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たちこめる砂埃にキティグは思わず目をつぶる。そして、ゆっくりと目をあけた。キティグは口角の片方をあげる。
ついにこの時がきた、とキティグは思った。
眼前には太陽に照らされた巨大な石造りの壁があった。これは王都をぐるりと囲むようにそびえ立つ“城壁”である。そう、この中に沢山の人々がひしめき合う王都があるのだ。この城壁を超えればあとは王宮まで障害物はなにもない。
つまり、今回の戦はこの城壁を越えさえすれば、勝ちが決まる戦であった。
黄金の鎧をまとったキティグは城壁を十分に眺めると、馬の手綱を操り、今度は自分の背後を振りかえった。
そこには平野を埋め尽くすほどの人がいた。視界の端から端まで、キティグの目には様々な色の髪と、そして人の顔がみえた。キティグは全軍に対し声を張り上げた。
「さて諸君。諸君等は今歴史の重大な転換点に立ち合っている。見よ! あの奢り高ぶった巨大な壁を! そして、あの中にいる貴族達を想像せよ。よだれをたらし、富にむらがり、君達を散々押さえつけてきた者があいつらだ! 私はそれを解放する。皆を解放する。私が王となり、皆を解放してやろう。これはその為の戦いだ。このミッドランド史上はじめて、持たざる者が持てる者から奪うのだ。どうだ? 皆、痛快であろう?」
平野を埋め尽くす人の“群れ”が一斉に歓喜に沸いた。それは地鳴りのように周囲に伝わり、相対する城壁上の兵士を青くさせた。キティグは平野に埋め尽くす人々の顔をみた。皆恍惚とした表情をしていた。キティグもかつて庶民であった。だから彼等の喜びそうな台詞は知っていた。そして、こう言えば彼等は喜んで死んでいく事も知っていた。数十、数百、いや数千人の死体が積みあげられようとも、彼等はもう止まることはないだろう。自分の死を意味のあるものに出来たと思いこむだろうから。
――皆、俺を王にする為に栄誉ある死を遂げるのだ。
キティグは手綱を操り、もう一度巨大な壁を正視した。
全ての準備が整ったと思った。
2万以上いる人の“群れ”と、ハシゴと、それに死をも恐れぬ心。
キティグは目をつぶった。彼等が王都に攻めいればどれほどの死者がでるだろう、と思った。狂った羊の群れは主人であるキティグの命令なしには止まらない。だが、それもよい、と思った。どれだけ人が死のうがそれは比類なき王を誕生させる生贄の様なものなのだ。人の命も、動物の命も、草や木も鳥も虫も皆同じ……、全ては自分という唯一無二の王にかしずく為に存在している生命なのだから。
もはや、キティグの心にためらいはなかった。
キティグは鞘から剣を抜き出し、天高くかかげると、次はその剣をゆっくり巨大な壁に向け、そして叫んだ。
「進めぇえええ!」
すると、それと同時に各所でラッパの音が鳴る。平野を埋め尽くす“群れ”はその合図で動きはじめた。群れの先頭には城壁の上にまで届くハシゴを担ぐ人々もいる。皆、城壁に向かって走る。ヒュンヒュン、という風を切る音がかすかに聞こえてきた。どうやら城壁の上からは、王都に残った兵士が矢を射かけているらしい。キティグはその様子を白馬の上から眺めていた。最初の場所から一歩も動かずにただ眺めていた。城壁にハシゴがかけられ、そこを蟻のように民兵隊が登る。だが、城壁の上にいるミッドランドの兵士は矢を放ち、登ってくる民兵隊に射かけたり、かけられたハシゴを倒したりして応戦をしているようだった。
あらかた想像通りの図であった。こうして長い間戦いが続く間にどこからか突破口が生まれるのだろう、とキティグは思った。
キティグはこの光景を眺めながら昨日の出来事を思い出していた。もしも、あの老人であれば、この王都をどう攻めたのだろうか、ということに思いをはせながら。
「さて、ワシ以外の貴族はあらかた殺された……、という所ですかな」と軍師マリゼフはいった。キティグの目の前には軍師マリゼフがいた。キティグは人払いをして、この老人と二人で話す機会を設けたのだ。マリゼフは続ける。
「なぜワシだけを生かしました?」
「お前だけではない」とキティグはいった。「ハーディンも生きている。ハーディンは土地なしゆえに私の呼ぶ“貴族”には該当しないがな」
「ならばやはり“貴族”で生きているというのはワシだけになるようですな」
「……そうなるな」
キティグはそういうと、一度椅子から立ち上がった。
「マリゼフ……。お前は自分の扱いについて王家に不満を感じた事はないか? なぜ自分程の将軍が、これほどみじめな扱いを受けねばならないのか、と。お前はミッドランドが戦乱の土地と化していた祖父の代の将軍であった。お前の戦歴を見た事があるが……、実に感服したよ。リーフ川の戦い、ジブラルタルの戦い、50年以上前になるが、お前はその名だたる戦に参戦し、そして、そのほとんどの戦場で勝利をおさめた素晴らしく有能な将軍であった。だが祖父はお前の働きに報いようとはしなかったようだな。褒美として与えられた土地は猫の額ほどの広さの土地で、当時は“報われぬ人”などとも民衆からは言われたらしいな。ははは」
マリゼフはしわがれた声でいった。
「何をおっしゃりたい?」
キティグは白髪が生えたマリゼフの頭に顔を近づけていった。
「私ならば、功績には報いる、と言っているのだ。すばらしい仕事を果たした者には素晴らしい報酬をやろう」
マリゼフは眉を動かさずに答えた。
「それで?」
「それで……とはどういうことだ?」
マリゼフは一度大きく溜息をつくと、こういった。
「討ち滅ぼしたい何かがあるからワシに誘いをかけている……、違いますか?」
「そうだな」
「では殿下、何を滅ぼすおつもりですか」
「王都だ。特に滅ぼすつもりはないが、あの巨大な城壁は厄介だ。その攻略をお前に手伝ってもらいたい」
このキティグの発言に、マリゼフは大きく息をつくと「やはりワシはこの話をお断りします」といった。
「……なぜだマリゼフ」とキティグが問うと、マリゼフは「よいですか……」と言葉を溜めたあとに長々と話しはじめた。
「確かに50年前、戦っても戦ってもワシに報いぬ王にそれは頭にきたものです。だが、その仕打ちに耐える事ができたのは、ワシが王都を守っているという自負があったからです。殿下……王都にはどれほどの人が住んでいるか考えた事がございますか?」
キティグは「さぁ」と答えた。
「20万人でございます。あの王都の中には20万の人々がひしめき合っているのです。ワシはいつもそれらの人々を守ってきたのです。ですが、これほどの規模の軍隊があの街に侵入した場合どうなるでしょう」
キティグはその場面を想像できたが、敢えて黙った。軍師マリゼフは続ける。
「狂った羊は、たとえ自分の故郷であろうとも主が止めない限り果てのない暴走を繰り返します。なぜなら、軍とはそうしたものだからです。ならば殿下は主としてそれを止めるかといえば、その目は“違う”といっておりますな。恐らく殿下はバルバレア陛下の首をとるまで、その暴走をお許しになるだろう」
キティグは、ほくそえんだ。何が悪い、と思った。それにくだらない、とも思った。王都を守ることがこの老人にどれほどの利益をもたらすというのだろう。ゼロだ。そんな価値のない薄っぺらい自己満足がそれほど大事なのだろうか。自分の技術を他のことに試してみたいと思わないのだろうか。結局この老人はそんな陳腐な価値観を誰かに押し付けられ、それを信じ込む羊の1人なのだと、キティグは思った。
すると、不思議とこの老人の命が急にどうでもよく思えてきた。更にこれ以上関わり合うことに何の意味があるのだろう、とも思えてきたのだ。
この老人には恐らく戦術的な価値があるのかもしれないが、急にその価値さえ色あせた物のように感じた。くだらない価値観を後生大事に抱えて生きてる人間の戦術など、きっと大したものではない。
だから、キティグはこの時、この老人の生命に対し、もういいか、と思ってしまった。
キティグはマリゼフの言葉に何度も頷くふりをすると「すまないが、小用をたしてくる」といってテントをから出た。そこでテントの外に待ちかまえる衛兵に手で喉をかき切る合図を送った。その合図に頷いた衛兵の数人はテントの中に入ってゆき、数秒後には老人の断末魔がキティグの耳にきこえてきた。死体は見ていないが、あれがあの老人の最後だとキティグは記憶している。
結局、あの老人ならばどんな手段をもって王都に攻めたのか、その答えは永遠に謎のままだ。とんでもなく良い作戦で攻めたのかもしれないし、酷く凡庸な作戦で攻めたのかもしれない。
――まぁ、たぶん誰が攻めてもさほど変わりはしないだろうけどな。
キティグの視線の先には城にとりつく民兵隊達が映っていた。城壁の下に重なる死体を数えると、すでに100人程度は死んだかもしれない、と思った。
――ふん。腐っても鯛か。ミッドランド兵もなかなかやるな。
城壁の上で必死に抵抗するミッドランド兵は盛んに弓を引きしぼり、奮戦を続けていた。これは腰をすえてかからねばならないかもな、と思ったキティグは、白馬から降りると、キツネ目のハーディンらが設営した数十m先の簡易的な陣地にひきあげた。そこにはキティグのために用意された椅子があった。
キティグが椅子に座ると、顔を強張らせたハーディンが横にいた。
ハーディンは怯えきった小動物の様な目をしていた。きっと何か不手際があると、自分も軍師マリゼフのように殺されてしまうのでは、と思っているのかもしれない。
キティグは大きな溜息をついた。そして、ハーディンの気持ちを推察するバカバカしさを思った。こんな者の気持ちを考えて何になるというのだろう。それぐらいなら、城にとりつく民兵達の様子をみるべきなのである。キティグは、一度腰を浮かし、ズボンのしわを伸ばすと再度椅子にドカッと腰をかけ、城壁にとりつく兵士の様子を眺めた。
すると、その直後に地鳴りのような音が聞えた。ゴゴゴ、という音だ。
なんだ? と思ったキティグは辺りを見回した。だが、特に変わったところはない。キティグより後ろにいるのはこの軍隊に随行してきた娼婦の一団くらいのもので、キティグの周りには何一つ変化がなかった。
――城壁の方か?
キティグは城壁上で戦っているミッドランド兵を眺めた。だが、城壁上にも特段変化はないみたいだった。
するとハーディンが「信じられない!」と叫び、ある一点を指さした。キティグはその指の示す先に視線を映した。
キティグは、一瞬、自分の目がおかしくなったのか、と思った。だから素に戻り、思わずつぶやいた。
「おいおい、マジかよ」
それは、王都を守護する巨大な城門が、ゴゴゴ、と大きな音をたて、口をあけている映像だった。あまりの非現実的な光景に、城壁に向けて蟻のようにせわしなく登っていた民兵も、登るのをやめ固まってしまった。
この戦場にいる誰もが城門があけられた意味を分かっていた。城門があけられた以上、城壁はもはや意味をなさない。つまり、この城門があいた瞬間、キティグの勝ちが決まったのだ。
城壁の下に留まっていた民兵やハシゴに登っていた民兵も半ば笑いながら、空いた城門から次々と王都に突入していった。
キティグは口をあんぐりとあけたまま固まっていだが、城門の中に突入してゆく民兵達をみて、勝利の気分が体中に満ちてきた。未だに不思議な感覚ではあるが、城門を破った以上勝利が確定したことだけは間違いないのだ。キティグは傍らに佇むハーディンに尋ねた。
「……俺は勝ったのだな?」
ハーディンは首を縦にふった。
キティグはまた別の配下に尋ねた。
「……俺は勝ったのだな?」
別の配下も首を縦にふった。皆キティグの問いに首を縦にふった。キティグの体中から勝利の実感が沸き出てきた。体中の毛穴が開き、キティグの鼻をふくらませた。
――勝った。そう勝ったのだ。俺が……、孤児だったこの俺が……このミッドランドの王になったのだ。
口角があがり、頬がつりあがった。口も鼻も息を弾ませ、目はわずかに潤んだ。
キティグは空を見た。すみ渡った青い空だった。自分の頭上を何も抑えつけるものが無い空だった。キティグは激しく思った。自分の上にはもはや何もないのだ、と。
キティグは体中にあつまった喜びを下品で粗野な笑い声で現わした。これがこの男本来の喜び方だった。
「いひゃっははははは! マジかよ! あーはっはははっはっはははは! 最高だなマジで。勝った、勝った、俺は勝ったんだ! 俺が王だ、俺が、このキティグが王になった! ミッドランドはこの俺のもんだ! あーーはっはっははは! どうだ! ざまぁみやがれ! ジーン見てるか!? タリスマン見てるかよ! 見事なもんだろ! この俺はこの地上で一番の男になったんだ! ひゃーはっはっはっははは!」
すると、笑うキティグは城門の真ん中に人独り佇む男に気づいた。
男はゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。それはまるで白昼夢の様な光景だった。1人だけ別の次元に存在している様な、そんな感覚。周りの平面に暮らす人々が、そこにだけ触れられないようになっているかの如く、男はただゆっくりとこちらに近づいてくるのだ。
その男は、黄金の鎧を身にまとった男であった。頭にターバンをし、高貴な衣服を身につけていた……
キティグをはじめとする、キティグのまわりの人々もこの摩訶不思議な光景を黙ってみていた。キティグは周りが黙る理由が分かった。その男の格好があまりにも自分に似過ぎているのだ。黄金の鎧も、高貴な衣服も何もかもがキティグとまるっきり同じであった。
男はキティグの数十m手前までくると、頭と顔をグルグル巻きにしたターバンを自ら外した。中から現れたのは自分と全く同じ顔をした男だった。キティグはまるで鏡を見ているような気分に襲われた。それはキティグの周りも全く同じだったようで、ただただ茫然と立ち尽くし、二人を見比べていたのだ。
男は口をあけた。
「やあキティグ、久しいな……。ここには馬で来たかったのだが……。私は馬に嫌われてるゆえ……、やむなく徒歩で来た」
男のまわりを小鳥が飛び、その小鳥は男の肩にとまると、肩に頬ずりを繰り返した。
キティグは思わず口から言葉を洩らした。
「ジブリール……」
二人の間を激しい風が吹き抜けた。それは土埃となり、高くこのすみきった空に舞い上がった。
きっとはじめから何もかも決まっていたのかもしれない。彼等がここで対面する事も、容姿が似ている事も、入れ換わる事も、はじめから、なにもかも。キティグとジブリール。彼等の運命が二人を向かい合わせた。




