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キティグは独りパブリカルと呼ばれるテントの中で、領主達が集まるのを待っていた。このテントは、20人ほどが入ることできる大きなテントで軍議や会食などをする時に使われるものだった。テントの中には4つ燭台があり、そこに火が灯されていた。まだ夜であった。テントの入口が開かれ、そこから寝ぼけまなこをこすり現れたのは、ピーター=バルムーク伯爵をはじめとする、今回の戦に参陣した領主たちであった。領主達は次々とこのテントの中に入り、各々用意された席についた。
上座に座るキティグは「こんなに早くにすまないな」と領主たちに詫びた。
まだ午前3時ごろであった。領主たちは、疲労感たっぷりの表情で椅子にどっかりと座った。先頭をきって発言したのはイリーナの父ピーター=バルムークであった。
「さて、我等も少々驚いているのですよ殿下。こんな朝早くに……。いや、これは朝ではありませんな。まだ夜です。その夜にどうしたのですか、我々を急にお集めになって……。何か重大な用件でもあるのでしょうか? それにです」とバルムーク伯爵はそこまでいって一旦口籠った。「その殿下の服装、いえ“いでたち”はどうしたのです? なぜ鎧を身にまとっておるのですか?」
他の領主達も不思議な顔をしてキティグを見た。キティグはまるで王都を出発した時のように黄金の鎧を身にまとっていたのだ。キティグはにっこりと笑った。
「ふむ。大切な軍議をしようと思ってな。その心構えの為に、こう“正装”をしているというわけだ」
領主たちはキティグの発する軍議という言葉に一様に首をかしげながらも頷いた。大柄なドレン子爵は手をあげ「私からもよいでしょうか?」といった。
「かまわぬ」とキティグは返事した。
ドレン子爵はテントの入り口や背後を見ながらいった。
「テントの外の物々しい警備は……、何のためかと思った物で……」
「ああそれか……」とキティグは言った。「それはこれから言う話をふらふらとテントに近づく者達に聞かれないためにしている。とても大事な話だからな」
ドレン子爵は「はぁ……、そうでありますか……」といったまま、それ以上言わなかった。いよいよ領主達の視線がキティグに集まった。そもそも、皆、なんのためにここに集められたのかを知らない。ただ集まれと言われて集まっただけなのである。だがキティグはなかなか用件を言わない。領主達の顔を見てただ満足そうに微笑むだけなのだ。ピーター=バルムークはしびれをきらして言った。
「殿下、何も用がないのなら我等はこれで帰りますぞ」
「待て」とキティグはいった。「用ならある。とびっきり大事な用がな……」
キティグは1人立ち上がり、領主達の前を歩き語りかけた。
「皆、〈川睨み〉を理不尽に感じた事はないか?」
この発言に領主達は互いに顔を見合わせた。〈川睨み〉は対ウォーラを見据えてバルバレアが最も重要視している政策であったからだ。キティグは続ける。
「〈川睨み〉のせいで毎年の支出は多くなり、財政的に苦しい領主ばかりであろう? ん? 違うか? 兵士達の費用も、食事代も無料ではない。全部各領主が自前でまかなわなければならない。しかも毎年だ。こんな意味のないことを毎年……。これを理不尽だと思わんか?」
「殿下、そこまでになさいませ」とバルムーク伯爵が口をはさむが、キティグは止まらない。
「そこでだ。お前達に飛びっきりの良い話をもってきたのだ。ん? 何だと思う? それは、この無意味な〈川睨み〉を永遠に廃止してやろうという話だ。この私が約束する。永遠に川睨みを廃止してやろう」
領主たちの視線がよりいっそうキティグに集まる。しかし、その視線には困惑の感情が混じっていた。キティグの喋る意図が分からないのだ。
ドレン子爵が「だが……それには……」といいかけた所で、キティグはドレンを指さした。「そう! 私が王じゃなければならないのだ。王でなければ法令など変えることができない。でも少し考えてくれ、そんなことなんて今の私には簡単にできる。本当に簡単にな。この手のひらを表から裏にするように、本当に簡単に」
皆、キティグの言っている意味が分からないようで、互いに目配せをしていた。キティグは続ける。
「そう、今はこの私こそがもっとも王に近い、皆はそう思わないか?」
キティグの金色に光る鎧が火のゆらめきで輝いた。キティグは両手を大きく広げ、それを領主達に向けた。そこから先に発せられた言葉は、まさしく狂人の言葉であった。
「今現在、この瞬間、このミッドランドの地で、もっとも多くの兵を動かす立場にある人間は誰だ? ん? 誰だ? そう、この私だ! この平原にはミッドランド中から集めた兵士が無数にいる。我々は、今ミッドランドで最も暴力に秀でている集団なのだ。これがどれだけ重要なことか分かるな? 暴力は他の全ての強さに勝る。自然界では、そのルールから逃れる事はできない。つまり、我々がすることをミッドランドに住む者は誰も止める事ができないのだ。悪ふざけだろうが、虐殺であろうが全て思いのままだ。なんでもできる。だから、このまま王都に攻めのぼりバルバレアの首を討ち取り、王になることなど、とても簡単なことなのだ。そうであろう? ん? 違うか? つまり、私こそがもっとも王に近い男なのだ」とキティグが言った所でバルムークが詰め寄ってきた。
「殿下! これはミッドランド王家に対する反逆罪にあたりますぞ! お気は確かか!?」
キティグは冷たい目をバルムーク伯爵になげかけた。
「ほう? 反逆罪?」
「そのとおりです! 皆もそう思うであろう?」というバルムーク伯爵の問いに、領主達は全員首を縦に振った。この場にキティグに味方する者はいなかった。キティグは笑った。
「ふふふ、反逆か……。私が考える反逆と、お前達の考える反逆は少し違うようだな。反逆とは、絶対的な強者に対し牙を向く罪をいう。この世の道理の分からぬ無知な者に対する罪だ。私の言っている意味が分かるか? この状況こそが私に対する反逆である。そして、私はこう思う……。生かすチャンスをやったのに、それをふいにしたお前達は本当に道理の分からぬ愚か者である、と」
そう言い終ったキティグは親指と中指をこすり合わせ、パチン、という音を鳴らした。
その次の瞬間、テントの外から刺しこまれた無数の剣が領主達の体を貫いた。
「ぐああああああああああああああ」
「ぎゃあああああああああああああ」
領主たちの断末魔がテントに響いた。ピーター=バルムークは腹から血を流し、キティグを睨んだ。「何のつもりだジブリール……。なぜこんなことを……」
キティグは笑って答えた。
「反逆の鎮圧さ。あ、そうだ。紹介しよう。ちょっと後ろを見てくれないか。ああ、俺の後ろではない、お前の後ろだ」
バルムークは自分の後ろを振り向いた。そこには切り裂かれたテントの後ろに民兵隊とおぼしき恰好をした兵士がいた。小汚く、貴族達の盾になるしかない兵士。キティグはとびっきり明るい声でこういった。
「ピーター。彼の顔が見えているか? 彼こそが新たなバルムーク伯爵だ」
ピーター=バルムークは口をあんぐりあけた。それは確かバルムークの地で民兵隊の隊長に選らばれた男だった。
「こんな小汚い男が……我バルムークの土地を継ぐ……だと?」
キティグは笑って答える「その通りだよピーター。この世は真理によって動かされる。強き者が勝ち、弱き者が負ける。小汚かろうが何であろうが、実力のある者こそが全てを勝ちとるべきなのだ。ただ永遠と血筋のみによって栄えるよりな。その方がよほど自然だ」
キティグは鞘から剣を引き抜くと、大きく振りかぶり、そして振り下ろした。ピーター=バルムークの首が宙を舞い、大量の血がキティグの鎧にべっとりとくっついた。振り向くと、すでにこの場に集まった領主の全員が死んでいた。キティグは屈強な戦士としても知られるドレン子爵の死体をみた。さすがにこれほどの戦士でも武器もなく鎧もなければ勝負にならないとうわけか。
キティグは仕事を終えた民兵隊の隊長である新領主達に命ずる。
「まだ数多くのテントに旧領主配下の貴族達が眠っているはずである。奴等を一人残らず殺せ。そいつらの持つ土地、財産、全てその方達の思いのままである。では、これを全ての民兵隊に伝えよ。よいな? 民兵隊の隊長達よ。そなた達の身分は私に忠誠を誓う限り私が保証しよう」
新領主に据えられた各民兵隊の隊長達は「はっ」といったあと、各隊に散っていった。しばらくして方々から火の手があがり、大量の断末魔がキティグの耳に届いた。それは、とてもよい音色に聞えた。王宮で聞いた弦楽器の演奏よりもずっともっとすばらしい音を奏でているように感じた。
キティグは両手を広げ、目をつぶった。
火の温かさと、明かりと、心地よい音色にくるまれているような感じがした。キティグはとても幸せな気分になった。
そのうち、目蓋に日の光があたりはじめたことに気付いた。目をあけると、ちょうど正面から太陽が顔を出し、この大地が照らされていた。
その時、キティグは見た。赤だ。この大地は真っ赤に染まっていた。それはまるで赤い湖のようであった。その湖に太陽の光があたり、水面のように乱反射していた。
美しかった。とても幻想的な光景だった。
そしてよく見ると、その湖の中にこちらを向き跪いている人々がいることが分かった。
キティグは辺りを見回した。すると、実に数万人の人々がキティグを中心に円を囲むように、跪いていた。
キティグは再び両手を広げた。
「皆、顔あげよ。そして私の顔を見るのだ」数万人の伏せた顔がいっせいにあがり、全ての人がキティグに注目した。その人々にキティグは凛々しく宣言した。
「私はこれを機に名を改めようと思う。古来、このミッドランドでは太陽の光をキィーと呼んび、その太陽と共に生きる人々のことをティグと呼んだらしい」
キティグは太陽に向かって叫んだ。
「キティグ。これからは私のことをそう呼ぶとよい」
すると方々から「キティグ王万歳」という声が聞えてきた。その声はまるでやまびこのように広がり、あっという間に「キティグ王万歳」という大合唱になった。
キティグはとてもよい気分だった。この地上の誰よりも自分のことを尊く感じられた。そして、やっと自分の名で権力の頂点に上り詰めたのだ、と思った。
――あと少し、あと少しで終わりだ。
キティグの目が草原のかなたへと向けられた。その目の先には王都があり、王宮があり、そして王座があった。
そう、全てを手に入れるまで、あと少しだ、とキティグは思った。




