-3-
「これでますます見分けがつかなくなったな」とジブリール王子が言った。それを聞いたキティグも、全くその通りだ、と思った。
キティグはジブリールの計らいで風呂に入り、全身の垢を落した後、ジブリールと同じ服を着た。そして、室内の大きな鏡の前に二人は並んで立った。
キティグは、自分の姿に思わず見入った。
金色の艶のある髪。襟首までピチッとした白いシャツに、その上からダブレットと呼ばれる青と金の入り混じった胴衣が映り。腿が膨らんだ半ズボンとワニの革のベルトが妖しく光った。
貴人だ。鏡に映る自分は、まるで目を合わせてはならない貴人のようである、とキティグは思った。次にキティグは隣のジブリールを見た。本当に、もう一人の自分がそこにいるように思えた。きっとジブリールも同じ思いだったに違いない。ジブリールは口元をニヤつかせながら言った。
「特に袖の長さも問題ないみたいだな。そうだな。少しその場で回ってみてくれないかキティグ。ゆっくりな。ゆっくり回ってくれ」
キティグは言われたとおりにその場でゆっくり回った。ジブリールはキティグの肩やら腰などを触りながら、まわるキティグの体を見つめた。
「完璧だ。背丈も、腕の長さも足の長さも。まるで本当に双子なのではないかと勘繰りたくなるぐらいに、な」ジブリールは、そう言うと別の注文をキティグにした。
「では、次は声を出してくれキティグ」
「声……、でありますか殿下」
「そうだ。え~と、例えばこの窓に映る雄大な景色の感想を言ってくれ。詩にしてもよいぞ」
なんとも困ったことを言われる人だ、とキティグは思った。
キティグは一度大きく深呼吸すると、窓越しに映る空を眺めた。いつもと同じ何の変哲もない青い空だった。この部屋の壁やシャンデリアに比べると、それは酷く凡庸なものに映った。でもキティグはなんとか言葉にした。
「……なんと雄大な景色だろう。空は青く、街は……、街は……良い色だ」
それを聞いたジブリールは口に手をあてほくそえんだ。
「くくく、いや失礼。あまりそういう方面の才能はないようだな。まぁいい。肝心の声質もやはり僕と似ている。うん。やはり君しかいないな」
ジブリールは親しげにキティグの肩を叩くと、そのあとキティグを直視して言った。
「キティグ、改めて言う。君には僕の代わりに王子の役を務めてもらいたい。これから僕は王子の身分を捨てる。そして、この果てのない大地に飛びだし、自由になる。だが、宮殿に王子がいないと知れば父上はきっと僕を探す。すると、再び僕の自由は奪われてしまう。君には重荷だろうが、なんとか僕の代わりを務めてもらいたいのだ。できるだけ長くな。どうだ? 引き受けてくれるか?」
キティグは一度喉をならした。
自分は今、人生の岐路に立っているのかもしれない。そんなことをキティグは思った。毎日臭く汚い貧民街からこの王宮を眺めていたのだ。中ではどんな暮らしをしているのだろうと、あれやこれやと想像したのだ。王子としての暮らしを味わってみたい。それはキティグの願望の中で何よりも貴く、また夢と思い諦めた気持ちであった。ジブリールが選択肢を提供したことすらキティグには馬鹿らしく思えた。
YESに決まっている。
YES以外の選択など存在するわけがない。今のキティグは御馳走の目の前にして、待て、と命令されている犬の気分だった。だが、ほんの少しだが不安がないわけではない。ジブリールはこう言うが、もしも、王子と入れ換わったなんてことが他の人の知られたら、この身はどうなるのだろうか。この国の王はただ笑ってすませてくれるものなのだろうか。それとも、殺されてしまうのだろうか。
分からなかった。王族が何を考える生き物なのか、キティグには全く見当もつかなかった。
だが、それがどうだというのだ。
王子はきっと豪勢な料理を毎夜食べ、温かいベッドで眠り、絹の下着を着て、全ての人に尊大な態度で接しても許される人種に違いない。
――味わってみたい。そんな生活を俺も味わってみたい。
危うさは感じていた。だが、それを遥かに上回る激しい欲望がキティグの首を縦にふらせた。
「分かりました殿下。その話、お引き受けいたしましょう」
ジブリールの顔から割れんばかりの笑顔が飛びだし、キティグに対し何度も「ありがとう!」と言った。
結局、出立は予定よりも遅れ、夕方頃にジブリールは王宮を出立した。ザグゼインはジブリールを見送り。キティグは、ジブリールの部屋から、遠ざかるジブリールを眺めた。
その影が小さくなるにつれ、キティグは昂揚感で胸が高鳴った。小さい影が見えなくなった所で、キティグはクルッと反転した。
きらびやかな装飾品の数々が目に飛びこんできた。
たった一日で全てが変わった、と思った。
透明なガラスで出来たグラスも、銀で作られた燭台も、ふかふかなベッドも、代わりであるとはいえ、今は、全て自分の物なのだ。
キティグは息を吸い込むと、ゆっくりと吐きだした。自分の息さえ高貴に思えた。キティグは生まれてはじめて人に感謝した。
「礼をいいたいのはこちらの方さ。ジブリール」