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ジブリールが号外を目にする一週間日ほど前に時は遡る。
キティグはバルバレアの命令で毎年恒例となっている〈川睨み〉に王家の軍隊を率いて出向いていた。
川睨みとは、不実の国家ウォーラとの国境にある河川〈リーフ川〉の傍に軍を展開する軍事演習のことをいった。毎年きまって秋口にさしかかると、バルバレアは国中の領主に命令を下す。
《ミッドランドの東、リーフ川に集結せよ》
元々ミッドランド国とウォーラ国は、リーフ川を境にいがみ合う隣国で、バルバレアの父の代から戦争を繰り返してきた。近年はほとんど戦争をすることもなく、両国の間には平和な空気が流れていたのだが、バルバレアはことさらにこのウォーラを敵視し、定期的にこの地に軍隊を展開した。それがこの〈川睨み〉と呼ばれる軍事演習だった。この軍隊の総大将はいつも王子だった。ラメロウが存命していた時代はラメロウが総大将であり、ここ10年ほどはジブリールが総大将だった。つまり、今年はキティグが総大将であった。
キティグは、この地でザグゼインを殺す、そう決めた。
キティグを偽王子と知っているのはザグゼインとジブリールの二人だけ。シンプルに考えれば、この二人を殺しさえすれば、自分はこのままずっと王子の座に居座る事ができる。そんなことをキティグは思っていた。だが殺す順序を間違えれば大変な事になる、とも思っていた。
ザグゼインを先に殺した場合、その後の展開は非常にシンプルなモノとなる。ジブリールを王子と証明できる唯一の人間がザグゼインなのだ。彼の死後は、誰もジブリールをこのミッドランド国の王子である、と証明できない。つまり、ジブリールが王宮にふらっと戻ってきても、ただの不審者として追い返されるだけなのだ。政治的に無力な存在と成り果てたジブリールなど、キティグは怖くも何ともなかった。誰もただの一般市民の与太話に耳を傾けるはずがないからだ。
だが、ジブリールを先に殺した場合、その後、ザグゼインがどういう行動にうったえるか、その予想がつかなかった。王子の入れ替えに加担したことの発覚を恐れ、キティグにジブリールのふりを続けろ、とザグゼインは命じるかもしれない。逆にその証拠を隠蔽する為にキティグをこの世から葬り去ろうとするかもしれない。とにかく、ジブリールを先に殺した場合、この先の展開が非常に複雑になる恐れがあった。
キティグはこれからも王子でありたかった。ずっと王子でいたかった。だからキティグは先ずザグゼインを殺すことに決めた。
だが、問題はその方法であった。
ザグゼインは剣の達人であり、戦の達人でもある。刺客を送り込んだとしても難なく返討ちにされる可能性は高く、軍隊を使い戦いを挑んだとしても勝てる望みは薄かった。
だからキティグは自分の最も得意な方法で彼を殺そうと企んだ。
《謀略》である。
キティグは、ただ口先のみで、彼を死に追いこもうとしたのである。
「叔父上(アハト=ガード)を殺せ……、だと?」
周りの兵士を遠ざけた白いテントの中にザグゼインの声が響いた。
驚くザグゼインの唇にキティグは人差し指をあて、静かにするよう促すと、その後、ゆっくりとキティグはうなずいた。その時、リーフ川の川岸に整列する兵士達の雄叫びがこのテントの中にまで聞えた。既に〈川睨み〉の最中であった。キティグとザグゼインは、その川岸の遥か後方の王子のプライベートスペースである白いテントの中にいた。ザグゼインはもう一度確かめるようにキティグに聞き直した。
「はっきりと陛下がそうおっしゃったのか? 叔父上(アハト=ガード)を殺せ、と」
アハト=ガードとは、ザグゼイン=ガードの叔父にあたる人物で、ガード家のみならずガード領内全体に影響力を持つ男だった。
ザグゼインの問いにキティグはうなずいた。それを見たザグゼインは、信じられない、という顔をした。そして、そのあとつぶやくように言った。
「その話、本当なのか?」
「もちろんでございます」
「しかし、いきなり叔父上を殺せ、など……、どうしてしまったのだ陛下は……。その話、陛下の口から聞いたのか?」
「そうです」
「本当だな?」
「お疑いになるので?」
「それは……、別にそういうわけではないが……」と言い、ザグゼインは口ごもり、無言のままうつむいた。こうなるのは当然だろうな、とキティグはザグゼインを横目で見ながら思った。今しがたキティグはバルバレア国王からの重大な命令をザグゼインに伝えた所だった。
《ザグゼイン=ガードに命令を下す。貴殿の叔父であるアハト=ガードを抹殺せよ》
それはザグゼインにしてみれば突然の王からの命令だった。
直接バルバレア王から言い渡されたわけでもなく、王子の口を介して伝えられたからだ。しかも、こんな重大な命令を。
頭をかきむしったザグゼインは、何故そんな命令が下されたのか理由が分からない、と言いたげな顔をして「陛下は乱心なされたのか?」とつぶやいた。だからキティグはその理由を言った。
「アハト=ガード様はこのミッドランドを裏切ったのでございます」
このキティグの言葉にザグゼインは半笑いで首を左右に振った。
「そんな馬鹿な。叔父上がそう簡単にミッドランドを裏切ったりするものか」
「陛下のお話ですと、既にアハト=ガード様はウォーラ国に寝返る用意がある、とのこと。その密約を示す証拠らしきものも掴んでいるご様子」
ザグゼインの笑いが消えた。
「叔父上がウォーラに寝返る……だと?」
「はい」
ザグゼインは親指と人差し指で眉間のあたりをつまむと、何度も首をかしげていた。脳みそが突然の展開に追いついていない、そんなザグゼインの反応だった。
「なぜ叔父上はそんな判断を下したのだ」
「それはアハト様に聞いてみなければわかりません」
「全てが陛下の間違い、ということはないか?」
「それも分かりません」
ザグゼインはテントの中に置かれた椅子を蹴りあげた。
「狂王バルバレアめ、ただ疑いがある、というだけで私に叔父上を殺せと命じているのか? いよいよ乱心したな」
キティグが再び声を抑える様にザグゼインに促した。
「ザグゼイン様、お気持ちは分かりますが、ここはどうかその気持ちをお静め下さい。兵を遠ざけはしましたが、誰が聞いているか分かったものではありません」
ザグゼインは鼻から荒く息を吐きだした後「そんなに叔父上をお疑いになるなら王宮で自分の手で殺せばよいだろうに、何もこの〈川睨み〉にて私に殺させる事はあるまい?」と言った。これに対しキティグはザグゼインを真っすぐ見据えていった。
「私も同じ疑問を抱きました。が、陛下の話を聞くと、どうやら陛下は、アハト=ガード様をウォーラ国の手の者によって暗殺されたと見せかけたいのだそうでございます。だから、きっとウォーラ国との国境であるここリーフ川(川睨み)で殺せと命じられたのでしょう」
ザグゼインは、そのキティグの言葉を聞くと目をつぶり、顎に手をあてた。そして、10秒ほど目をつぶったあと、自嘲気味につぶやいた。
「叔父上を殺す命令を発しながら、その叔父上を使って、ウォーラへの敵対心をあおらせるとは、な。いかにもあの狂王の考えそうなことだ」
キティグはその発言に否定も肯定もしなかった。
二人が沈黙する間、川岸で隊列を組む兵士達の雄叫びがまたキティグの耳に届いた。ザグゼインはなおも黙ったまま、何かを考え込む仕草をみせていた。その表情を見てキティグの口角がわずかに上がった。
――考えろ。そうだ、考えろザグゼイン。
今、キティグは3つの嘘を言った。
まず一つ目は、ザグゼインの叔父であり、このガード領の実質的な統治者であるアハト=ガードがウォーラに寝返る用意がある、という嘘
二つ目は、裏切り者のアハトを殺せ、というバルバレアの命令が下った、という嘘。
そして三つ目は、アハトをウォーラに殺されたように見せかけろ、という嘘だった。
ザグゼインは吐き捨てる様にいった。
「それにしても、一番腹が立つのが、私に叔父上を殺せと命じているところだ。なにも私でなくともよいだろうに。陛下はよほどガード家による同志討ちが見たいらしいな」
キティグがこの言葉に対し少々口ごもった。
「いや、それについては……あの……」
「なんだキティグ」
「それについては決してザグゼイン様には話すなと言われたのですが……」
「なんだ、言え」
そして、このあとキティグは4つ目の嘘を言った。
「……では。その……、お怒りにならないでくださいね」そう言うとキティグは息を整え、言葉を続けた。「裏切り者はアハト=ガードだけなのであろうか、と陛下はおしゃっていたのです」
ザグゼインは目を大きく開いた。
「それはどういう意味だ?」
「そのつまり、ウォーラ国に寝返るというアハト=ガードの一件はアハト様単独ではなく、ガード家全体の意思なのか……、それともアハト様のみなのか、と計りかねている様子でした。だから……その……」
口ごもるキティグに対しザグゼインが言った。
「……そうか。つまり、この私が叔父を殺せるかどうかによって、この私も裏切り者であるか試すとおっしゃったのだな?」
キティグはこのザグゼインの言葉にゆっくりうなずいた。ザグゼインは、そのキティグのうなずきを見て、大きく溜息をつき、そのあと小さく舌打ちした。とんだことに巻き込まれた、とでも思ったのだろう。キティグは、ザグゼインの全ての感情を顔からわずかににじみでる表情、そして目の動きから推察していた。ザグゼインが本当の意味で反応したのは4つ目の嘘のみ。それ以外では、ザグゼインの目は終始別の何かを考えているようであった。特に叔父の死に関してはあっさり受け入れた様子すらあった。キティグはその瞳の更に奥の光を探る。
昂揚感。
ザグゼインの瞳の奥にはわずかにそれがあった。
――やはり、俺の想像は間違っていなかったということだな。
キティグの1つ目の嘘は何も当てずっぽうで言った嘘ではなかった。
ザグゼイン=ガード、そして叔父のアハト=ガード。二人はいわば仇敵の間柄だった。ガード家では庶子は家督を相続できないというしきたりがあり、ザグゼインは庶子であった。彼が家督を継ごうとした時、それを真正面から反対したのが叔父のアハトであった。紆余曲折のすえ、ミッドランド王バルバレアの仲裁が入りザグゼインをガード家の当主とすることに決まったのだが、アハトはそれを良しとせず、未だに方々に自分をガード家の当主にするよう根回しをしているらしい。キティグは金貸し時代にそんな噂話を聞いた事があった。そんな噂話が立つほど彼等二人は王都でも犬猿の仲として知られていた。
つまり、ミッドランド国でガードの領主と認めてもらえないアハトの立場を考えると、隣国のウォーラを頼る、という話は十分に信憑性がある話なのだ。少なくともアハト=ガードは、そうしてウォーラの王に働きかけたこと自体は何度もあるハズだ。
ザグゼインは先ほどから一言も発していない。考えているのだ。この状況の全てを。
キティグは、ザグゼインに見えないように手のひらで口元をおおい、あくどい笑みを浮かばせた。
1つ目の嘘は餌。嘘全体に真実味を加えるための嘘。
そして、4つ目の嘘は退路を塞ぐ嘘。
これによって〈川睨み〉中にことを決しなければならない、というリミットが設けられた。ザグゼインの立場であれば、この情報が真実なのかバルバレアに一度確認したいとまずは思うだろう。だが、この〈川睨み〉の状況がそれを阻んでいた。ここは王都ではなくミッドランドの最も東に位置するガード領。ここにバルバレアはいない。手紙を出したとしても、王都に到着する頃にはすでに〈川睨み〉は終わっている。
そして、もっとも重要なのは5つ目の嘘だった。
もちろんキティグは5つ目の嘘など言葉に出してはいない。しかし、それ自体がキティグの嘘であった。キティグはザグゼインと出会ってから一度もザグゼインに嘘などついていないのだ。そして、キティグは明らかにザグゼインよりも下の立場であり、いつだってコントロール可能なザグゼインの忠実な下僕であり続けた。だからキティグは、ザグゼインに本心を悟られていない、という絶対の自信があった。おおよそ支配する者は支配される者の気持ちに鈍感だ。更にザグゼインのような貴族の坊ちゃんにとって、下の者は当然上の者に従うべきだという価値観があるに違いない。だからこそ、金貸しのような社会の底辺を這いずりまわる地下人の感情などに興味がないし、当然自分に従うと思いこんでいる。だからザグゼインにとって、キティグが嘘をつく必然性を感じとることなど出来るはずがないのだ。
となると、あとはザグゼインにとって自分に都合がよい嘘が並んでいるだけだった。自らの政敵を堂々と葬り去る事ができる都合のよい嘘。しかも、それが王家に忠誠心をみせることに繋がるのだ。
――どうだ? これ以上あんたにとって都合が良い話はないだろ?
空気が淀んでいた。汚い腹の中を悟られまいとする、獅子の口から漏れ出る暗黒の吐息で陣幕の中が満たされた。その中で、ザグゼインが何度も顔を作りなおしていることが分かった。今きっと、内心自分が喜んでいる事を悟られないようにすることに精一杯なのだろう。ザグゼインは小さく言葉を発した。
「殺すといっても、どうすればいい」
「それは……、これを……」
そういってキティグは袖の中から白い粉の入った小さな紙袋を渡した。ザグゼインは眉間にしわを寄せたあと「毒か?」と言い、それにキティグはうなずいた。
「ウォーラの仕業とみせかけるには食卓で皆の居る中でやった方がいいと陛下はおしゃっていました。誰もが、毒、と思うように。それに普段は銀の食器を使い、毒を防ぐが、川睨みの食器は簡素な食器でしょう? きっと成功しますよ」
ザグゼインは演技するのを忘れ、その小さな紙袋をつまんだまま、鼻孔を大きく広げ昂揚感に満ち溢れた顔をしていた。
キティグは、そんなザグゼインに見つからぬように、背後でそっとほくそえんだ。




