いつもと違う【莉子視点】
一刻も早く綾に触れたくなった私は、ゆっくりとコタツを出て、綾の隣にそっと寄り添った。
わざと熱っぽい目で綾の目を見つめると、綾も少し赤い顔でとろんとした表情をしていた。
普段と違う、“女”を前面に押し出した綾に、胸が異様に高鳴っている。
アルコールが回って顔が熱い。
たぶん、今の私は誘うようないやらしい顔をしている。
「……ねぇ綾、今日はいい?」
「え? ……うん」
横に座る綾の膝に手を添え、ゆっくりと唇を重ねる。
優しくついばむようなキスの最中、綾の温かい手が私の首筋に触れた。
今日の私はどこかおかしい。
たったこれだけのことで呼吸が乱れている。
「え、莉子どうしたの?」
「……いや、なんか……」
綾の顔を見た瞬間、顔全体がボッと熱くなった。初めてキスした訳でもないのに。
「すっごいイケナイことしてる気分……」
「い、いけないこと? 今さら?」
「綾の格好のせいかなぁ。綺麗なお姉さんとこんな怪しいこと……」
「え、じゃあ着替えようか?」
「ううん、そのままでいいよ。なんか逆に……」
コタツから出て座っている綾の膝に跨り、ちょうど私の胸元にきた顔にわざと胸を押し付けた。
綺麗にセットされた髪を両腕で抱え込み、熱くなった耳にそっと口付ける。
「え、莉子……。なんか今日いやらしいよ……」
「綾がそういう気分にさせるんだよ。お酒も飲んでるし……」
綾の目の前で、見せ付けるように自分の服のボタンを外していく。
胸元まで肌が露わになった時、ついに綾の両手が私の両胸に触れた。
綾は私の両胸を寄せながら谷間に口付ける。
胸元に触れる熱い吐息と、そこを這う柔らかな感触が、私の呼吸を更に乱れさせた。
「綾、今日の私、おかしい……?」
「……うん。だいぶ」
「そう。……もっとおかしくしてくれてもいいよ?」
ーー
「莉子」
「……え? なに?」
「大丈夫?」
「何が?」
「寝てた?」
「……あ」
気が付いた時、私は綾の膝に跨ったまま、力の抜けた身体で思いっきり綾に体重を掛けていた。
案外腕力のある綾は、私が目覚めるまでその重さに耐えていたらしい。
「せっかくおかしくしようと思ったのに……。さすがに寝てる人襲えないよ……」
「あ、ごめん。思ったより酔ってたみたいだね。もう一回スイッチ入る?」
「……人を家電みたいに言わないで」
その後は、交互にシャワーを浴びて、綾のベッドの上に2人で寝転び、何度かそうしたように長い時間お互いの身体に触れ合った。
肌を重ねたのは付き合ってからこれで3回目。
最初は温泉旅館、次はラブホテル、今日は綾の部屋。
毎回思うけど、綾はたぶん普段は我慢している。
そういう時の綾は、人が変わったみたいな表情を私に見せるけど、それが我慢しているせいだと考えたら納得がいく。
きっとまた『あんまりそういうことに慣れたくない』とか考えてるんだろう。ホントに綾らしい。
「もう明日からここで寝られない……」
「え、なんで?」
「毎晩考えちゃうよ……」
「考えちゃえば? 別に減るもんじゃないし」
「いや、精神が消耗する。今度ベッドの位置変えようかな……」
本人は大真面目なんだろうけど、私のことを思っての綾の行動は見ててホントに面白い。
ベッドの位置を変えたところで一体何が変わるって言うんだろう。
「そんなことしたって変わらないでしょ? シーツとか布団替えるなら分かるけど」
「じゃなくて情景だよ。一回くっついた視覚と感覚ってなかなか切り離せないからさ。だったら視覚側から変えようと思って。そしたら想像しづらくなるし」
照れ隠しなのか、変に遠回しな言い方をする綾。
要するに、コトに及んでる時に見えていた部屋の景色を変えたいってことらしい。
やっぱり、綾と私は物の見方が違う。
私はその場所を見ているけど、綾は空間を見ている。
こういう違いがあるから、綾と一緒にいて楽しいって感じるのかも知れない。
「別に想像したっていいのに。私なら幸せだけどなぁ」
「……毎晩夜這いかけに行ってもいいの?」
「アラサーだから無理だよ。体力ない」
「え、お預けくらってる犬みたいな気分……」
しゅんとした綾を見て笑顔がこぼれた時、『お預け』という言葉にふと思い出した。
そういえば、『誰にもあげたことないもの』をまだ貰っていない。
「あ、そうだ。お預けって言えばさ……」
「ん?」
「私に何かくれるって言ってたよね。聞いてもいい?」
「……あ、あぁ。これ以上引っ張るようなものでもないから話すよ。実は莉子の絵を描いてた」
「……え、絵?」
正直、意外だった。
たしかに綾に何度か頼んだことはあったけど、綾はその度に返事を渋っていて、あんまり描きたくない様子だったからだ。
「うん。何回か言われてたから。でもまだ完成してないんだ。もう少ししたら見せるよ」
「けど描きたくないんじゃなかったの? 『莉子のイメージなんて私だけが知ってればいい』みたいなこと言ってたじゃん。『誰の目にも触れさせたくない』みたいな」
「……一体どんだけロマンチストなんだろうねぇ」
「え、やっと自覚したの?」
どうやら綾自身にも自覚はあったようで、私の質問に対する返事はなかった。
やっぱり少し照れたような顔をして、何か思いを馳せるように遠くを見つめている。
「あの日さ、一緒に植物園行った日」
「……あ、うん。クリスマス展やってたね」
「うん。あの日見たオレンジの花が印象に残ってて」
「あ、そっか。私の色って言ってたよね。あのシクラメン」
「うん。もう描きたくて堪らなくなった。だからこっそり描くことにしたんだ」
絵の話をしている時の綾は、子どもみたいな無邪気な顔で楽しそうに話す。
私がもっと絵が上手だったら、もっと綾といろんな話ができるし、綾を楽しませることができるのに。
「羨ましいなぁ。描きたくて描けるなんて」
「あ、今度はちゃんと教えるから。私なんかで良ければ」
「……あぁ、それであの日様子がおかしかったのか。生理で宇宙が爆発するとか言ってさ」
「なんか色々混ざってない?」
人物画は苦手と言っていた綾が、一体どんなふうに私を表現してくれているんだろう。
全く想像できない分、完成が待ち遠しい。
「でもそっかぁ。完成楽しみだなぁ。早く部屋に飾りたいな」
「いや、莉子以外の人には見せたくないんだよ。だから見えるところに飾らないで欲しいんだけどさ」
「……どうしろって言うの。絵は飾って楽しむものなのに」
私がそう言うと、綾は「うーん……」と少し考え込んだ。
「じゃあ例えばさ、莉子の部屋に来客があったとして、その絵のこと突っ込まれたら何て説明するの?」
「ん? 恋人が私をイメージして描いてくれたって」
「……本気で?」
「うん。だって嬉しいじゃん」
ーー
あの時の綾は本当に嬉しそうな顔をしていた。
本人には恥ずかしくて言えないけど、私はあの照れ笑いが好きだ。
最近よく綾をからかうようになったのは、あの顔を見た私の方が照れてしまいそうだから。
だから、照れる覚悟がある時にしか素直な気持ちは伝えないことにしている。
「あのー、真下さん」
「ん? 何か分からないことあった?」
「いや、今日はフツーっすね」
「え、フツーって普通突っ込むところじゃないんじゃ……」
「いや、最近ずっとフツーじゃなかったんで。フツーの真下さん久しぶりに見ました」
「……フツーの私かぁ」
普通とか言われると時々思い出すけど、やっぱり女同士で付き合ってるのって一般的には普通じゃない。
だから私たちは隠れてこっそり付き合っている。
「あ、そういえばさっき課長が」
「うん、分かってる。昼から企画会議だよね?」
今まで私は割と交際とかはオープンな方だったけど、綾と付き合ってからは誰にも話していない。
けど、もし普通に話せる関係だったとしても、誰かに話したいとは思わない。
「そっすね。あと俺に『真下を教育してやれ』って」
「……厳しいなぁ。一回遅刻しただけなのに」
「いや、絵の話っす。『真下は創業史上最高の逸材』って言ってました」
「あ、それは大丈夫」
「え?」
「大先生がそばにいるから」
誰にも祝福されなくたって、綾が私のそばにいてくれればそれでいい。
こんな盲目的な恋をしたのは初めてだ。
ーー
昼休み、会社の屋上。
久しぶりに晴れたからここに来たいと言い出したのは綾の方だ。
「やっぱりさすがに寒いね……」
その綾が、冷たい風に吹かれて肩をすくめている。
ここが会社じゃなければくっついて暖めてあげたいところだけど、やっぱり人目が気になる場所でそんなことはできない。
「もう冬だからね。……っていうかなんでここに? 寒いの分かってるのに」
「いや、ここまで風強いと思わなくて……。なんか久しぶりにここの景色見たかったんだよね。莉子と」
「え、なんで?」
「ん? 莉子とあれこれ言いながら景色見るの好きなんだ。着眼点違って面白いから」
こんなに性格が違うのに、考えていることは同じ。
そんなことすら嬉しいと思える。
「ふふ。私もそう思ってたよ」
2人で屋上から見下ろす景色は、いつもと同じようで、いつも見え方が違う。
年末を控えた今は、道路を行き交う車や歩道を歩く人々から、なんとなく師走の慌ただしさを感じる。
「ねぇ、綾は今年も実家帰るんだよね?」
「ん? まぁ年越しくらいは家族と過ごすつもり。莉子は?」
「私もそうするよ。……でさ」
「ん?」
「元日の夜、こっち戻って来れない? 一緒に初詣行きたいんだ」
「うん。莉子がそう言うなら」
この冬は、綾と2人でいつもと違う時間を過ごす。
「……あ、雪?」
「え、今年も降るんだ。この辺あんまり降らないのに」
「だよねぇ。積もらないといいけど」
私は、こんな時間がこの先もずっと続いていくと信じている。