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金色の髪をした小さい子供が視界に映った。恐らく夢だからか、それがすぐに自分であるとキティグは分かった。たぶん4才の頃の記憶だ。ああ、あの時は何を考えていたんだっけ、とキティグは思った。4才の頃の自分は石畳の上に座り、ボーっと王宮を眺めていた。すると、そんな幼いキティグを冷やかす黒髪の少年がいた。たしか、こいつも孤児だった。名前は……、たしか……。ダメだ思い出せない。すると、4才の頃の自分がこちらを向いていった。
《あの子の名前はスソ。僕等はずっと待ってたんだ。僕等を助け出してくれる人が現れるのを……。来る日も来る日も待ち続けたんだ》
そうだ。待っていた。ずっと待っていた。でも、中々現れなかった。そして、ある日、ようやくタリスマンが現れた。でもタリスマンはスソを引き取らなかった。
《そう、僕だけが引き取られた》と、4才の自分が言った。
アレからスソはどうなったんだろう。いやスソだけじゃない。あの石畳の上で生活していた皆はどうなったんだろう。あれ? いや、違う。見たのか? あの後たしか……。
《そう、見たんだ。僕はみた。もう骨と皮だけになったスソを……。蠅が止まるスソを……。僕は独りでひっそりと死んだスソを見たんだ。僕は泣いた。そしてタリスマンに喰ってかかった。どうしてスソを助けてくれなかったのか、って》
キティグの頭に、その時のタリスマンの言葉が蘇る。
『あのガキじゃダメなのよ。目を見れば分かるわ。あのガキは“使えないガキ”なの。私の役に立たないガキなの。なんでそんなガキを私が世話しなくちゃならないの?』
腹が立った。納得いかなかった。でも、段々と月日は流れ、やがて理解した。この残酷な世界ではタリスマンの方が正しかった。強くなければ生きていけない。弱ければ死ぬ。この世界ではただその運命が待っているだけ。4才の自分は言った。
《わかってる。痛い程ね……。でも僕は助けたかった。皆で一緒に笑って遊びたかったんだ》
4才の自分を酷く幼く感じた。まぁ幼いのだからしょうがないのだが、そんなこと考えるだけ時間の無駄だと教えてあげたかった。でもふと、こんなことを思った。
――俺はいつからこんな考え方をするようになったんだろう? 本当に時間の無駄なんだろうか? いや、そもそも俺の考えは、本当に俺の考えなんだろうか?
夢はそこで途切れた。
光がまぶしかった。
髪がべっしょり汗で濡れていた。
――夢を見ていたのか?
何やら酷い夢だった気がした。そうじゃなければここまで汗はでないだろう、とキティグは思った。なにか遠い出来事の夢だった気がする。そこで誰かに何かを言われたような、大事な何かに気づいた様な……。
目がようやく光に慣れてきた。すると、段々と視界が開けてくる。
キティグは、一瞬自分の目が信じられなかった。
また、違う夢でも見ているのではないか、と思った。
目に飛び込んで来たのは白の色調に豪華な金細工を施した壁だった。少し視線を上に移すと、そこには見た事もない装飾がほどこされたシャンデリアがあり、天井にも絵画が描かれていた。キティグは呆気にとられ、いつもの癖で頭をかこうとした。腕が動かなかった。キティグは、ここではじめて自分の両腕が体の後ろで縛り付けられていることに気づいた。だが、キティグの意識は縛られた両腕よりも、自分の座っている椅子に集中した。なにか布を何重にもしきつめたふわふわした感触があった。視線を下に移すと、その椅子の所々に宝石が散りばめられていることに気付いた。
キティグはこんな高価な物をみたのは初めてだったし、触れたのも初めてだった。
貴族の家だ。
ここまで豪勢な装飾品を飾り立てることが出来るのは貴族以外にありえない、とキティグは思った。キティグは商売柄、商人との接点が多い。だが、奴等の持つどんな高価な物さえも、この部屋にある物と比べれば子供の玩具にように思えた。
扉の外から声が聞えた。
「殿下、危ないです。まず私が見てから」
「よい。礼を失するではないか」
扉が開いた。二人の男が部屋に入って来た。目で追おうとすると、逆光が重なり、目がくらんだ。だからキティグは薄目で二人をみた。金髪の男と、もう一人はたぶんキティグの腹に拳をくれた厳つい男だった。たしか名前は……。
「――ザグゼイン」
そうキティグが言葉を発すると、ザグゼインの隣の金髪の男は笑い、ザグゼインの肩を叩いた。
「ははは、名を覚えられてよかったではないかザグゼイン。滑り出しは上々だな」
ザグゼインは何も言わなかった。むしろ怒った顔をしていた。もはやキティグもこの状況と相まってザグゼインの身分を疑おうとしなかった。あいつはきっと本当にガードの領主、ザグゼイン=ガードなのだろう。ならば、そのガードの領主に対してこんなに尊大な態度をとるこいつはなんなのだ、と思った。だから、きっとそのままの言葉が口から出た。
「お前は誰だ?」
その言葉がキティグの口から漏れた途端、雷鳴のようなザグゼインの声が部屋中に響き渡った。
「下郎が! なんて口をきく。この御方をどなたと心得る! この御方は、ミッドランド王国、第42代バルバレア国王が世子、ジブリール=ミッドランド殿下であらせられるぞ」
――こいつが、プリンス・ジブリール?
キティグは思わず目をふせた。
貴人に対しては目を合わせてはいけない。それがこの国の風習であった。それに……、王族を見たのは初めてだった。
「よいよい。我が名はジブリールだ。お前の名はなんという?」
普通に喋りかけてくるジブリールにキティグは戸惑った。だが、貴人の問いに対し素直に答えるべきだ、と思った。
「キ、キティグにございます殿下……」
「ほう、キティグというのか。実はなキティグ、おりいってお前に頼みたい事がある。というのも――」
早速本題に入ろうとするジブリールをザグゼインが制止した。
「殿下。何卒お考え直しを。このことがバルバレア陛下に知れれば、何の罪に問われるか分かったものではありませんぞ!」
「ザグゼイン。それはもう何度も考えた。これは考えた末の結論である」
「しかし殿下」
「くどいぞザグゼイン! もう決めたのだ。僕は身分を捨てると」
――!?
キティグは二人の会話の内容に耳を疑った。今このミッドランドの王子は、身分を捨てる、と言ったのか? 正気の沙汰とは思えない発言だった。
ザグゼインは溜息をつき、諭すような言葉をジブリールにかけた。
「よいですか? 殿下はこの世界を知らぬのです。身分を捨ててどうするおつもりですか」
「知らぬ! そんなことより、もう王子など沢山なのだ! 毎日毎日、頭が割れんばかりの怒鳴り声をぶつけられて。お前は王子ではないだろう? なら僕の気持ちが分かるわけがない。最近では父上に怒鳴られるたびに胸が苦しくなって、息ができなくなる。なのに、僕は王子であるから、そんな姿すら誰にも晒すことができん。お前にはその苦しみが分かるのか? ん? 分からないであろう?」
「よいですか殿下。この世界は、そんな悩みなどまるで悩みの内にも入らない、という人々で溢れかえっているのです」
「僕の悩みを侮辱するのかザグゼイン!」
ジブリールの怒鳴り声で、ザグゼインは一歩引いた。
「とにかく僕はこの宮殿を出ていく。これはもう決めた事だ。そして、キティグ。お前には僕の代わりを務めてもらいたい」
キティグは、何を言われたのか理解できなかった。
ザグゼインは早速口を挟む。
「このような下賤の者に殿下の代わりなど出来ようはずがございません。どうかお考え直しを」
この間も、キティグは顔をあげなかった。というよりもジブリール王子の代わりとは何を意味しているか分からなかった。だから黙って二人の会話を聞いていた。ジブリールはザグゼインに対し声を荒げた。
「だが、こいつしか僕の代わりは務まらないのだ。それはお前も分かっているだろう」
「しかし!」
――俺しか務まらない?
そんな疑問を抱えるキティグにジブリールは命じた。
「顔をあげよキティグ。僕の顔を見るのだ。遠慮はいらぬ」
キティグは一回喉を鳴らすと。ゆっくりと顔をあげた。一瞬、逆光が重なり、ジブリール王子の顔が見えなかった。しかし、光が過ぎ去ると、そこからは鏡で何度も見た事のある自分の顔が浮かび上がってきた。夢でも見てるのか、と思い、目を瞑り、もう一度開けた。やはり、そこにあったのは自分の顔だった。自分の顔が喋った。
「どうだ。瓜二つであろう我等は。その違いを見つけるのが難しい程に」
キティグは驚きで声が出せなかった。
信じられなかった。いや、信じるしかなかった。ジブリールとキティグは、まるで双子のように瓜二つの容姿をしていた。




