。署名は証拠が残る。そんな間違いを犯すぐらいならたとえ少々不自然でも署名を断った方がマシなのだ。
二人は剣の稽古をしながら、この王宮にうまくキティグを溶け込ませる方策を探った。剣の稽古の時間が終わり、次は馬術の訓練の時間だった。馬術はザグゼインの担当ではない。だから、復帰したばかりで体調が良くない、とでも言って休もうかとキティグは思っていた。ザグゼインが去り、馬術担当のトッドがやってきた。
「殿下、次は馬術の時間です。さぁ参りましょう」
「いや、その……少し体調がだな――」と言いかけたところで、窓から広大な馬術場を走り回る馬が見えた。鬣が長い筋肉質のその馬は、盛んに首を上下させ、誰かを乗せて走りたがっているようにみえた。知らず知らずのうちにキティグは微笑んでいた。そして、キティグはトッドに言った。
「うむ。では行くとするか」
その声は、なんと王子らしい、傲慢な響きを含んでいた。
一方、その頃、本物の王子は……、殺されそうになっていた。