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数々の装飾がほどこされた王宮の大広間に大小数百の貴族が参列していた。その中にキティグも混じっていた。参列者が立ち並ぶその場から数mほど離れた場所に黄金の王座があり、ミッドランド国王バルバレアがそこに独り腰をかけていた。バルバレアは左右を見回し、数度頷くと、金の肘かけに手をつき立ち上がり、参列者に向かって声を張り上げた。
「今日集まってもらったのは他でもない、例の奸臣ビショップのことだ。皆も知ってはいると思うが、アゼシナ=ガードの話によると、ガード家の家臣ザザ=ビショップは幼いルーク=ガードを担ぎ蛮族ウォーラをこのミッドランドの地に呼びこむ計画をたてているらしい。断じてそんなことは許さない。この聖なるミッドランドの土地を蛮族共に穢させてなるものか。そこで私は決断を下した。我がミッドランドの総力をもって、これを潰す」
今日参列している人々は既に何が発表される場か知っている。軍の総大将を決める場だ。バルバレア=ミッドランドは、再び声を張り上げ、1人の男の名前をいった。
「ジブリール=ミッドランド! これへ」
参列者の視線が一気にキティグへと集まる。キティグは、凛々しく返事をした。
「はっ」
キティグは胸を張り、王座に向けて一歩足を進めた。すると、モーゼが海を割ったように参列者が左右に割れ、王座の前に立つバルバレアと目があった。
キティグは、更に一歩、一歩と前へと進み、バルバレアの手前で立ち止まると、華麗に跪いた。バルバレアは大きく息を吸い込み、手に持った詔書を読み上げた。
「ジブリール=ミッドランド。汝を此度の戦の総大将に任ずる。心してとりかかるように」
キティグは跪いたまま返事をする。
「はっ、此度の任、ありがたく拝命仕ります。反逆を企むビショップら一味とその背後でうごめく蛮族共を、このジブリールめが見事うちたおしてみせましょう!」
この堂々とした啖呵に、大広間の貴族達が大いにどよめいた。
「おお!」
「なんという男ぶりだ」
「勇ましいことじゃ」
キティグの肩にバルバレアの手が乗る。
「頼んだぞ、我が息子よ」
キティグは微笑み、しっかりと頷いた。だが心の中ではこれほど真剣な面持ちをするバルバレアをあざ笑っていた。この王様が何を考えているかは分からないが、恐らく戦になどならないだろう、とキティグは考えていた。ウォーラとて余計な犠牲を出したくない筈だし、川の向こう側の領地ともなると、維持が困難である、となるとリーフ川を渡河してビショップを支援することなど、それこそするわけがない。つまり、相手は少数のザザ=ビショップだけ、ウォーラに関しては〈川睨み〉の時と同じように川をはさんで睨み合えばよい。
――なぁに簡単さ。
すると、バルバレアが思い出したように次の言葉を続けた。
「そうだ。ジブリールは本物の戦は今回がはじめてゆえ、こやつをつける。マリゼフ! これへ」とバルバレアが声を張り上げると、参列者の後方から1人の老人がやってきた。キティグは跪きうつむいた体勢のまま思った。
――プロフェッサー・マリゼフ。
それは、キティグに戦術のイロハを教えている戦術師範であった。
たしかに的確な人材配置である、とキティグは思った。数多くの戦を経験し、戦術に関する助言してくれるマリゼフはキティグにうってつけの人材だった。
――バルバレアもなかなか粋なことをする。
キティグはバルバレアが腰かけたあとに立ちあがると、同じく立ち上がろうとして膝をふらつかせていた老齢のマリゼフの手を持ち、マリゼフにいった。
「マリゼフ殿。どうかこのジブリールをお導きください」
マリゼフはしわがれた声で、ボソっといった。
「はっ、殿下」
少し怒っているのか、この老人は顔を紅潮させたままその場をあとにした。基本、この老人は戦術に対する話題しか口にせず、おおよそ人の心を察しようとしない所があった。ゆえにいつもニコリともせず、人との間に軋轢をおこすと評判の老人であった。かつて常勝将軍であったのに、王子の教育係にまでその地位を落したのにはそういう背景があるとまことしやかに囁かれていた。
まぁ上手く使ってやるさ、とキティグは思った。
「私を、戦時秘書官にするのですか?」とキツネ目の男ハーディンがキティグの部屋にて素っ頓狂な声をあげた。既に大広間で総大将拝命の儀式を終えたキティグは、明日の出陣に備え、身の回りの書類を整理していた。生活に必要な衣類や用具、用品などは身の回りの者が全てキティグの代わりに用意をするが、書類だけはそうはいかなかった。キチンと目を通しサインする必要があったからだ。しかもその一枚一枚をジブリールの筆跡に似せなければならないために膨大な時間がかかっていた。キティグは正面で困った顔をするキツネ目のハ―デインをチラッと見たあと、また手元に目を戻し、いった。
「不服かハーディン。直属部隊の隊長をもっと続けたいか?」
「い、いえ、しかし殿下。殿下の戦時における秘書官ともなると重大な責務であります。通常はそれこそミッドランドにおける何らかの爵位を持つ者から選ぶ、ということが慣例になっていた筈ですが……」というハーディンに対しキティグはいった。
「かまわん。私の心の機敏を察しない貴族より、王都へのお忍びで私に随行し、うまく私に波長を合わせた君の方が私としても気が楽だ」
「はっ……、しかし……」
「いいか、こう考えろ」とキティグはいった。「この国で一番偉いのは誰だ? 当然父上だ。では、この国で二番目に偉いのは誰だ? そう私だ。この私がお前で良いと言っているのだ。いいか、父上が反対せぬかぎり私の言葉は神の言葉と等しいものであると心得よ。いいな。戦時秘書官はお前にする。分かったら荷物をまとめてこい」
この言葉にキツネ目のハ―デインは短く「はっ」と返事をすると、わずかにはにかみ、一礼し、キティグの部屋から去った。
すると、その直後に部屋の扉がノックされた。
「誰だ?」とキティグが言うと、「私です殿下」というか細い声が返ってきた。
――イリーナか。
そう思ったキティグは「すまないイリーナ、今は少したてこんでいてな。あとでもよいか?」といったのだが、すでにイリーナは自分で扉を開き中に入ってきていた。
困った奴だ、と思いキティグは筆をそのままに顔をあげた。目に飛び込んできたのは、夕方の太陽に照らされ、こちらを見つめるイリーナの顔であった。その顔と体の半分は濃い朱色に染まり、元々色めかしいイリーナの顔と体を更に魅力的に見せていた。
数秒その姿に見とれていると、キティグの口がうごいた。いや動かされてしまった。
「イリーナ、……これへ」
イリーナは、こちらを見つめたままゆっくりとにじり寄り、伸ばしたキティグの手に自身の指をからませてきた。キティグは反対側の手に持っていた筆を投げ捨て、イリーナの腰に手を回すと、口づけをした。口に、首に、胸に。これはもう雄の本能に近い行いだった。キティグは16歳にして沢山の女性と交わってきた経験をもつ少年であったが、これほど自身の欲望を湧き立たせる女に出会った事は初めてであった。
黒く美しく艶のある髪。細い首筋と、きめ細かい白い肌、それにすっきりした小顔とはっきりした目鼻立ち。
彼女はキティグが遠い昔から想像していた貴族の女そのものであった。キティグは娼婦や商人の娘などと交わるうちに彼女達に自分に似た野暮ったい何かを感じる様になっていた。すると、不思議と興が醒めるのだ。汚いドブネズミの臭いが彼女達の体から臭ってくる気がしたのだ。だが、この女だけは違った。彼女は清かった。その所作ひとつとってみても気品に溢れ、美しかった。肌が触れ合うごとに魂が彼女に引っ張られる感じがした。
キティグは、永遠にこの女を自分の支配下に置きたかった。ここまで誰かを自分のものにしたいとキティグははじめて思った。キティグとイリーナはジブリールのベッドで激しく愛しあったあと、少し気恥ずかしさで笑った。だが、そのあとイリーナが少し泣いているようにも見えた。不思議に思ったキティグは「どうしたイリーナ」と尋ねた。すると、イリーナはこういうのだ。
「いえ……、少し決心がにぶりそうになってしまいましたの」
「何の決心だ?」
「それは……、あなたを戦地に送り出す決心です」とイリーナはいった。キティグは笑った。
「父上は大きな戦になると思っているようだが、そうはならんよ、恐らくな。ウォーラはミッドランドとの戦などせぬはずだ。この戦、父上が思っているほどウォーラに旨味はない。その為に危険を冒すほど愚かな連中ではないだろうさ」
キティグがここまで言い終ると、鳥籠の中の鳥が騒ぎ始めた。
「クゥアアア、クゥアアア」
キティグは溜息をつき「まったく、いつもいいところで邪魔をするのだ、コイツは」といった。すると、イリーナは布を一枚体にかけたままベッドから立ち上がった。そして、ゆっくり鳥籠に近づき、自身の指を鳥に近づけ楽しそうにいうのだ。
「おいで。グラン、こっちにおいで」
更にイリーナは続けた。「グランフェロウという品種だからグランという名前にする、と殿下が私におっしゃった時は何と安直な、と思いましたが、ずうっとそう呼んでいると、なかなか良い名に思えてくるものですね。ほらグラン、こっちにおいで」
時計の針が動き、籠の中の鳥が盛んに羽をばたつかせ、夕日が部屋を照らしていた。このイリーナの無邪気な行いに、キティグはこういった。
「――ああ、グランはいたずらっ子なんだ。私はこの間、思い切り指をかじられたよ」
この言葉にイリーナは一瞬指を止め、そして静かに笑った。キティグも笑った。
胸にじんわりと広がる幸福を感じキティグは思った。すべては順調にいっている。あとは、邪魔者のウォーラと小蠅のようなビショップをうまく排除するだけだ、と。




