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入れ替わりの王子  作者: りんご
3章 川睨み
14/32

-13-

 キティグは、白いテントの中のベッドに寝転んでいた。キティグは、寝るでもなく、休むでもなく、ただテントの天井部分にある水しぶきのような黄ばみを見つめ、考えていた。


 今ままでの話に矛盾点はないか、毒を盛ったあとのザグゼインは何と言うか、それに何と切り返すか。キティグは頭の中で何度もシュミレートしていた。

 12領主とその側近達の揃う場での発言であろうから、一言一句言い間違えることはできない。全てにおいて完璧さが求められた。


※ここでいう側近とは自国領を経営しているものを指す。この時代、領主自身は王都に住み、領地の経営は家臣に任せる家も多かった。アハト=ガードがまさにこれに該当する。


 誰かの草を踏む音が近づいてきた。そして、テントの外から衛兵らしき男の声が聞えた。

「ジブリール殿下。昼食のお時間でございます」


 キティグは一言、うむ、と言うと、上半身をおこし、ベッドから立ち上がった。そしてテントから出ると、そのままの格好で各領主と家臣達の待つテントに向かった。


 テントには既に12領主とその側近たちがゴツゴツした組み立て式のテーブルを囲んで待っていた。キティグはその一番上座に座る。テーブルに座る全員がこちらを向いた。皆の手元には既に料理が並んでいる。皆、キティグの「では、食事にしよう」という言葉を待っているようであった。時間にして、ほんの3、4秒、場に沈黙が流れた。その間にキティグはこう思った。

 どちらにせよ、結果はでる。

 キティグはあらゆる場面を想定していたが、その想定の中には当然自身の死も含まれていた。想定するなかで最も悪い結末は、ザグゼインがアハトに毒を盛らず、王都に戻るという結末だった。この結末では当然キティグは死ぬ運命にある。もちろん、この勝負に勝算はある。勝算が無い勝負をキティグはしない。それに、自分のたてた謀にそれなりの自信があった。どのケースでも、大方勝てるだろうとも思っている。だが、時にはその予想すら遥かに超えた展開が目の前に転がってくることもあるかもしれない。

 未来の全てがどうなるかなど、最後の最後まで誰にも分からないのだ。

 キティグは一度唾を飲み込み、心の中でサイコロを振った。


 ――さぁはじめよう。


 ここでようやくキティグは口を動かした。


「では、皆食事にしようか」


 ようやく発せられたキティグの声によってテントの中に居た給仕が一斉に皆のワイングラスにワインを注いでゆく。ザグゼイン以外のその場にいる人々は顔を緩ませ、食事に手をつけた。


 キティグの目は今、自身の目に前にある食べ物に注がれている。だが、全神経はザグゼインの一挙手一投足に注がれていた。目で見なくとも、耳で、肌で、感じるのだ。キティグはザグゼインとのテントでの会話を思い出していた。毒を入れるタイミングの話だ。基本的にここリーフ川での給仕の手配の一切はザグゼインがおこなっている。だが、ザグゼインはハッキリと給仕の買収は無理だとキティグに言った。ほとんどの者がアハト=ガードともつながりがあるからだ。そこから情報が漏れる危険性がある。

 だが、こうも言った。


『給仕の人数であれば、多少の手を加える事ができるかもしれない』


 ここのテーブルには食べ物の他にワインが数本置かれていた。

 足りない給仕を補う為、どうしても手が足りない時は自分で注いでほしい、という主催者のザグゼインの配慮だとそれは説明されていた。他の11領主は何と乱暴なもてなしなのだろう、とは思っただろう。それに文句を言う領主もいた。だが、給仕が少ない人数で場をかけずりまわることによってザグゼインがワインに毒を放りこむ十分な隙が生まれる。そして、ザグゼインは主催者であるがゆえに席順さえも自由に決めることができた。


 ザグゼインが座った席はアハトの右隣の席。

 そして、アハトは右利きだった。


 キティグは全体を見回した。その時にさりげなく確認した。ワイングラスはアハトの右手に持ちやすい位置、つまり、ザグゼインのすぐ傍におかれていた。


 ――よし。


 あとは待つだけだ、と思った。

 すると、ちょうどキティグに近い席のピーター=バルムーク伯爵がキティグに話しかけてきた。彼はジブリールの婚約者であるイリーナの父だった。


「殿下。今回の川睨みの差配。まことにお見事でした」

「いやいや、バルムーク殿。私は今年も自分のテントでゆっくり過ごしただけだ」

「何をおっしゃいます。殿下あっての我等ですぞ。王家の威光にウォーラの者どもは震えあがっているでしょう」

「で、あればよいが……。それよりも、バルムーク殿はあまり食が進んでおりませんな」


 キティグはバルムークの前に置かれた食べ物を見て言った。まったく量が減っていなかった。バルムークは卑屈な笑顔を作り、自分のお腹のあたりを手でさすった。


「どうも腹を壊したみたいでしてな。今は食を控えております。若い頃はこんなことは無かったのですが、いやはや歳のせいかもしれませんな。ははは。ところで、我が娘イリーナは王宮で元気にやっておりますか?」

「ああ、なにやら毎日忙しくしている」

「では、そろそろお子などは出来ますかな? ワシもそろそろ孫の顔がみたくて」

「バルムーク殿、気が早いな。私はイリーナとまだ結婚すらしていない」

「ははは。そうでしたな。こりゃ一本とられましたな。ははは。でもイリーナはいつでも殿下を待っておりますぞ。殿下が毎夜恋しいはず」

「そうイリーナから聞いたのか?」

「ワシはイリーナの父ですぞ。娘の気持など、わざわざ聞かずとも手に取るように分かります」


 こいつ、とキティグは思った。

 元々イリーナの父ピーター=バルムークは野心家である、とキティグは聞いていた。こいつが本当に望むのは、恐らくバルバレアの死後の世界において権力をにぎることだろう。イリーナに王子の子が出来れば、その孫との関係を最大限に利用し、ミッドランド国を意のままにあやつる事が出来る、とでも考えているに違いない。それを阻む者は軟弱なジブリールしかいない。この程度の男ならばどうとでも懐柔できると思っているのだろう。

 キティグは笑った。そして、滞りなく食事は進んだ。

 一瞬バルムーク伯爵に気を取られたが、それ以外の時間は常にザグゼインの動きに気をつけていた。既に食事開始から20分が過ぎていた。まだザグゼインは動かなかった。キティグがザグゼインに渡した毒は《コーネリアスの苦しみ》と言われる毒で、体内に入れたその時から激しい苦しみを伴いわずか数分で死に至ると言われる猛毒であった。キティグはチラッとアハト=ガードを見た。アハトは顔を赤くし、上機嫌でワインを飲んでいるみたいだった。キティグには、この20分という時間が永遠のように長く感じられた。


 ――まだか、まだなのかザグゼイン。


 キティグの汗が頬をつたい、顎から水滴のように流れ落ちた。

 テーブルに残る食事の量も減ってきた。最早ワインしか飲まない領主もいた。食事も終わりに近づいて来ていた証拠だった。通常、王子が食事を終える時、皆、一斉に食事を終える。だから、キティグはなるべくゆっくり食事をとっていた。隣のバルムークと笑いあい、ミッドランド一と言われる剣の腕をもつドレン子爵に話しかけたりしながら、何とか食事が遅れているのは彼等と楽しく談笑しているからだ、と皆に見せつけた。だが、内心気が気ではなかった。未来に黒い影がちらついた気がした。


 ここでザグゼインがアハトに毒を盛らなければ、キティグはやがて殺される。怒り狂ったザグゼインによって。

 キティグは一度大きく喉を鳴らした。堪え切れず、ザグゼインを責めるように見た。ザグゼインはこちらと視線を合わせず、ただ黙々と食事を食べていた。何故そんなにゆっくりしているのだ、と思った。すると、ある考えが脳裏をかすめた。


 ――まさか、俺の嘘が見透かされたのか?


 胸の奥が苦しくなり、顔が青くなった。そしてワイングラスをもつ手が微かに震えた。バルムーク伯爵が「王子? どうしました? 顔色が悪いですな」と尋ねてきた。キティグは適当に首を横に振り、大丈夫だ、などと取り繕う事に精一杯だった。

 そして、その時、誰かが席から立ち上がった。ミッドランド北部の土地の領主、アイズマン伯爵であった。


「すみません。ちょっと小用をたしてまいります」

 キティグはこれに、うむ、と答えたが、少し驚いていた。小にしろ大の方にせよ、それは食事の前にするもので、通常、王子が食べ終えるまでは皆席についたままなのだ。

 キティグは左右を見回した。それぞれの表情の奥にある感情が透けて見えた。小用で席をたってよいなら自分も行こうかな、という顔が数多くあった。

 そして、それはアハトもそうであった。


 キティグの心臓が大きく脈をうった。

 一度席を立ったアハトはいつ戻ってくる? すぐか? それともそれっきりか? 毒を飲む機会は訪れるのか?


 ――ここでアハトに席を立たれたら全てが終わる。


 キティグの頭が高速で回転を始めた。


 もしも、本当にザグゼインがこちらの嘘に気付いているならば、キティグの死は決まっている。だが、そうじゃない可能性も残されていた。だから何としてもアハトをこの場に引きとめなければならない。その為には何をするべきだ? 何を……何をすれば……。

 キティグは突然テーブルに着く全員に向かって話し始めた。


「あ、あ。う、うん。聞いてくれ。皆聞いてほしい」


 テーブルを囲む全員の視線がキティグに集中した。


「この度の、川睨み。今日の昼食をもって、全4日間の日程を終えた事になる。改めて私の方から礼を言いたい。皆、本当に御苦労であった。皆のミッドランド王家への忠節。私は忘れない。そして、きっと父上も私以上に喜んでいるであろう。今年は去年より多少兵の数が多い。きっとウォーラの奴等は我々を大いに畏れたに違いない。我がミッドランドの団結を奴等に見せつけたのだ」


 キティグはそう言って拍手をした。すると領主達もつられるように拍手をした。

 この間にもキティグの頭は高速で回転を続ける。ねぎらいの言葉とは言いつつも、話の中身にほとんど意味など無い。領主や側近たちをこの場に留まらせ、皆の視線はこちらに集中させる。その為の演説だった。


「天がこの肥沃な大地にミッドランド人を住まう事をお許しになられたのだ。こちらを常に狙うあのウォーラの蛮族どもは山に住んでいる。国土のほとんどが山に囲まれている猿共が我等の文明にあやかりたいと常にこちらを狙っているのだ。だが、我等は決して屈さない。何故であるか皆は分かるか? ミッドランドは永遠だからである」


 ここでまた拍手が起こった。ザグゼインはもう気付いたはずだ。この視線の誘導は毒を入れる行動を誤魔化す。今なら仕事がしやすいはずだ。もしも、キティグの嘘が見透かされてないとするならば、ここで必ず動くはずだ。


「父上は常々おっしゃっていた。奴等は家畜以下の存在価値しかない。そして卑怯者の集団であると。だから奴等にはこの怒りの鉄槌を喰らわせなければならない。少なくともそういう姿勢を見せなければならない。それがこの川睨みだ」


 キティグの話は続いた。本当にどうでもよい話を永遠と。下半身がモジモジしている領主がいた。きっと死ぬほど用をたしたいのだろう。だが、この場からは離れさせないぞ、とキティグは強い意思をもって話を続けた。


「つまり、だから、それは。一種の花のようなものだ。鳥のようとも言えるかもしれない。大きく羽ばたき、そして花を咲かせるのだ」


 キティグは身振り手振りを大きくした。

 皆、キティグが何を言ってるのか分からなくなってきただろうが、キティグだって自分が何を言ってるのかよく分からない。だが続けるしかないのだ。


「そう、あれはちょうど一年前の今の様な季節だった。あの雨はいったい何を示したのか――」と言いかけた所で、突然アハト=ガードが奇声をあげた。

「ぐきぃいい! これは! 胸がぁ! 胸がぁあああああ!」

 突然の奇声に場が静まり返った。

 傍らにはザグゼインが「叔父上? 叔父上!」と叫んでいた。アハトは身をよじるように地面に転がり、喉をかきむしり、口から泡を噴き出した。


 ――よし!


 キティグは心の中で握りこぶしを作った。そして次はその場に溶け込むように自然と気配を消した。領主たちは氷漬けにされたように固まり、そして皆、これが毒であると理解したようだった。

 キティグは必死に叔父上と言いながら泣き叫ぶザグゼインの迫真の演技を見ていた。


 ――俺の嘘がバレた訳じゃなかった。


 キティグはホッと胸をなでおろすのと同時に、ほくそえんだ。

 ここからが本番なのだ。そう自分に言い聞かせた。



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