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青とオレンジの記憶  作者: 春山 灘
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スナック店員とクリスマス【莉子視点】

私は最近気持ちが浮ついている。


少し前まで綾のことを考えながらぼーっとしていたのに、今度はウキウキが止まらなくなっている。


綾が言ってたプレゼントって一体なんなんだろう。


『誰にもあげたことないもの』なんて変な言い方するから気になって楽しみで仕方がない。


そうやってまた怪しい妄想をしていたら、いつもみたいに右隣から「真下さーん」と気の抜けた声がした。


「あのー、最近やたらウキウキしてません?」

「え、そう?」

「はい。パソコン打つ音がやたらウキウキしてるんすけど」

「え、どんな音? 私そんな器用じゃないよ?」

「もしかしてクリスマス近いからっすか? 彼氏とデートとか?」


『彼女』ならいるけど『彼氏』はいない。

でももちろんそんなことは言えない。


「あはは、彼氏なんかいないよ。それより畠山くんは? クリスマスは彼女と?」

「はい。スノボデートっす」

「あ、彼女いたんだね。そりゃウキウキするよね」

「いや、ウキウキしてんのは真下さんなんすけど……」


今度はどうやらウキウキし過ぎて畠山くんを心配させているらしい。


いや、心配というより、この顔は呆れ顔だ。


「まぁそれはいいんすけど、さっき課長が呼んでましたよ? 会議室早よ来いって」

「……あっ! そっか忘れてた……!」


まさかの失態を晒してしまった。

まさか自分主催のミーティングに遅刻してしまうなんて。


開始予定時刻から3分遅れて到着した会議室では、すでに3人の参加者が席に座って談笑していた。


「お、真下来たな」

「すみません! お待たせしました!」


私の顔を見た瞬間ピタッと会話が止んだのを見る限り、どうも3人で私の噂話をしながら盛り上がっていたようだ。


今回のミーティングが通常の開発会議みたいなお堅いものじゃなかったのは幸いだった。もしそれに遅刻してたらと思うとホントに恐ろしい。


「おいおい、お前が設定したんだろ?」

「その通りです。みなさん申し訳ありませんでした」

「珍しいな、仕事の虫が」

「はぁ、ちょっと立て込んでまして……」

「企画書は?」

「あ、これです」


開発課の小山課長の前に企画書を差し出した直後、課長は私が描いた絵を見るなりフッと鼻で笑った。


「相変わらず真下は絵が恐ろしくヘタだな」

「そ……、それは言い訳できません……」

「ほら、早く内容説明しろ。解説がないと理解できんぞ」


ーー


という経緯があって、私はとても落ち込んでいた。その直前までのウキウキ感がウソだったみたいに未だにしょんぼりしている。


絵がヘタだとは言われ慣れているけど、今日は課長のあの薄ら笑いが必要以上に胸に響いている。


「えっ? 私の部屋?」

「うん。ちょっと綾に相談したいことがあってさ……」

「え、えーと……別にいいよ。あ、でも玄関でちょっと待ってて。殺人的に散らかってるから」


今日が週末ということもあって、もともと綾と時間を合わせて食事に行く予定を立てていたから、ものはついでということで絵の相談に乗ってもらうことにした。


「ねぇ綾、絵の描き方教えて……。課長にあんな顔されて悔しい……」

「え、絵は感性を爆発させれば描けるよ」

「テキトーだなぁ。私の場合は絵が爆発するんだって」

「じゃあ爆発のさせ方を変えればいいんだよ。もっとこう、マイルドな感じに」


もう少し具体的に教えてくれてもいいようなものなのに、今日の綾はどうも投げやりな感じがする。


何故か目を合わせようとしないし、「とりあえず絵を描くから綾に見て欲しい」と言ったらテキトーにシャーペンとコピー用紙だけ差し出すし。絵の具と画用紙くらい用意してくれてもいいのに。


「とにかく何枚も描くことだよ。最初は上手くなくて当たり前なんだから」

「全然最初じゃないって。もう6年もこの仕事してるのにこれだよ?」

「っていうか、莉子は別にそのままでいいんじゃない? 仕上げは私らの仕事なんだし」

「けど企画会議の時も全然説得力なくてさ……。プロジェクターで映した瞬間参加者みんな苦笑するんだよ……」


綾は一応、商品の最終的な仕上げを担当するデザイン課所属ではあるものの、大学で工業デザインを専攻してた関係で、商品の構造的な部分に携わったり、商品そのものの企画を立てたりなど、業務内容は様々だ。


そういう私自身も、一応商品開発課所属ではあるけど、綾みたいに専門知識を活かした色んな業務を担当している。ちなみに私の場合は商学系だから、マーケティングとかそっちの仕事がメインだ。


「ところでさ、綾は例の夏向けのやつ企画進んでる?」

「あぁ、うん。バナナかな」

「バナナの何?」

「バナナの……、バナナの浮き輪?」

「……なんか今日の綾テキトー?」


そのテキトーさを「いや、生理で頭がぼんやりしててさ……」とか言い訳してる綾にシャーペンを差し出し、私はとある絵を描くことを要求した。


そういえば綾がこういう類いの絵を描いたのを見たことがない。


「少女漫画の主人公の絵みたいなの描ける?」

「え、漫画? 私漫画は描けないんだよなぁ……」

「そうなの? なんか綾くらい上手な人って何でも描けそうなイメージなんだけど」

「い、いや、もう絵の話はやめよう。今日は生理だから絵のことは考えたくない」

「そういうもの? 芸術家って気難しいなぁ」


せっかく身近に先生がいるから手取り足取り教えてもらいたかったけど、嫌がってる人に無理強いするのも気が引ける。


私は綾に差し出したシャーペンを引っ込め、目の前にあるコピー用紙に落書きを始めた。


それにしても今夜は寒い。

さっきから2人でコタツに入ってるから足だけはあったかいけど、そろそろ背中が冷えて寒くなってきた。


「っていうか部屋寒いね。ヒーター点けないの?」

「あ、寒かった? ごめん、身体が熱くて気付かなかったよ」

「えっ? ……あ、生理だからか。綾って結構影響あるんだね」

「え、あ、うん。そうだね。あははは」


綾は空笑いみたいな笑い方をしてコタツから出たあと、部屋の隅にあるヒーターのスイッチを入れた。


また元の位置に戻ってきた綾は、私の手元を覗き込んで怪訝な顔をした。


「……ところで莉子、さっきからなに描いてんの?」

「ん? 想像図」

「何の?」

「スナック店員の綾」


その怪訝な顔がニッコリ笑顔に変わる。


「うん。宇宙服にしか見えないね」


その言葉に更に自信をなくした私は、コタツの上にがっくりと頭を落とした。


それを見た綾が焦りながらフォローになってないフォローをする。


「あ、ほら、宇宙服に見えるってことは宇宙の絵を描けるってことだから。今度宇宙コンセプトで企画打ってみたら?」

「……何の慰めにもなってないよ。せっかく綾を喜ばせようと思ったのに……」

「あ、うん、嬉しいんだよホント。だって莉子が私の……」


と、そこで何故か綾が言葉を切った。

やっぱり今日の綾はどこか様子がおかしい。


「そうだ莉子、私のスナック店員時代の話でもしよっか?」

「え、それは聞きたい! 時給いくらだったの?」

「……まずそこ?」

「だって気になるじゃん。どれくらい貰ってたのか」


まぁ様子がおかしいと言っても具合が悪い訳じゃなさそうだし、ただの気のせいかも知れないし。


とりあえず綾がせっかくこう言ってくれたんだから聞かなきゃ損だ。


「一応断っとくけど相場は知らないよ? 私は2,500円貰ってたけど」

「え、それって今の私たちの給料より高いんじゃ……?」

「かもね。たぶん朱美あけみさんが気を遣ってくれてたんだと思う」

「あけみさんって、ママさん?」

「うん。やっぱりああいう仕事してる人ってすごいよね。どんな話題でも付いて行けるしさ」


綾はそれを皮切りにスナック店員時代のことを色々話し始めた。


そもそもなんで綾がそんな仕事を引き受けたのかと疑問に思っていたけど、どうやら綾は当時から人見知りが酷かったらしく、せっかくのお誘いだし、これを機会に克服できれば……ということだったらしい。


「えっ! 今よりヒドかったの?」

「……今そんなにヒドい? 結構普通の人になった気がするんだけどなぁ」

「まぁ並みの人見知りって感じか。……っていうか水商売なんてお母さん反対しなかったの?」

「むしろ『くれてやる』的な。母は朱美さんのこと信頼してるからね」


綾のお母さんと朱美さんは幼なじみで、幼稚園から高校卒業までずっと一緒の大親友。


その後はそれぞれ就職して結婚したけど、2人とも地元を離れなかったこともあって、お互いの環境は変わっても交流はそれまで通り続いていた。


今は朱美さんは独り身になっていて、地元で一人でスナックを経営している。


綾は、年末に帰省した時にお母さんと一緒にそこに遊びに行くそうだ。


「クリスマスにその時の格好してくれるんだよね? あ、別に今でもいいよ?」

「え? そんな急に言われてもなぁ……。結構時間かかるんだよ、女装」

「私が化粧しよっか?」

「え、今?」

「うん」

「……いや、やっぱ無理だ。過程見られる方が恥ずかしい」


恥ずかしがる綾の顔を見ていると色々想像してしまう。


まずスタイルがいいから何を着ても似合うはず。若い感じよりもオトナな服装の方が絶対いい。


顔立ちは中性的だけど女寄りだから多少派手な化粧をした方が映えそうだ。


髪はちょっとクセはあるけど綺麗だし、結構伸びてるから好きなようにアレンジし放題。


綾が一体どんな変貌を見せてくれるのかって想像していたら、さっきまで落ち込んでたけどまたウキウキしてきた。


「じゃあさ、私が来る前に準備しといてよ。その方がサプライズ感あって楽しいし」

「え、……分かったよ。でもなんかイイ大人がコスプレみたいなことして恥ずかしいなぁ……」


ーー


その一週間後。


私は父の命日に実家に帰省した。

社会に出てからも、もしこの日が休みじゃなければ有給を取っている。


父は私が小学生だった頃に通勤中の交通事故で他界した。

クリスマス前の、世間が浮ついている時期の突然の出来事だった。


事故を知った時、鮮やかな色で彩られていた胸が一瞬で真っ白に染まった。


あれから20年以上が経ち、今は大切な人との時間を素直に楽しめるようになった。


あの時、感情を抑えて静かに涙していた母の顔は、この先もずっと忘れない。


その後も母は私の前で気丈に振る舞い、時々反抗する私と衝突しながらも、女手ひとつで懸命に育ててくれた。

高校卒業の年には、何も言わなくても大学進学まで勧めてくれた。

そういう母親だ。


「あ、莉子。お帰り」

「ただいまぁ。ごめん、ちょっと遅くなっちゃったね。平日なのに高速が渋滞しててさ」

「いいよ、事故がなかっただけでも。ちょっと休憩する?」

「そうだね。久しぶりにお母さんが淹れたお茶が飲みたいなぁ」

「ふふ。相変わらず子どもみたいねぇ」


綺麗に片付けられ、掃除が行き届いた昔ながらの和風の家は、私がここを離れた時から全然変わっていない。


こんな家庭で育ちながら一人暮らしの部屋が散らかり放題の私って一体なんなんだろう。


広い仏間で父の遺影に手を合わせた後、お墓参りの前に居間で母と少し話すことになった。


木の机を挟んで母の対面の座布団に座ると、母は私の顔を見てニコッと微笑んだ。


「莉子、なんかウキウキしてる?」

「え、お母さんまでそんなこと言うの?」

「だって顔が明るいから。悪いことじゃないでしょ?」

「まぁねぇ……」


久しぶりに会った母にすらそんなことを言われてしまう私って、本当に一体なんなんだろう。


綾の影響力は本当に計り知れない。

全部あのイモムシスナック店員のせいだ。


「まぁ元気そうで何よりだよ。仕事忙しいみたいだから心配してたんだけどさ」


母は昔から私のことには必要以上に干渉してこない。


それは私を信じてくれているからだと勝手に解釈しているけど、実はちょっと寂しい時もある。


「あのさ、お母さん。私いま幸せだからさ」

「ん? 珍しいね。莉子がそんなこと言うなんて」

「うん。それくらい幸せってこと」


やっぱり母は何も聞かずに穏やかに微笑んでくれる。


これが母なりの優しさだ。


私はそれ以上何も言わなかった。


その後、母と2人で父の墓前に花を添え、手を合わせた。


ーーそして。

待ちに待ったクリスマス当日。


私はこの時のために朝から頑張って作ったオードブルや、想像の中の綾の雰囲気に合いそうな色のシャンパン、そして綾が好きなケーキ屋さんのケーキを持ってドアの前に立っていた。


ゆっくりと開いたドアの向こうから見慣れない影が覗く。


「……ふふ。ホントにやってくれたんだ」

「……だって莉子が見たいって言うから」

「……うふふ」

「……なんか気恥ずかしいよね」

「……綾」

「……え、やっぱ変?」

「カッコイイ! なにその服!」


身体の線がはっきり分かるシンプルな黒いワンピースに、細身ですっきりしたデザインのオトナなジャケット。


ぱっと見スーツっぽいけど、会社で着たら浮いてしまいそうなほど色気が出てる。


そしてジャケットの色は予想通り緑系で来た。


「現役時代に着てたヤツだよ。体型変わってないから普通に入った」

「やっぱりスカートも似合うじゃん。髪型も女だわ……」


いつもは一つにまとめてるだけの栗色の髪をアップにしてて、コテで巻いたのか毛先に緩やかなウェーブがかかっている。


これは女だ。

もはや普段の面影はない。


「いや、もともと女だから。……って、立ち話もなんだし上がって。一応食べ物も軽く用意しといたから」

「じゃあこれも食べよ。私の手作りオードブル。あとシャンパンとケーキ」

「え、こんなに? ありがとう。楽しみだなぁ」






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