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入れ替わりの王子  作者: りんご
2章 それぞれの暮らし
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-4-

 王宮の廊下を歩く静かな足音を聞くたびに、キティグの心拍数が高くなった。

 キティグは、王子の部屋の窓際に佇んで闇夜に浮かぶ星空を眺めていた。王宮に吹き付ける風のせいで窓が微かに振動する。キティグは軽く手を伸ばし、ヒンヤリする窓に触れた。窓は小動物のように小刻みに震えていた。


 ――俺と同じだな。


 キティグは、一度大きく息を吸い込んだ。すると、彼方から足音が近づいてきた。時間だ、と思った。上手くできるか自信は無かった。だが、上手くやるしかない、と思った。ジブリールの為ではなく、自分の為に。足音が部屋の前で止まり、ドアがノックされた。


「お食事の時間です殿下」


 この執事の言葉にキティグは一拍置き「わかった」と返事をした。

 すでに食事をとるための服に着替えていたキティグは食の間に向かった。燭台に灯された明かりが闇に包まれた廊下をわずかに照らしていた。その明かりが自分の視界を通り過ぎる度に、キティグの耳にはザグゼインの言葉が反芻されていた。


『食事をする時に初めてナイフとフォークを手に持つ』

『肉は給仕が切り分ける。お前はそれを黙って食べればいい』


 この中で、一番古い言葉を思った。あの言葉から王子としての生活が始まった。あれはどんな言葉であったか……。

 そう、確かこんな言葉だった。


「キティグ。これより2日の間この部屋の外を動きまわる事を禁ずる」

 ジブリールと入れ換わったキティグがはじめて聞いた言葉がこれだった。キティグは思わず尋ねた。

「ザグゼイン様……、それはどういうことですか?」

「どうもこうもない。お前には完璧にジブリール殿下を演じてもらわなくてはならんからな。外に出る暇など無いし、誰かに喋りかけられてもまずい。だから、そのための準備をこの2日間でしなければならない」


 ザグゼインの説明はこうだった。

 元々ジブリール自身も替え玉が最初から上手くやれるわけがない、と思っていたらしく、替え玉を教育する期間が必要だと考えていた。その期間が2日だった。これがジブリールに用意できる精一杯の時間だった。1日体調が悪いとしても、誰も見舞いに来ない。だが、ジブリールは3日間床に伏せった事があった。その時はバルバレア国王に祈祷師まで手配され、あらゆる人間が見舞いにやってきた。

 つまり、誰にも会わずに訓練できる期間は2日が限界だった。いや、2日もあやしい。確実に誰も見舞いにやってこない、といえるのは最初の1日だけだった。


 事情を把握したキティグが「なるほど。わかりました」と言うと、ザグゼインが「ここからは私の計画だが――」と続けた。「誰かにある程度の不信感をもたれるのは仕方がない。だが、決して陛下や側近の誰か、そして婚約者のイリーナ様に不信感を持たれてはならない。だからそれ以外の人々の信頼は捨てた方が賢い選択だ」


 キティグはザグゼインの言わんとしていることが分からなかった。

「どういうことです?」


「つまりだ。日々の王子の稽古の時に立ち合う人々は“今日の王子はおかしい”と思ったとしても成績が良いか悪いか程度の情報しか陛下に漏らさないだろう。特に殿下は馬術と弓術がそれほど達者ではない。座学でも戦術や歴史などはさっぱりだそうだ」

「つまり、稽古はそこまで上手くこなさなかったとしても問題ない、ということでありますか?」

「問題ないとは言わないが、お前がこなすべき訓練としての優先順位は低いということだ」

 なるほど、とキティグは思った。そして逆の疑問が湧いた。

「では、どの訓練の優先順位が高いのですか?」


 食の間の扉が開けられた。光がキティグを出迎えた。

 まず、キティグの目に飛び込んで来たのは天井からつり下がった2m近くあるガラス細工の精巧なシャンデリアだった。その派手な装飾に思わずキティグは目を奪われた。ジブリールの部屋のものよりもずっと立派だ、と思った。次にシャンデリアの真下の縦長のテーブルに目が移った。王家の紋章をあしらった白のテーブルクロスの上に富の象徴である銀の食器と銀のワイングラスが3人分そこに用意され、ジブリールの婚約者であるイリーナ=バルムークが既に席についていた。ここでキティグの頭にザグゼインの言葉が蘇る。


 ――殿下が食事の際に座る席はイリーナ様の向かいの席だとおっしゃっていた。


 キティグはテーブルを眺めた。イリーナの黒髪の後頭部が見えた。イリーナはちょうど縦長のテーブルの真ん中あたりに座っていた。キティグは少し顔をあげた。キティグから見て、縦長のテーブルの一番奥の席に豪華な椅子があった。あれが国王であるバルバレアの椅子に違いない、と思った。だからキティグは自分が座るべき場所が分かった。キティグはイリーナの向かいの席に座りテーブルに置かれた金の燭台越しに何気なくイリーナを見た。

 驚いた。


 ――ジブリールの婚約者とはこれほど美しい女なのか?


 黒い髪と透き通るような白い肌、気品を漂わせる涼しい目に、薄い唇。耳につけられた大きなイヤリングのせいなのか、とても小顔に見えた。イリーナは一瞬だけこっちを見て、また目を伏せた。そして、ほんの少しだけ口角が上がった。その笑いが何を意味しているのかキティグには分からなかった。だがそんなことに気を取られているわけにはいかない、とキティグは思った。次は何だ。ザグゼインが目の前で喋りながら見せてくれた動きを思い出す。


『手は必ずテーブルの上に両手をおく。いいな。キティグ』


 キティグは両手をテーブルの上に置いた。


 そこに遅れて国王でありジブリールの父であるバルバレアがやってきた。


『陛下がこられたらそれを立って出迎えるのだ』


 キティグはザグゼインに教わったように立ち上がり、イリーナも立ち上がった。

 バルバレアは当然のように一番奥の豪華な椅子に座ると、キティグとイリーナも席についた。


「では、食事にしよう」


 そうバルバレアが言うと、部屋の端に散っていた給仕達がテーブルの中央にある肉を切り分け始め、同時にグラスにワインを注いでいった。バルバレアは注ぎかけのグラスを給仕からむしり取ると、グラスに口をつけ、また給仕にグラスを差し出し「告げ」と言った。そして、続けるようにキティグに尋ねた。


「ジブリール。体調がよくないと聞いた」

「はっ、もう大丈夫でございます。ご心配をおかけいたしました」


 そうキティグが返事をする間にも、よく焼けた子羊の肉の塊と新鮮な青物が次々と3人の前に並べられていった。バルバレアとイリーナが銀のナイフとフォークを手に取ったことを確認すると、キティグもようやくナイフとフォークに手を伸ばした。

 その時だった。

 バルバレアが「そうか……」と言葉を溜めたあと、イリーナとキティグを交互に指さし眉をひそめた。「それにしても、何故お前達はいつもと座る席が逆なのだ? 何故いつもと同じ席に座らなかったのだ?」


 ――!?


 キティグの心拍数が一気に跳ね上がった。訳が分からずキティグはイリーナを見たが、イリーナは目を伏せ、口を閉ざしたままだった。バルバレアはキティグに尋ねた。


「どうした何故黙っている?」


 キティグは、唾を飲み込んだ。


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