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その日は、雲一つない晴天の朝だった。
王都の南北にのびる中央通りには数万を超える民兵隊と、貴族出身者で構成される騎馬部隊が立ち並び、王宮近くまで続く長い列を形成していた。その最前列には、今回の招集によって一足早く地方から参陣したバルムーク伯爵や大柄なドレン子爵などが立っており、ただ一点を眺めていた。
そこにはこのミッドランドの国教であるイスマイール教の大司教と、総大将であるキティグがいた。金色の鎧に身を包んだキティグは王宮手前の中央道に設置された簡易的な祭壇の前に跪き、司教の垂らす聖水を手の甲に数滴浴びた。
古来からミッドランドでは聖水を通じ、人と神が交信すると考えられてきた。人は神に交わった瞬間、その偉大さに跪き、魂が隷属されるのだという。ただ、神は一方的な隷属を望まず、その見返りに現世における加護を約束するらしい。これは古代からこのミッドランドに残る出陣における風習で、出陣の際はすべからくこの儀式を行うのが一般的であった。
儀式の終わったキティグは、うつむいたまま、こみあげる失笑を喉の手前で押しつぶした。こんな儀式などどうせ迷信に違いない、と思ったからだ。その時、手の甲がややピリッときた。
おっと神に怒られたかな、とキティグは思った。
キティグは立ち上がり、すぐ傍に用意された白い馬に飛び乗ると、手綱を引きよせ、ゆっくりと振り向いた。すると、眼下には見渡す限りの兵士が中央通りを埋め尽くしていた。この時になってキティグは初めてきづいた。数万に及ぶ兵士の1人1人の顔がキティグにはよく見えたのだ。皆、キティグをみつめ、目に炎をやどらせていた。
記憶の片隅にしまってあった言葉が脳裏をかすめる。
『暴力こそこの世の真実である』
かつて、タリスマンがキティグにいった台詞だった。人はすべからく暴力に支配され、それから逃れる事はできない。鳥や虫、猫や犬だってそう。自然界のありとあらゆる生き物が暴力によって優劣を決め、暴力によって主従をきめている。記憶の中のタリスマンは嗤う。
『人間だけがこの法則から逃れられると思っているの?』
キティグはこの光景を見ながら心の中でタリスマンにいった。
――あんたは正しい。そして、見てみろ。この軍隊を率いる俺こそが、いまミッドランドにおいて最も暴力に秀でている生物である筈だ。
キティグは、腰から剣を引き抜き、その剣を天高く掲げながら、全軍に命じた。
「出陣」
すると、地鳴りの様な兵士達の声が街中に響いた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
中央通りの左右に配置された太鼓もこの地鳴りに合わせるように力強く鳴った。出陣の合図であった。キティグが先頭となり、領主達があとに続き、その後ろを騎馬隊、そして最大の兵数を誇る民兵隊があとに続いた。ミッドランドの旗を振る観衆が中央通りの脇を埋め尽くした。キティグは白馬のリズムに合わせ、ゆったりと手綱をもち、鞍に深く腰をかけた。温かい風がキティグの頬をきった。
キティグは今、支配者としての光景を目の当たりにしていた。
数万人の屈強な男が自分の為に暴力をふるうことをいとわず、街に埋め尽くされた人々はそれに歓喜する。全ての物が自分を中心に存在し、全ての人が自分の為に動く。キティグがかつて感じた持てる者への不平や不満は遠い記憶のかなたに置き去りにされ、今はただタリスマンの教えと果てのない権力を欲する生き物に成り果てていた。もはや彼にとってベッドがふかふかであることは当たり前であり、美しい女を抱く事も当たり前であり、豪勢な食事を食べる事も当たり前であり、数万人の暴力を操ることも当たり前であった。
――これが支配者か。間違いない、……これ以上の贅沢はない。
こうして3万にも上る軍隊が王都から出立した。目指すのは東、ウォーラとの国境にあるリーフ川。そこにてまずビショップを叩きつぶし、ウォーラの出方を伺う予定であった。
そう、そうなる予定であった。




