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「叔父上! 叔父上!!」川岸にはザグゼインの悲壮感に溢れる声が響いた。
すると、皆、何かに気付いたように口から食べ物を吐きだした。キティグも周りと同じように吐きだした。その中で一人食べ物に手をつけなかったバルムーク伯爵だけが険しい顔をしていた。
毒。領主たちが心配したのはまずそこだった。自分達も食事を食べ、ワインをたらふく飲んだからである。領主たちとその家臣達は互いに目配せし、自分達の胸に手をあてた。他に誰も苦しむ者はいなかった。
ザグゼインが叫んだ。
「ウォーラの連中だ! きっと奴等の仕業に違いない!」
領主達の半分ほどはこのザグゼインの言葉にうなずいた。
「そうだ。これは川睨みに対する報復なんだ」
「いやいや、あまり早計に考えるものではない」
「だが、奴等以外に誰が居る」
領主たちは互いの意見を主張した。キティグはただ、黙って議論の行方を見守った。その中で途中まで目を瞑っていたピーター=バルムーク伯爵は一同を制止するように声をかけた。
「あ、いや。ちょっと待ってほしい」バルムーク伯爵は続けた。「恐らく皆は言いづらいことと思うので、ワシが皆に代わって言うが……。ザグゼイン殿。貴殿はそんなにアハト殿と親しかったのか?」
ザグゼインは突然のバルムークからの問いかけに鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔をした。ザグゼインは言った。
「それは……、叔父と甥でありますから」
「先代のお父上からガード領を相続する時に二人は争い、それは今尚続いていると聞いていたのだが……」というバルムークに対し、ザグゼインは言葉を返した。
「いやいや、それはもう8年も前の話。もはや互いに遺恨などありません。今は仲の良い叔父と甥です」
仲の良さを強調するザグゼインに対しバルムークは疑いの目を向けて、呟くように言った。
「本当ですか?」
「本当ですよ。それとも何か? 我が叔父アハトに確かめたとでも?」
数秒の沈黙が流れた。その後おもむろに口を開いたバルムークは意外な言葉を言った。
「……その通りだ」
この意外な言葉に、場の全ての視線がバルムークに集まった。ザグゼインの顔に困惑の表情が広がった。そして、口を尖らせるようにザグゼインは言った。
「嘘を言うなよ。ピーター=バルムーク。我が叔父アハトと話しただと? よくもそんな嘘を言えたものだ」
バルムークは一呼吸おいて、ゆっくり言葉を返した。
「嘘ではない。本当に彼を我がテントに呼び出し、遺恨が今もあるかどうかを確かめた」
「いや嘘に決まっている! 突然ガードの家臣を呼びだすなど、そんなことありえない」ザグゼインはそこまで言うと、キティグの方を向き「殿下、こいつは嘘をついております! 信じて下さい」と言った。
こう言えば助け船を出してもらえる。恐らくザグゼインはそう考えたのだろう。だからキティグは期待に沿うように助け船をだした。
「たしかに、ガードの家臣であるアハト=ガードを他の領主が直接呼び出すなど、あまり聞いた事が無い。それが本当であるというのなら、なぜそんな行動を行ったか、という説明をバルムーク殿はしなければならない。そうは思わないか?」
すると、バルムークは細かく何度も首を縦に振った。
「全く、殿下のおっしゃる通りですな……。ふぅ……。実は『アハト=ガードが遺恨のある誰かを食事の席で殺す』というタレコミがありましてな。テントの私の机の上にそういう内容の手紙が置いてあったのです。てっきり誰かのいたずらかと思ったのですが……。念のためにアハト殿を呼びだし、遺恨のある誰かを殺すつもりか、と聞いたのです。皆、他の領主の方々はとぼけておりますが、この場に居る者なら誰だってザグゼイン殿とアハト殿のいさかいを耳にしたことはあるでしょう? だからてっきりアハト殿こそがウォーラ国の仕業にみせかけてザグゼイン殿を殺すと思っていたのです」
すると、場の一人が気づいたように声をあげた。
「だからバルムーク殿は今日出されたワインや食事に手をつけなかったのですか?」
バルムークはゆっくり一度うなずいた。
「念には念を、と言いますしな。『ザグゼインに遺恨はあるが、そんな真似などしない』と言ったアハト殿をワシは尚も疑っていた。もしかして、ワシに矛先を変えるかもしれぬ、とも思ったしな。すると、どうだろう。実際に殺されたのはアハト殿の方であった」
その言葉を境に、場の雰囲気が変わった気がした。バルムークは続けた。
「あなたを殺そうとしていた人物が、殺されたのだ。何か言う事はないかザグゼイン殿」
テーブルを囲む視線が一気にザグゼインに注がれる。叔父の頭を地面におき、一歩後ずさりしたザグゼインの目は泳いでいた。バルムーク伯爵は尚も追及の手を緩めない。バルムークはキティグの方を向いた
「殿下、皆さんのお手をおかりしたいがよろしいですか?」
キティグはうなずいた。そして、ピーター=バルムークはこの場の皆に言った。
「皆さん。給仕たちを捕えてください」
ほとんど無抵抗のまま捕えられた給仕たちは服を脱がされ、隅々までチェックされた。バルムークはそれを見て納得すると「ふむ。では次はザグゼイン殿の番ですな」と言った。ザグゼインは、いよいよ動揺で顔を歪ませた。ザグゼインは目線でキティグに、どうにかしろ、と訴える。だがキティグは、何も言わず、ジッと息を潜ませていた。
その時であった。筋骨隆々としたザグゼインが小さく見えるほどの大男ドレン子爵は、何もいわずザグゼインの体を羽交い締めした。すると、給仕の体の隅々を取り調べた衛兵が、ザグゼインの体をまさぐった。ザグゼインは怒鳴り声をあげた。
「やめろ! やめろおおおお!」
すると、衛兵がザグゼインのズボンのポケットから小さくて白い紙袋を取り出した。
毒。誰もがそう思った。というより、そうとしか見えなかった。バルムークが尋ねた。
「これは何ですかなザグゼイン殿」
「そ、それは……」
もはやザグゼインは何も答える事はできなくなった。ザグゼインは情けない顔をこちらに向けた。キティグは、その顔を見て、思わず笑ってしまいそうになった。ここまでバルムークがやるとは思っていなかったが、大筋はキティグの計算通りだった。
キティグは、この計画を練る段階で、最後の局面までは中立的な立場で居た方がスムーズに事が運べる事に気付いた。その為には、自分に代わってザグゼインを追いつめる役目をもった人間が必要だ、と思った。もちろん、そんな者がいなくても最初から最後まで全部自分でやることは可能であったが、それだと無用に目立ち過ぎる気がしたのだ。キティグは数日その人物を誰にすべきか考えた。
そこで目をつけたのが、イリーナの父、ピーター=バルムーク伯爵だった。もちろん彼はキティグの意図になど気付いていない。だが、バルムークが野心家であることをキティグは知っていた。ザグゼインにどれだけの自覚があるかは分からないが、ミッドランドの権力を握りたいバルムークにとって、ジブリールのお気に入りであるザグゼインは政敵以外の何者でもなかった。だからキティグはこのイリーナの父に自らの政敵を潰すチャンスを与えたのだ。具体的には彼のテントに忍び込み『アハト=ガードが遺恨のある誰かを食事の席で殺す』と書かれた一枚の紙を彼の机に置いてきただけであったが、彼はこの紙に書かれた内容を読み。上手く政敵を潰す機会に変えたようだった。
もちろん、バルムーク伯爵が全く動かない事態も予想はしていた。それに備え、第二の計画の準備もしていたのだが、バルムークのある行動を見て、キティグは《この男は必ず動く》と確信したのだ。キティグは、配下の者にピーター=バルムークを常に監視させていたが、ここ数日、彼はキティグ以外とは会話らしい会話をしていなかった。
つまり、先ほどのアハトと会って話し合ったという話はバルムークの創作であったのだ。
バルムークはアハトが死んだとみるや、死人に口無し、と言わんばかりに作り話をでっちあげ、ザグゼインを追いつめた。恐らくその程度の印象操作だけでも王子のザグゼインを見る目が変わると思ったのだろう。バルムークにとって、それだけがザグゼインを追いつめた理由だった。実際のバルムークはアハトを自分のテントに呼びもせず、話しすらしていない。つまり、紙に書いてあったアハトの毒殺行動を黙認しようとしたのだ。
この時点でキティグは確信した。
この男はザグゼインの死を願っている男なのだ。だから政敵を追い落とせる機会が来たならば、思い切って動くに違いない、と思った。そしてその通りになった。危うい賭けではあったが、キティグは見事にその賭けを成功させた。
キティグは、哀れな目でザグゼインを眺めていた。ザグゼインが自身の領地の経営を叔父のアハトに代理で行ってもらっていたことは知っていた。巷の噂によると、追われるように王都で王子の側近を務める様になったのだとか。
――きっとこいつは誰かを見返したかったのだ。出世し、偉くなる事で、認めてもらいたかったのだろう。
ここまで追いつめれば、あとはザグゼインが逃げ込む先が、ザグゼインが真実だと思っている、キティグの嘘であることは簡単に想像がついた。
だからザグゼインは皆に向かって大声で話した。
「分かった! 分かった……、全てを話そう。本当の真実だ。これはバルバレア陛下からの命令なのだ。叔父上を殺せというな。叔父上はウォーラと繋がりがあったらしい。だから“裏切り者を殺せ”という命令をジブリール殿下を通じ陛下からいただいたのだ。そこで私が手を下した。これはそういうことなのだ。そうでございましょう? 殿下!」
――そう、それがお前の知る真実。俺が作りあげた真実。
キティグは、息を吸い込んだ。一世一代の演技が必要だ、と思った。キティグは精一杯目を見開き、何度も目蓋を上下させ、言った。
「一体、何の話だ」
血の気が引く、というのは本当にこういう場合を指すのだろう。ザグゼインの角ばった顔から赤みが引いてゆくのがハッキリと分かった。目はくぼみ、口は半開きになり、尋常ではない汗がザグゼインの額と頬から溢れ出た。
「で、殿下……。御冗談を……」
「何が冗談であるか! ザグゼイン! 貴様は己の言った事を分かっているのか?」
「殿下?」
「貴様は己の欲望のために王家を侮辱し、巻き込んだのだ! ゆるさん! 絶対に許さんぞ! この場にいる領主全てに問う。こやつこそ恐らく本物のウォーラの裏切り者であると、このミッドランド王子ジブリールは思う。異議のある者は私の前に名乗り出よ!」
ザグゼインはゆっくり首をまわした。誰も異議のある者はいなかった。ザグゼインは死人のような顔でキティグを睨みつけ、怒鳴りあげた。その口からは無数の唾が飛び散った。
「ハメやがったな! 私をハメたなキティグ!!」
ザグゼインは、そのまま続けた。テント中の人々の顔に向かって王子の正体を告げた。
「こいつは王子ではないのだ! こいつは金貸しのキティグという男で偽王子なのだ! 皆こいつを信じるな! こいつはとんでもない嘘つきで、偽物なのだ! ははは! どうだ言ってやったぞキティグ! ざまぁみろ!! だからこいつの言ってる事は全て嘘なのだ。私は完全に無実だ!」
ザグゼインは大声で笑った。ついに真実をつげてやった、という気になったのだろう。ザグゼインの視点では真実を告げる事でこの場を逆転できる、と思ったのかもしれない。だが、段々とザグゼインの笑い声が小さくなっていった。周りが見えてきたようだった。その場にいる誰もがザグゼインを哀れな目で眺めていた。バルムークが言った。
「さきほどから、お前の主張には何一つ一貫したものがない。自分が毒を盛っていないと言い、毒が見つかると、陛下からの命令であったと言い、それが否定されると次は王子を偽物だという……」
ザグゼインは咄嗟に「いや、それは」と言ったまま口ごもった。そして、何かに勘付いたようにキティグを見た。
――そう。気付いただろ? ザグゼイン。いくら真実でも、言う事がコロコロ変わる人間は誰にも信用されない。そんな人間の言葉と、お前の服から毒が出てきたという事実。人はどちらに傾くと思う?
キティグの最大の策は、ザグゼインが自ら言う言葉を何度も変えさせる事にあった。最初のザグゼインの演技が迫真であればあるほど、その効果は高くなった。信用できない人間だ。ザグゼインが何らかの嘘を訂正する度に、皆そう思った。いや、そうなるようにキティグが仕向けたのだ。
キティグは、バルムーク、と大きな声で言った。傍らに立つバルムークはこちらを向いた。それをキティグは確認すると、凛とした声で言った。
「ミッドランド国。刑法18条及び刑法40条を述べよ」
バルムークの顔が強張った。キティグはその顔を無視するように続けた。
「述べよ。バルムーク」
「はっ」バルムークは言った。「ミッドランド刑法18条、不敬罪。王族に対する如何なる侮辱も、その領域に住まう者には許されない。これは領主と言えど同様である。ミッドランド刑法40条、反逆罪。ミッドランド王家に弓引く者は到底許されない」
「これに対する刑罰は何が妥当である?」
「そ、それは……」
「聞えん。なんだ?」
「し、死罪でございます」
それを聞いたザグゼインは叫んだ。
「何が死罪だ! 馬鹿げている! お前達はこんな偽王子の茶番に付き合うつもりなのか! 聞いてるのか! おい!」
周りを囲む領主はもはや一言も発しようとしなかった。王子の逆鱗に触れまいと、皆必死に気配を消していた。昨日まで、この場にいるものでジブリールの怒った姿を見た者などいなかった。だから、そういう王子だと皆思いこんでいた。そうではない、ちがったのだ。皆そう思わざるを得なかった。その怒れる姿は、彼の父バルバレアに似ていた。キティグの怒鳴り声がテントに響いた。
「ただちにその裏切り者を処刑せよ。ドレン子爵、その者の首を狩る栄誉をお前に授ける」
ドレンは「はっ」とだけ言った。衛兵に両脇を掴まれたザグゼインは勢一杯抵抗してみるも、無駄だった。結局衛兵は4人がかりで無理やりザグゼインをテントの外に引きずっていった。ザグゼインの声がテントの外から聞こえた。
「やめろおおおお! やめてくれキティグ! 何故なのだ! 何故こんなことをするのた! やめろ! せめて、もう一度だけ、一目故郷の川をゆっくり見たいのだ。頼むせめて故郷の――」
という所で声が消えた。
すると、顔と体を真っ赤に染めたドレン子爵がテントに戻ってきた。
ドレンは一言、言った。
「首をあらためますか?」
キティグは「よい」と返したあと、凛とした声で一言「晒せ」と言った。痛いぐらいの沈黙がその場に広がった。その場にいる誰もが新しい暴君の誕生を予感した。




