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入れ替わりの王子  作者: りんご
6章 産声
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-22-

 一匹の蠅が坊主頭の男の瞳に止まった。蠅は何をするでもなく手をこすりあわせ、瞳の中を動き回った。その後、蠅は早足に下へ下へと移動する。瞳から頬、頬から首、だが、坊主頭の男の肉体はここで終わっていた。首から下はただの木の棒があるばかりで、蠅は一度木の棒に飛びつくも、また数秒でおいしそうな匂いを放つ首に戻っていった。

 キティグはその様子を黙って見ていた。言いようのない幸福感がキティグの心を満たしていった。

 目の前には、かつてキティグの弟分であった坊主頭のジーンの首があった。ジーンの首は地面から伸びた槍の穂先に突き刺してあり、王都の広場に並べられていた。


 まったく、お前に相応しい最後だよジーン、と心の中で唱えたキティグは、ジーンの首から視線を外し、その横に並ぶ沢山の首を眺めた。


 これらの首は先日ギロチンで処刑した悪徳金貸し業者達の首であった。もっと正確に言えば、タリスマンの組織に所属する全ての者の首であった。キティグはその首の前をゆっくりと歩いた。どれも知った顔だった。端の方に晒されている首は最年少の子供レーンの首、そういえばジーンがたびたびこき使っていたな、と思った。あのとびきり太い眉の首はバクスの首、取り立てが下手で何度もタリスマンから“お仕置き”受けた男。そして、あの一回り他の首とは大きさが違う巨大な首は、タリスマンの首だった。キティグはその前で止まると、じっとタリスマンを見つめた。


 ――本当、あんたには世話になったよ。


「ふっ、ふふふふははははははは」

 庶民の服を着たキティグはタリスマンを見ながら思い切り笑った。街ゆく人々は奇異の目でこちらを見てきた。キティグは気にせず笑い続けた。本当に最高の気分だった。


 ――タリスマン。

 ずっと、殺しても死なない奴、と思っていた。タフで狡猾で、この世のあらゆる悪を詰め込んだ男だと思っていた。そして何より、この地上で誰よりも強い男、と思っていた。


 ――でも死んだ。本当にあっさりと死んだ。


 キティグにとってタリスマンは絶対的な存在だった。そしてある種の崇拝の対象でもあった。キティグが身につけた価値観は彼によって植え付けられ、キティグの思考のほとんどは彼によって磨かれたものだった。


 人の心を見抜く事。

 相手の最も弱い所を探る事。

 決して相手に情けをかけてはならない事。

 手にしたチャンスは最大限ものにする事。

 本当に、一から十までこの太った紫の化物が自分に教えてくれたことだった。キティグは小声でつぶやいた。


「手にしたチャンスは最大限ものにしたぜ、タリスマン」


 タリスマンの腐りかけたあごの肉に蠅が群がっていた。


「恨むなよ。あんた流にいえば、ただこの世の理がそうなっていただけ、って所だろ?」


 タリスマンの首は何も語らない。ただその腐った骸をみて、その表情が満足げな顔をしているようにキティグには思えた。数秒その首をみつめ、当然かもしれないな、と思った。この男は自分の理に生き、自分の理によって死んだ。これ以上この悪党に相応しい死に方はないだろう、とキティグは思った。

 いつもタリスマンは言っていた。


『本当の意味で正義や悪は存在しないわ。たとえ話をしましょうか。この王都で人を殺したとしましょう。それは悪い行いとされるし、罪として裁かれる。でも戦争で敵を殺せば、それは良い事として扱われる。それに沢山殺せば英雄だと称賛されるわ。この教訓がわかるかしら? つまり、殺人という行為そのものは正義でも悪でもないということなの。それに対し、誰かが何かの意味をもたせているだけなの。だから殺人の価値がこんなにも変動するのよ。


 では、誰が殺人の価値を決めているのか、


 これは難しい問題だけど、誰が困るか、ということを考えればおのずと答えは出てくるわ。まず、王都で殺人を犯した場合、それを悪と思わせたいのは誰か、戦争で殺人を犯した場合、それを良いことと思わせたいのは誰か……。そう、実はどちらも統治者の都合だわ。私達は知らず知らずのうちに彼等の価値観の奴隷になっているのよ。ではその統治者はどうやってきまったのかというと、数百年前のアーレン=ミッドランドが暴力によってこの地を勝ち取ったの。そう、とても見えずらくはなっているけど、世の中の真理は昔から変わらないわ。

 本質的に重要なのはそれを勝ち得る暴力。

 暴力によって勝者となり、そして勝者の価値観や理屈が隅々まで行きわたるようになるの。正義と悪は彼等が決める。つまり価値観を決めるのは行為そのものではないということよ。

 いいこと? 私の息子達よ。強くなりなさい。そして決して本質から目を逸らさないことを心がけなさい。そうすれば、正義も悪も思いのままよ』


 キティグは笑った。


 ――あんたは俺に負けて悪となった。王都の広場で悪として処刑され、悪として晒される。だが俺は違う。俺は強い。俺は誰よりも正義になってみせる。


 キティグはタリスマンの首にツバを吐きかけた。もっとも惨めな死こそ、この悪党に相応しい末路だと思ったからだ。そして、これこそがもっとも愛に満ちたタリスマンを弔う方法だった。


 ――さよなら親父(タリスマン)


 王都の広場を冷たい風が駆け抜け、落ち葉が舞った。その飛び散る一枚一枚の葉っぱがこの広場に晒された者達の魂のように思えた。とんでいけ、とキティグは思った。どこにでもとんでゆけ、と。

 肉体を失った魂は自由になるという。その一枚が天高く舞い上がり、青空に飛んでいった。そして、すぐに見えなくなった。これでいい、とキティグは思った。すると、後ろから知った声が聞えた。


「あ、ここにいらしたのですか?」

 キティグが振り向くと、そこには王子直属部隊のキツネ目の隊長がいた。彼もまた庶民の格好をしていた。キツネ目の男は続ける。

「毎度言わせないで下さい。どうしていつもお忍びで王都に行くと、我々をまこうとするのですか?」


 キティグは笑いながら答えた。

「別にまこうとしたわけではない。珍しいものを見るうちに、たまたまここに辿りついたのだ。例えば、そうだな、アレだ。アレはなんなのだ?」


 キティグは首が晒されている方向とは別の方角を指さした。そこには妙に活気づいた人だかりがあった。


「ああ、あれですか」とキツネ目の男が言った。「あれは“隊長決め”の儀式です」

「隊長決め?」

「そうです。殿下は御存知ないかもしれませんが、ここミッドランドでは戦争がある度に民兵隊という歩兵部隊が組織されます。民兵隊は最前線を受け持つ部隊で、それゆえに彼等が最も信頼する指揮官は民兵隊が自ら選ぶという伝統があるのです。それがアレです。彼等は民兵同士決闘し、その最も優れた者を自分達の指揮官に選ぶ儀式を行っているのです」


 キティグとキツネ目の男は人ごみの中に入ってゆき、中で戦っている男達に目を向けた。当然そんなことなどキティグは知っていた。むしろ説明不足であるとすら思った。


 この決闘は本物の武器を使う。よっておびただしい数の死人をだす。そのリスクを背負える者だけがこの決闘に参加するのだ。だからこそ勝者は尊敬される。この決闘に参加し、勝ち進むことがどれだけ恐ろしいことか知っているからだ。

 キティグは、現在決闘している二人のあとに控える参加者達に目を向けた。骨と皮だけの男が数多くいた。恐らく乞食だろう。この決闘に勝てば、名誉と良い食べ物が手に入るからだ。彼等は本当にたったそれだけのために参加しているに違いない。幼い頃、路上で共に生活していた子供達の姿が頭をよぎる。彼等があのまま生きたとしても、恐らく最後は路上でのたれ死ぬか、それか、この隊長決めの儀式で死ぬのだろう。

 体の奥に少し冷たい風が吹いた気がした。


『本質から目を逸らさないことを心がけなさい』とタリスマンが言った気がした。


 分かっている。分かってはいるのだが、どこか彼等を過去の自分に重ねてしまうのだ。

 その時、まわりの観客が一斉に湧いた。視線を戻すと、肉付きのいい男の短剣が、細身の男の胸に深く突き立てられていた。肉付きのいい男が吠えた。


「うぉおおおおおおおおおおおお!」

 細身の男は、短剣が刺さったまま仰向けの格好で倒れ、口から血を吐きだした。誰の目にも分かる。彼は恐らくすぐに死ぬだろう。となると、もう次の試合だ。観客の目が一斉に次の決闘の相手に注がれる。次に立ち上がったのは骨と皮だけの男だった。男の膝が震えていた。そして、剣を持つ手も震えていた。


 この世は恐ろしい所。この世は残酷な所。だが、世界は最初からそうだったのだろうか? こんな恐ろしく残酷な場所にしたのは誰なのだろう。キティグは目をつぶった。受け入れるだけなのだ。我々にできることは受け入れることしかできないのだ。

 それから間もなく、骨と皮だけの男のしわがれた断末魔があたりに響いた。キティグは、ふとジブリールを思った。金のなくなったジブリールはきっと彼のように乞食に近い生活をしているに違いない。だが、一体ヤツはどこにいるのだろう? どこに消えたのだろう?


 既にジブリールが姿を消して一ヶ月近くが経っていた。

 ジブリールは生きているのか死んでいるのか、それすら定かではなかった。


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