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入れ替わりの王子  作者: りんご
6章 産声
27/32

-26-

「父上からの手紙……だと?」

 キティグは手を伸ばし、キツネ目のハーディンからその手紙を受け取った。


 ここは王都からガード領リーフ川に向かう為に使われる“征伐の道”の途上にあるアルガス高原のキャンプ地であった。既に王都を出立してから3日目が過ぎようとしていた。

 キティグは手紙の表と裏を確認した。手紙には封蝋がなされていた。封蝋とは、ロウを手紙に垂らし、そこに印璽と呼ばれる家の紋章をかたどった判子を押すことだ。これは差出人を証明すると同時に中身が開けられていない証にもなった。封蝋で閉じられた封筒は途中で開封すると封蝋部分が砕けるように出来ていたからだ。

 キティグは封蝋をじっくりと凝視し、それを指でなぞった。


 ――確かにミッドランド王家の紋章だな。


 キティグは封蝋を砕き、中の手紙をとりだすと、まず署名欄をチェックした。そこにあったのは間違いなくバルバレアの署名であった。この時代、封蝋と署名が間違いないならば、差し出し人本人からの手紙と考えるのが一般的であった。


 ――バルバレア本人からの手紙で間違いないな。


 一瞬、ビショップ側の虚報作戦を警戒したが、どうやらそういうわけでもないらしい。しかし、だとするとますます不思議な話である。


 ――今回の戦はてっきり俺に一任されたものだとばかり思っていたが……。


 キティグはそんなことを考えたが、すぐに別の可能性も頭に浮かんだ。口やかましいバルバレアのことだから、行軍中の軍隊に一々と指図することもあるかもしれない、と思ったのだ。

 まぁあんたが指図するなら別に俺はそれでも構わない、などと思いながらキティグは手紙の中身に目を通そうとしたが、読めない字が多かった。


 キティグは手紙をハーディンに突き返すと「読め」と命じた。困惑の表情をするハーディンであったが、そんなハーディンに対しキティグは「戦時秘書官とはそういうものだ」と言い放った。ハーディンは首をかしげながらも手紙の中身を読み上げた。


「ジブリールよ。急ぎ王都に戻れ。既に悪党ビショップらは降伏した」


 キティグは思わずハーディンの方をみた。ハーディンも手紙を読みながら驚いている様子であった。

 ――ビショップが降伏した?

 キティグはまくし立てるようにハーディンにいった。

「続きは? 続きはないのか?」

「はい。文面はこれだけです」

 ――……。


 キティグは喜んでいいのかよく分からなかった。ビショップが降伏したのであれば、当然、それを支援する目的で動き出していたウォーラも大義名分を失い引き返すほかない。真実であれば喜ぶべきニュースなのだが、封蝋と署名を除けばこの手紙の中身はまるでビショップ側からの虚報のようにも思えた。軍勢が引き返す事で一番利益をえるのは、ビショップに他ならないからだ。


「全軍に明朝王都に戻る命令を伝えましょうか?」とハーディンがきいてきた。

「いや、まて」とキティグは言い、人差し指を立てた。「この為の“軍師殿”であろう?」




 杖をつき、キティグのテントにきた軍師マリゼフは、キティグの問いにこう答えた。

「ビショップが既に降伏した可能性は、大いにあるでしょう」

 キティグがそれに反論した。

「だが、これはまるでマリゼフ殿が教えてくれた虚報に近いようなものではないか?」


 キティグは以前戦術講義の時にこの老人から似たような話を聞いた事があったのだ。圧倒的に劣勢の軍隊は敵の軍隊に偽の情報を流し、撤退させ、援軍を待つ、と。マリゼフは口角の片方をあげ答えた。


「いえ、このマリゼフはこうなるであろう、と既に予見をしておりました」

 マリゼフの言葉にキティグとハーディンは目を合わせた。マリゼフは続ける。

「殿下、考えてもみてください。ビショップら一味が本当にウォーラから支援を得られるとお思いですか?」

「それはどういう意味だ?」とキティグはきいた。「政治的に支援が難しいという意味か?」

 マリゼフは一度咳払いをしてから答えた。

「軍事的側面からみて、あのガードという土地の維持は、ウォーラにとって困難を極めるからであります。ウォーラ側から見てガード領はリーフ川の対岸の土地であり、そもそも支援が難しいのです。御存知の通りリーフ川はその川幅が100m以上ある運河、渡河の為には船を必要とします。だが、今回の我等と同規模の軍隊を彼等が川のこちら側に送り込むためには、船が何艘必要だとお思いか? つまり、ウォーラがガード家の騎士ザザ=ビショップなどを支援することなどありえるわけがないのです。もしありえたとしても事前に船の数でわかるものなのです。陛下はそのあたりのことがまるで分かってない」

「それは私も思ってはいたが、だからといってすぐに降伏するものなのか?」

「そういう者も少なからずいます」

「そうであろうか?」

「恐らく、ビショップという男は最初から戦など望んでいなかったのでしょう。ウォーラという虎の威を借りることで、ガード宗家から何らかの譲歩を引き出したかっただけなのだと思います。ただ、ビショップの予想に反し、これに過敏に反応してしまった人物がいた。それがバルバレア陛下です。まさかビショップも、3万を超える軍隊がガード領に向かってくるなど予想していなかったのでしょう。だからすぐさま降伏した。こんなところでありましょう」


 キティグはこの説明を聞き、頭では内容を理解していた。だが、どうも無理に話をこじつけているような気もした。だからキティグは困った顔をしながら黙りこんでいた。すると、軍師マリゼフはいった。「ワシは、人は臆病な生き物であると考えます。一戦もせず引きさがる戦など星の数ほど見てきました。特に今は平和な世です。ならば人は余計に臆病になるものでございます」

 たしかにな、とキティグは思った。

 そして更に思った。この老人のおかしな評判は間違いなのではないか、と。この老人は何も人の心を理解できぬわけではない。恐らく普段の人付き合いを意味のない事と考え、人を遠ざけているのだろう。

 キティグは頭をかいた。


 ――百戦錬磨の老人がこうも言うのだ、それにこの封蝋……。


 キティグは床に砕け落ちた封蝋の一部を拾い上げしげしげとみつめた。封蝋と署名が本物であるならば、まず間違いのない手紙であるはずだ。


 ――ならばここはこの老人に従っておくか。

 キティグは大きく息をつき、ハーディンに命令を下した。

「全軍に王都へ帰国することになった旨を伝えよ。既にビショップが王家に降伏した件も合わせてな」

 キツネ目のハーディンは「はっ」と短く返事をすると、そのままキティグのテントから出ていった。それを見届けた軍師マリゼフは「では、ワシも」といい、杖に体重を移動させ、椅子から立ち上がった。キティグはそのふらつき具合を見て「独りで大丈夫か?」ときいたが、この老人は何も答えず、ムッとした顔をさせテントから出ていった。


 キティグは独りテントに残された。

 そういえば、あの老人は総大将の任を拝命する席でもどこか怒っていたような印象があった。

 お前のいった通りにしてやったのに、何が不満なんだあのジジイ、と思ったところでキティグの頭にある可能性がよぎった。


 ――ひょっとして年寄り扱いされるのが嫌なのか?


 これに気付いた時、キティグの全身から笑いがこみ上げた。


「ふっ、ふふふははは」

 思わず声が出てしまった。いや、出てしまったものは仕方がない。キティグは、深く椅子に腰をかけ、そのまま笑い続けた。しばらくすると、ハーディンがテントに戻ってきた。

「殿下、明朝王都に帰国する命令を皆に――」と言いかけたところでハーディンは椅子の上で笑うキティグにきづいた。

「殿下?」

「ふふふ、いや気にするなハーディン。いや、世の中には面白いこともあるものだ、と思ってな」

「はぁ……」といったハーディンは改めて報告した。「明朝帰国する命令を皆に伝えてきました」

 キティグは「そうか御苦労」といいハーディンをねぎらう。するとハーディンは思い出したようにメモ用紙をポケットから出した。

「そういえば、この軍にずっと随行している娼婦達が王都に手紙を出したいので許可を頂きたい、と言っていますが……どうします?」

「好きにさせてやればよい」とキティグは呆れ顔でいった。

 その言葉をメモに書き留めたハーディンは、大きく息を吐き「王都を出発した時は酷い戦を覚悟しましたが、戦になどならなくてよかったです」といった。

 たしかにな、とキティグは思った。王都に五体満足で帰ることはよいことだ。


 キツネ目のハーディンは珍しくプライベートな話をした。

「王都に帰れば家族がまっていますし、何より上手い飯が食えます。失礼ですが、毎日同じ料理というのも私は飽きてしまいました」

「たった数日で補給の飯に飽きてしまうとは……。お前は私より、よほど贅沢な舌をもった男だな」とキティグはいった。

 ハーディンはそれに返答する。

「私は陛下に忠誠を誓う騎士の家の次男坊でございます。所有する土地も、爵位も持たぬ私の生きがいは、嫁と娘と料理なのでございます。どうか下賤の者とお笑い下さい」

「そうは思わないさ」とキティグはいった。「生き方も生きがいも人それぞれだ。私も帰ってからイリーナともっと戯れたいものだ」

「殿下は随分姫様と親しくなれたようで、一時王宮の誰もが心配をしていましたが、もうこれで王家とバルムーク家は安泰でしょう」

「お前はどの立場でものを言っているのだ」

「もちろん、王家の繁栄を願う騎士の次男坊としてです」

 このハーディンの言い分にキティグは笑った。間違いない、と思ったからだ。そして散々笑ったあとにキティグは遠くを見る目でテントの染みをみた。その染みの形がなんとなく、鳥の形にみえた。

「イリーナも気に入っていることだし。両家の繁栄のためにあのグランももうしばらく生かしておいてやるか。そうすればあいつに指をつつかれることも、しかたないことだ、と思えるようになるしな」

 そういったあとにキティグは笑ったのだが、それから、数秒、ハーディンとの間に沈黙が流れた。


 ――ん?

 キティグは自分が何か変な事をいっただろうか、と思いハーディンをみた。ハーディンは不思議そうな目をして答えた。


「殿下、申し訳ありません“グラン”とは?」

「私のペットだ」

「はぁ……、殿下の……」

 ハーディンは首をかしげていた。どうもグランに心当たりがないようだ。

 ――こいつ何度も俺の部屋に来ている癖にグランに気付かなかったとでもいうのだろうか?

 ハーディンは焦った口調でいった。

「申し訳ありません、私は殿下が他にペットを所有していると知らなかったもので……」

「何をいう、お前も何度も見ているではないか」

「え?」

 ハーディンはますます混乱しているみたいであった。キティグはじれったくなり、こういった。

「ほら、私の部屋の鳥籠の中にいるだろう。あの鳥のことだ」

 ここまでいって、やっとハーディンの顔が明るくなった。


「ああ、名前を変えたのでございますね!」


 一瞬、脳に上手く情報が伝達されてゆかなかった。ハーディンのいった言葉の意味が分からなかったのだ。


 ――名前をかえた?


 妙に時間の流れが遅く感じられた。脳がめまぐるしい早さで回転し、視界がにわかに歪んだ。ハーディンの口が再びゆっくりうごき、そのスローモーションのような動きをキティグの目が追った。音が空気中を伝わり、それはやがてキティグの鼓膜に達し、脳が言葉を理解した。そう、目の前に居るハーディンは確かに今“こんな言葉”を口にしたのだ。



「たしか“チーク”でしたよね、あの小鳥の名前は」


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