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〈川睨み〉を終え、一週間ほどかけてガード領から王都に戻ってきたキティグは早速、ミッドランド王バルバレアに謁見するために王の間に向かっていた。川睨みの報告をするためである。王宮の長い廊下を歩き、王の間の扉の前で立ち止まると、それを守護する近衛兵が扉を開けた。
重々しい音と共に扉が左右に割れ、そこから王の間が見えた。赤い床、赤い壁、そして赤い天井。王の間は、どこもかしこも血の様な赤色に染まっていた。そして、その部屋の一番奥に金銀の装飾がほどこされた玉座に深く腰かけるバルバレアがいた。キティグは力強く前進し、王座の手前までくると、バルバレアに向かって跪いた。そして凛とした声で言った。
「ジブリール=ミッドランド。只今戻りました」
「うむ、御苦労であった」
キティグはバルバレアの表情を見た。
満面の笑みだった。どこにも嘘が無い、綺麗な笑顔だった。
キティグはバルバレアがどういう男か分かっている。確かに川睨みの状況は複雑な状況だった。不測の事態がおこり、その場で王子が勝手に重要な命令を下したのだ。だが、一領主が王子の命令によってあっけなく処刑されたという事実がこの男の顔を笑顔にさせていた。川睨みにおける王子の立場とは王の代理人に近い。その代理人の決定に不服を言う者がいなかったのである。これは、つまり、王の権力の強大さを示した事に他ならない。そして、バルバレアは日頃から王の権力が強化されることを願っていた。バルバレアの全ての考えはこの延長線上にあった。日頃からジブリールを厳しくしかりつけるのもこの為である。
王になる者は敬われなければならない。
王になる者は恐れられなければならない。
王は強くなければならない。
そう。強さ。それこそがこの男の絶対的な価値観なのだ。そして、ようやくその強さを備えつつある自分の息子に満足しているみたいだった。
バルバレアは口をあけた。
「この度の〈川睨み〉の件だが。まことに見事であった。ワシの代理として素早く裏切り者を処理し、ミッドランドの危機を救った。他の者からもその時の様子を聞いたが、なかなかに威厳のある行動を示したみたいだな」
「日頃の父上の御指導が良かったのだと思います。父上は、王とは何であるか、を私に教えて下さいました」
このキティグの発言を聞き、頬をゆるませたバルバレアは、何度も首を上下させた。
キティグは心の中でバルバレアをあざ笑った。なんと無能な奴、と。
恐らく、今回の行動こそがもっともジブリールらしくない行動であったのだ。キティグ自身そういう自覚はあった。だが、それでも、キティグはザグゼインを滅ぼした。それこそが王子の椅子にしがみつく唯一の方法だと信じたからだ。だが、この無能なジブリールの父は、まるで息子が成長しているように錯覚しているらしい。もうこれ以上のリスクなど犯すつもりのないキティグは、最大限の違和感を突きつけても息子かどうかすら判断できない哀れなバルバレアに感謝した。
――全く、ありがとうと言うしかない。この父あって、あの息子ありか。
バルバレアは、優しくキティグに言った。
「長旅で疲れただろう。部屋に戻って休むがよい」
キティグは「お心遣いありがとうございます」と言って一礼してから、この悪趣味な色の部屋をあとにした。キティグはそっとほくそえむと、また長い廊下を歩き、ようやく自分の部屋の前に到着した。
扉をあけると、白を基本としたいつもの部屋があった。嬉しくて、鼻から息を吸い込んだ。いつもの匂いだ、と思った。
――この部屋は、もう俺の物だ。
この上なく悪い顔をしたキティグは、衣服をそのままにベッドに背中から飛びこんだ。柔らかい羽毛の弾力を背中に感じた。ようやく戻ってきた、と思った。
「クゥアア! クゥアア!」
キティグは横に目をやると、籠の中の鳥が盛んに羽をばたつかせ暴れ回っていた。鳥籠には何度も口ばしで噛んだ痕があった。
「ふふふ。ははは。ここから逃げようとでも思ったのか?」
「クゥアア、クゥアアア!」
「ははは、そりゃあいい。だがもうここにジブリールは永遠に帰って来れないけどな。奴の身分を証明するザグゼインはこの俺が葬ってやった。だからアイツはもうここに帰ってくる事はないのだ。せいぜい受け入れろ」
「クゥアア、クゥアアア」
何故だか分からない。だが、その鳥の声は微妙に変化したようにキティグには感じられた。
「なんだ。まだ、あいつが戻ってくると思ってるんだな? ふふふ。あははは。確かにまだ可能性はゼロというわけじゃあないな。あいつが生きている限り」
部屋の中の空気が変わった。鳥籠の中の鳥が一層暴れ出した。
――そう。あいつが生きている限り。可能性はゼロじゃない。
突然、雷が鳴った。
先ほどまで晴れていた空は一気に暗くなり、強風と雨が吹きつける空模様となった。窓がカタカタと震え、そこに雨が打ちつけた。
キティグは大声で扉の外の衛兵に呼び付け、王子直属部隊を呼びよせた。王子直属部隊とは王子の近衛兵とも言える連中で、どこかに出かける際は常に王子の警護にあった部隊だった。ものの数分で、彼等は王子の部屋にやってきた。
「全員揃ったな?」と確認するキティグに、リーダー格らしきキツネ目の男が「はい、殿下」とうなずいた。その数はたったの4名だった。キティグはその4名の跪く様を見て言った。
「諸君等に重大な任務を与える」
「はっ」
「最近、市中に私の名を語り、詐欺を働く輩がいると聞いた。諸君等は知っているか?」
王子直属部隊の4名は不思議な顔を作り、互いに顔を見合わせた。キティグはそのまま続けた。
「そいつの本名は分からん。だが、これ以上王家の、更に私の名が悪事に使われる事を黙って見逃すことはできん。よってだ。私はある決断をした」
ここで再び暗黒の空に稲妻が走り、その光で王子の部屋が明るくなった。その光に怯む4人と、全く怯まず、直立不動の体勢を維持したキティグの影が白い壁に映った。その直後にキティグは言った。その声は地上の誰もがひれ伏すような傲慢さを含んでいた。
「私の名を語る偽物の“ジブリール”を殺せ」




