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青とオレンジの記憶  作者: 春山 灘
9/20

スナック あけみ【莉子視点】

「この辺?」

「うん。ここって私が子どもの頃から全然変わんないんだよね。私は好きなんだけどさ」

「昭和っぽくてイイ雰囲気だねー。昭和の時代知らないけど」

「テレビとかで見たイメージでしょ? なんとなく分かる」

「そうそう。昔の刑事ドラマってよくこういう路地裏出てくるよね」

「……莉子、そういうの見るの?」

「わりと好きなんだよ」


私は今、綾が働いていたスナックに向かい、狭い路地裏の中を歩いている。


『昔ながらの』っていう言葉が本当にしっくり来るこの場所。


まるで平成の時代から取り残されたみたいなレトロ感が私の頭を少し混乱させた。


今年は元号が変わるから、『平成の時代』っていう言葉もレトロなものに変わる。


時代の移り変わりというものは怖ろしい。


「でも綾って都会のバーみたいなオシャレな店の方がイメージ合うんだけどな。こういう昭和っぽいイメージないからさ」

「自分で選んだ訳じゃないから何とも……あ、あそこだよ。あの赤い看板」


綾が指差した先を見ると、『スナック あけみ』と白で書かれた赤いスタンド看板が見えた。


これはまさに刑事ドラマの主人公行きつけの『場末のスナック』。


綾が子どもの頃から朱美さんが経営してるって話だから、築年数もそれなりだろうし、昭和の雰囲気があっても不思議じゃない。


平成生まれの自分がここに入ってもいいものかどうかと少し躊躇っていると、綾は何の迷いもなくドアの取っ手を引いた。


「いらっしゃいませ~」


カランとドアが開いた直後、店の中から上品な女性の声が聞こえた。


綾の後ろから覗き込んだ店内は、外観の場末感とは印象が違って、オシャレなバーと同じようなオシャレな雰囲気が漂っていた。


「朱美さん、こんばんは。お久しぶりです」

「あら、綾ちゃん!? 久しぶりねー!」

「遊びに来ちゃいました」

「いつもありがとね。年末顔見れなかったから寂しかったわ」

「今回は時間取れなかったんです。来たかったんですけどね」

「待ってたのよー。会えて嬉しいわ。まぁ座って」


朱美さんは私が想像していた通りの人だった。

綺麗で気さくで、人生経験の豊富さを感じさせる素敵な女性。


綾のお母さんと幼なじみってことだから、年はたぶん、50代後半くらい。


決して広いとは言えない店のカウンターに2人で座り、私はなんとなく綾と朱美さんの様子を観察した。


私以外の人と話す時のいつもの綾と表情が違う。


いつもはどこか緊張感を漂わせている綾が、今は心から安心しているような柔らかい表情を浮かべている。


「そちらの女性はお友だち?」

「……あ、はい。会社の同僚なんです」

「初めまして。真下っていいます」

「初めまして、朱美と申します。下のお名前は?」

「莉子です」

「莉子ちゃんね。うふふ、可愛らしいわねぇ」


朱美さんは、カウンターに座る私たちにお通しを出しながら、付き合いの長さを感じさせる会話を綾と続ける。


「でもこんな時期に珍しいわねぇ。今日は実家に帰省?」

「いえ、今日は母には内緒で。ちょっと朱美さんに話したいことがあって」

「ん? なあに?」


『話したいこと』って何だろう。

ここに着くまでに綾からは何も聞かされていない。


綾の顔を見ると、それまで綻んでいた顔が少し緊張していた。


「えっと……。とりあえずお酒もらえますか?」

「いつもの?」

「はい」

「莉子ちゃんは?」

「あ、じゃあ綾と同じもので」

「カシスオレンジでいいのね?」

「え、……ふふ。お願いします」


すると、朱美さんは私たちの目の前でシェイカーを振り始めた。


男性のバーテンダーはよく見るけど、女性がこういうことをしている姿はなかなか見ない。

女性のこういう姿は本当にカッコいい。


「カッコいいなぁ……。ねぇ、綾もやってたの?」

「一応ね」

「え、見たいなぁ」

「ふふ、綾ちゃん上手だったわよ。当時を再現してあげたら?」

「い、いや、これ以上はやめておきます」

「え? これ以上?」


差し出された綺麗なカクテルグラスを手に取り、綾と2人で乾杯。


少し飲んで落ち着いた時、朱美さんがさっきの綾の言葉について聞き返してきた。


「……で、話したいことって?」

「あ、はい」


綾は姿勢を正して朱美さんの方を真っ直ぐ向く。


まるで、交際相手の父親に「娘さんを僕にください!」と言い出そうとしている男のような雰囲気だ。


「実は、私たちの関係についてなんですけど」

「え、ちょっと綾……!?」


綾の言葉に驚き、慌てて綾のほっぺたをつねる。


というか、私のイメージは半分くらい正解だった。


おそるおそる朱美さんの顔を見ると、綾のほっぺたをつねる私とそれに無言で耐えている綾を見てフッと吹き出した。


「……あ、なるほどね。いいわ。それ以上言わなくても」


朱美さんのこの反応にも驚いた。


親しい人に突然こんなことをカミングアウトされたら、普通ならもう少し大げさなリアクションを見せるものだと思う。


なんて柔軟な人なんだろう。

綾が朱美さんに事実を打ち明けた理由はすぐに理解できた。


「朱美さん、やっぱり驚かないんですね。そうとは思ってましたけど」

「あはは! この仕事やってたらそんなことで驚いてらんないわよ。でもそっかー、幸子さちこには内緒にしとかなきゃね」


綾が「それは切実にお願いします」と言うと、朱美さんはまた私たちに向かって笑顔を浮かべた。


「私から質問してもいいのかしら?」

「もちろん。そのために来たんで」

「ふふ。むしろ話したいみたいね」


綾の語調はたしかに少し前のめりな雰囲気がある。

綾は本当に朱美さんを信頼しているのだ。


「莉子ちゃんは綾ちゃんのどこに惚れた?」

「え、顔です」

「……直球ね。素直でいいわ。綾ちゃんは?」

「え、顔です」

「ふふ。あなたたち気が合うわねぇ。気が合うって大事なことよ」


もちろん顔に惚れたのはお互い嘘じゃないと思う。でも当然それだけじゃない。


朱美さんが私たちの言葉を額面通りに受け取ってる訳じゃないのも分かる。


「お付き合いしてどれくらい?」

「んー……、まだ4ヵ月くらいです。それまで何年も友だち同士だったんですけど」

「何かご縁があったってことね?」

「そうですね。まさかこんな関係になるとは思わなかったです」


それにしても、ここまで込み入った話をして大丈夫なんだろうか。


人によっては、表向きは興味を持っているフリをして、本心では蔑んでたり、拒否感を持ってたりする場合もある。


綾が信じている朱美さんを疑いたくはないけど、こういうデリケートな話題となると必要以上に勘ぐってしまう。


「馴れ初め聞いてもいい? どっちから告白したの?」

「……えーと、ちょっと複雑な事情がありまして……」

「ふふ、話せないようなこと?」

「いや、私がお酒でやらかした、ってところです。無意識に莉子に告白してたみたいなんですよね……」


話を聞きながら、あの日の綾の醜態を思い出す。


あれがなければ今の私たちはなかった。

他の道筋でここに至っていた可能性もあるけど、今考えると私たちはあれで良かったんだと思う。


お互いの記憶に強烈な印象として残っている出来事ほど、あとで笑いながら語り合えるからだ。


「あぁ、綾ちゃんお酒強くないものね。飲み過ぎちゃったんだ?」

「はぁ……。あの時母から見合い話を持ち込まれてて。それがどうしてもイヤで会社の飲み会でヤケ酒しちゃったんですよ。その結果がこれです」

「ふふ、なるほどねぇ」


綾の言葉を聞いた朱美さんの視線が、一瞬だけ、遠くを向いた気がした。


私が必要以上に朱美さんを観察してしまうのは、綾の告白をどう受け取ったのか、まだ朱美さんの本心がよく分からないからだ。


「でも、私なんかに話して良かったの? そんな大切なこと」

「朱美さんには知っててもらいたくて。私が唯一全部さらけ出せる人だから」

「幸子にも紹介してみたら?」

「えっ!? それはさすがに……」

「あら、お母さんが信用できない?」

「……勇気がないんです。どんな顔されるかと思うと怖くて」


少し落としたトーンでそう言い、思いつめたような表情を見せる綾。


綾の言うことは私自身も考えていたこと。

でも、私の母はきっと受け入れてくれると思う。


綾の落ちた様子を見た朱美さんは、語りかけるような口調で綾の名前を呼んだ。


「綾ちゃん」

「……はい?」

「また今度話すわ。幸子のこと」

「……え?」


朱美さんはそう言って私の方をチラッと見た。

目が合った時、笑顔を浮かべてすぐに視線を逸らした。


意味ありげな言葉と、私に見せた些細な挙動。

でも、イヤな感じはしなかった。

むしろ私を安心させようとしているかのような。


綾はこの些細なやり取りに気付かなかったようで、ひと段落した話を切り替えるように緩んでいた姿勢を正した。


「今日はお客さんまだ来ないんですね」

「まだ早い時間だからね。新年会シーズンだし、もう少ししたら一次会からのお客様が見えると思うわ」


朱美さんがそう言った直後、カランという音と一緒にドアが勢いよく開いた。


「朱美ちゃーん、ちょっとまた話聞いてくれよー!」

「あら、いらっしゃい。どうしたの? またあの部下の子?」


おぼつかない足取りでカウンターに近付いて来た中年男性は、朱美さんに愚痴をこぼしながら、私たちから少し離れた席に座った。


その視線が私たちの方を向く。

一瞬でイヤな予感がした。


「……お? 今日は美人なお客がいるなぁ。一緒にどう?」

「ダメよ。2人とも人妻なんだから」

「「……えっ!?」」

「マジかー。旦那が羨ましいなぁ。ウチの女房なんか日に日に太っていくからなぁ。俺もう幻滅だわぁ」

「ふふ。それは奥様が幸せだからよ」


ーー


朱美さんの店から旅館に戻った頃には、すでに午後9時を少し過ぎていた。


戻ってすぐに温泉に入って、今は2人で浴衣を着て部屋の布団の上にいる。


店での出来事について綾は何も言わない。

私は言及せずにはいられなかった。


「綾、さっきの話さ」

「ん? 朱美さん?」

「うん。いきなりびっくりしたよ。なに言い出すかと思った……」

「あはは。びっくりさせようとしたんだよ」


脱力した私を見ながら屈託なく笑う綾。

やっぱりこの人はサプライズが好きらしい。

もっと甘いサプライズだったら素直に喜べたのに。


……とか考えてる私も十分綾に毒されている。


「実はさ、綾が私たちのこと詳しく話し始めた時、ちょっと不安になったんだよね」

「ん? 不安って?」

「実は朱美さん、私たちの関係に引いてるんじゃないかって」

「まぁ莉子何も言わなかったしね。そうなんじゃないかと思ってたよ」

「でもさ、なんか……」

「ん?」


私が脳裏に描いたのは、私にチラリと向けた視線と、その時に見せた微かな笑顔。

それから、


『また今度話すわ。幸子のこと』


あの言葉。


「そういう人じゃない気がした。綾が信頼するのも分かるよ」

「うん。莉子は分かってくれると思った」

「大切な人に会わせてくれてありがとう。私も今度会わせるね」

「ん? ……誰?」


私は、綾の問いには答えず、代わりに綾の布団に身を寄せた。




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