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青とオレンジの記憶  作者: 春山 灘
3/20

あの夜の出来事から【莉子視点】

綾と一度身体を重ねたあの日以来、綾を見かけるたびに触れ合いたいと思うようになってしまった。


それはもちろん会社でもそう。

最近そのせいでたまに仕事が手に付かなくなって少し困っている。


会社は基本的に服装は自由だけど、綾は考えるのが面倒っていう理由でいつもカジュアルめのパンツスーツを着ている。


その姿は誰から見ても綺麗でカッコいい。

背が高くて足も長いし、細身の割に出るとこ出てるからこういう格好がすごく良く似合う。


以前はただカッコいいなーと思いながら眺めてただけなのに、ここ最近はその場で抱きつきたくなるほど気持ちが高ぶってしまうのだ。


「真下さーん、この書類のこの部分って何書いたらいいんすか?」


妄想がいよいよいけない方向へ進み始めた時、突然右隣から声をかけられて現実に引き戻された。


隣の席の後輩、お調子者の畠山はたけやましょうくん。

彼は私の3年後輩。彼が資材課から商品開発課に異動してきたのはつい最近だ。


一応私が彼の教育係を任されてて、何か分からないことがあるとこうやって私に聞いてくる。

その畠山くんが書類をボールペンの先でつつきながら私の前に差し出した。


「ここなんすけど」


「あ、そこは空欄でいいよ。客先から特別な要望がある場合に記入する場所だから」

「分かりました。ありがとうございます」

「いえいえ。分からないことは何でも聞いてね」


可愛らしい顔立ちの畠山くんがニコリと微笑む。


彼は25歳の大人の男性のはずだけど、その見た目から年の離れた弟みたいな感覚で接してしまう。


「……ところで真下さん、大丈夫っすか?」

「え? 何が?」

「いや、具合悪そうなんで。なんかぼんやりしてません?」

「い、いや大丈夫。ちょっと考え事してただけ」

「だったらいいんすけど。無理しないでくださいね」


……と、最近の私はこういうことをしばしばやらかしてしまうのだ。


それもこれも全部綾が悪い。

あれだけ仕事命だった私をここまで腑抜けにしてしまうなんて。


「あ、全然関係ないんすけど、真下さんってデザイン課の桜木さんと仲いいんでしたっけ?」

「え? うん」


内心、ドキッとした。

ぼんやりしていた原因である綾の名前が突然出てきて、心を見透かされてしまったのかとありもしないことを思ったからだ。


でも、普段から綾の話題を振られることは珍しくない。

たぶん畠山くんも私をダシにして何か誘いをかけてくるに違いない。


と、思ってたら案の定だった。


「2人で飲みとか結構行きます?」

「んー、たまにかな。あの人お酒弱いから」

「俺も行っていいすか?」

「……何目的?」

「いや、ヤローとばっか飲んでてもアレなんで。たまには綺麗なお姉さんたちと飲みたいなーみたいな」

「無駄口叩いてるヒマがあったら仕事しなさい」

「え、ダメっすかー。仕事しまーす」


ーー


昼休み、会社の屋上。

最近は天気がいい時に綾と2人でここで過ごすことが多い。


心地よい秋風を浴びながら眺める街の景色は、その時の気分によってコロコロと様変わりする。


一昨日は仕事に疲れて澄んだ青空が淀んで見えた。

昨日は電線に止まる鳥たちの姿を見て心がほっこりした。


今日は道行くカップルを眺めてモヤっとしつつ、先ほどの畠山くんとの会話を綾に報告しながら一人で憤慨していた。


「……だってさ。絶対綾目的だよ。絶対許さない」

「あはは。微笑ましいじゃん。けど何故かいつも莉子経由でしかそういう話来ないよね?」

「みんな話しかけづらいんじゃない? 綾って一見孤高の人っぽいし」

「え、全然そんなことないのになぁ」

「いや、誤解させといたままの方がいいね。綾がホントはイモムシだなんて知られたら取り合いになっちゃう」

「……それ引っ張るなぁ。何年前の話?」


綾と私は、同期入社ながら所属部署が違うし、綾が人見知りなせいで他人に変な壁を作ってたから、入社から何ヶ月ものあいだ挨拶を交わすだけの間柄だった。


そんな私たちを仲良くさせたきっかけが、たまたま鉢合わせた女子トイレで床を這っていた小さな青虫だった。


それを見た時の綾の乱心っぷりは今思い出しても吹き出してしまう。


それまで綾に対して抱いていたクールなイメージは崩壊して、その後は綾を見かける度にからかいつつ、少しずつ打ち解けながら親友と言えるまでに仲良くなった。


まぁ、今はそれを飛び越えて恋人関係にまで発展してしまった訳だけど。


「ところで最近さ、ちょっと困ってるんだよね」

「ん? どうしたの?」


仕事をしていても趣味に没頭していても、頭の中の綾の姿が私の心の邪魔をする。


もちろんそんなの綾の責任じゃない。

私の頭が勝手に綾を思い浮かべるのが悪いのだ。


でも、私だけがこんな状態に陥ってるのだとしたら少し寂しい。


「仕事中に綾のことばっかり考えちゃってさ。近くにいたら触りたくなるし」


再び街の景色に視線を向けて綾の返事を待つ。

でも、綾は私の方を向いたまま何も言わない。


変なことを言ってしまったのかと急に不安になり、少し焦りながら綾の方を振り向いた。


「……え、もしかして引いた……?」

「いや、私も似たような症状が出てるからさ……」


お互い顔を見合わせたまま数秒が経過した。


何か言いたげな口元を見つめ、柵に乗せていた両腕を下ろす。


と、その時。

私たちの変な空気を打ち破るように予鈴が鳴った。


2人同時に屋上の出入り口の方を向き、ようやく口を開く。


「……あ、仕事戻らないとね」

「だね。……あ、莉子、土曜日ヒマ?」

「うん」

「じゃあ、行きたいとこあるんだ。付き合って」

「うん、分かった」


ーー


あの温泉旅行から1ヶ月。

11月も中旬を過ぎて、そろそろ日中も冷え込むようになってきた。


実はあれ以来、私たちはキスすら交わしていない。


2人で会う機会はこれまで通り頻繁にあったけど、お互い変に意識してしまっているのかそういう雰囲気になかなかならない。


「莉子、次の信号で右折だっけ?」

「うん。あとはしばらく道なりに行くと右手にあるよ」

「了解」


秋晴れの土曜日、午前8時半。

綾が行きたいという県立植物園を目指して国道を走っている。


「けどなんで植物園?」

「今度植物モチーフで作りたいものがあって。闇雲に調べてもよく分からないから実物見たくてさ。あそこなら珍しいのありそうだしね」

「なるほどね。やっぱり仕事か」


綾の運転する車は何度乗っても心地いい。

もともと綾は穏やかな性格だけど、それは運転する時も全然変わらない。


「ちょっと早く着くね」

「じゃあ開園までどこかで時間潰そっか」


歩行者や他の車への気遣いはもちろん忘れないし、駐車する時は狭い場所も縦列もお手の物。


運転に関しては全然文句ないんだけど、何故か綾は車にカーナビを付けようとしない。


「ねぇ綾、そろそろナビ付けないの? 私の古い車にすら付いてるよ?」

「え、だって莉子と出かける時は莉子がナビしてくれるしさ」

「別にお金ない訳じゃないんでしょ? 買いなよ」


会話を交わしながら、綾は途中で見つけたコンビニに車を停めた。


郊外のコンビニだからか、他にはあまり車は停まっていない。


「カーナビねぇ。いつか買おうとは思ってたんだけど、今はちょっと貯金しときたくてさ」

「……貯金? なに買うの?」

「家」

「えっ、家?」

「莉子と住む家」

「……えっ!?」


綾は助手席の私の顔を見てニコッと微笑む。

かと思うと、すぐに視線を逸らしてフッと吹き出した。


「いや、冗談」

「なんだ、冗談か……」

「でもさ、ゆくゆくは一緒に住みたいと思ってるんだ。私はね」


綾はシートベルトを外しながらさらっとそう言った。


実は、私も綾と同じことを考えていた。


これまでに付き合った相手とはあまり将来のことを考えたことがなかった私も、綾と付き合うことになってからは多少真面目になった。


たぶん私は付き合う相手に影響されやすい性格なのだ。


「……うん。私も漠然とは考えてたよ。だから私もそのための貯金してるし」

「そっか。嬉しいね」

「ちなみに、綾は貯金どれくらいある?」

「……んー、安いマンション買えるくらいはあるよ」

「えっ!? ……そうなんだ。スゴいなぁ。私はまだ車くらいだ……」


やっぱり綾はなんだかんだで真面目だ。

こういう堅実なところは見習わないといけない。


「まぁ実は学生の時から貯金してたんだよね。バイトでさ」

「けど学生のバイトなんて給料大したことないでしょ?」

「……んー、実はさ」

「ん?」


綾は少し躊躇うそぶりを見せながら左腕の腕時計を確認した。


それにつられて私も腕時計を見ると、既に開園時間の9時を少し過ぎていた。


「あ、もう植物園開いてるね」

「だね。飲み物でも買ってすぐ行こっか」

「……で、なに話そうとしたの?」

「いや実はさ、大学の時、夜の仕事やってたんだ」

「……えっ!? 綾が!?」


たぶん、今までにないくらい大げさに驚いてしまった。

綾は『やっぱりね』という顔でそのまま話を続けた。


「意外でしょ? あ、でもいかがわしいやつじゃないよ。母親の友だちがママさんやってるスナックで働いてた。母親と遊びに行った時にママさんに見初められちゃってさ」

「あ、綾が……?」

「うん。多い時は週3くらい出てたから給料も結構もらってたんだ」

「……へー。綾がねぇ……」

「口開いたままだね」


それはそうだ。

あんなに人見知りで真面目な綾がそんなバイトをしていたと知ったら誰でも驚く。


普段の綾を見慣れているから、どんな姿でどんな接客をしていたのか全然想像が付かない。


でも、この顔にこのスタイルならそういう格好が似合わない訳がない。


「……あ、その時の写真とかないの!?」

「ないよ」

「えー、見たいよ水商売のお姉ちゃん! 絶対似合うじゃん!」

「じゃあ今度再現しようか? ……なんてね」

「して! 絶対! あ、クリスマスの時とかどう?」


車を降りることすら忘れ、興奮気味に綾を急き立てる。

そんな私の様子に綾は若干引き気味だ。

でも、そんなことには構っていられない。


「……莉子、本気?」

「当たり前でしょ? お水の格好でシャンパン注いでもらうからね」

「じゃあ莉子はどうするの? 男装?」

「……似合わないよね。男装は綾の仕事だと思う」

「私どうすればいいのよ……」

「女装が見たいな。普段のスーツが男装寄りだからね」


ようやく話がひと段落して、2人でいそいそと車を降りた。


お客さんがあまりいない店内で綾が手に取ったペットボトルを奪い取り、そのまま自分が選んだものと一緒に会計を済ます。


「自分で買うのに」

「車出してもらってるからさ」


一応、恋人同士といえどもこういう気遣いは忘れないようにしている。


そういえばさっき、なんとなく流れでクリスマスの話題が出た時、実は今まで綾とクリスマスを一緒に過ごしたことがないっていうことをふと思い出した。


毎年今の時期になると一応話題には挙がるものの、どちらからも『その日に会おう』と言い出すことはなかった。


そもそも、去年の今頃の私たちは、まだ『仲のいい友だち同士』だった。だからクリスマスを一緒に過ごすっていう概念がなかったのもあるし、お互いなんとなくその日に会うのは避けてたような感じもあった。


去年はたしかこんな会話を交わしたと思う。


『そういえば来月クリスマスだね。綾は何か予定あるの?』

『ん? 特に。莉子は?』

『私も別に。家で慎ましくケーキ食べるくらいかな』

『だよねぇ。そういうイベントにこだわる柄でもないしね』

『ま、彼氏いない私たちには関係ないか』

『あはは、寂しいこと言うなぁ。ところで、この前莉子が言ってたCM、昨日初めて見たよ。あれ面白いね』

『あ、でしょ? 私あの俳優好きでさ、……』


という感じで、ちょっとその話題に触れる程度ですぐに別の話に切り替わった。これは去年だけじゃなくて、出会ってからずっとそうだった気がする。


だから、本人が言ってた通り、綾は『そういうイベントにこだわる柄じゃない』人なんだとずっと思ってた。


私は結構そういうイベントを楽しみたい方だから、付き合うことになった今年こそはと思い切って話題を切り出すことにした。


「植物園って意外と人少ないんだなぁ」

「あんまり賑わうイメージないしね。でも逆にその方が落ち着いて見れるよ」


駐車場で車を降りて、開かれた門に近付いた時、そこに置かれた黒板の立て看板がふと目に入った。


『クリスマス展』とチョークで書かれた立て看板は、赤と緑のリースで可愛く飾られている。


「あ、ねぇ綾、そういえば来月クリスマスなんだよね」

「あ、うん。どうする? どこか行きたいとこある?」

「……えっ!?」


拍子抜けするほどあっさりとそう言い放った綾にびっくりして、ちょっと大げさに反応してしまった。


それを見た綾が逆に驚いた顔で私を見る。


「え!? ……そういうつもりじゃなかった?」

「あ、違うの。綾はそういうイベント興味ないのかと思ってたから」

「……いや、興味ない訳じゃなくてさ」

「でも今までクリスマスの話題全然食いつかなかったでしょ?」

「それは……莉子に気持ちを悟らせたくなかったからだよ」


少し赤い顔をしてそっぽを向く綾。

こうやって照れる姿は何度見ても可愛らしい。


思いっきり恋人同士の会話だけど、それもあまり人がいないからこそできることだ。


「ホントは一緒に過ごしたかった?」

「……うん」

「素直だね。でも誘ってくれたら喜んで付き合ったのに」

「いや、去年までは片思いだったし、一緒に過ごしたところで虚しくなるだけな気がしてさ」


よく考えたら、見かけによらずロマンチストな綾がクリスマスという恋人同士のイベントを気にしないはずがない。


クールで真面目で、人との付き合いに冷めた人。

その印象が変わってから付き合うことになるまでの6年間も、綾が実はこんなに夢見る乙女だったなんてことは全然知らなかった。


付き合ってから初めて知ったことは他にも沢山あるけど、この先もきっとそれは増えていくんだと思う。


「じゃあさ、イブは綾の部屋に泊まっていい? 次の日仕事だからそのまま出勤すればいいし」

「うん、分かった。片付けとくよ」


入園チケットを買うために券売所へ向かうと、その付近にはまばらにお客さんがいた。


会話を続けつつ、どちらともなく声のボリュームを落とす。


「でさ、改めてお願いがあるんだけど」

「……ん? さっき言ってたお水の格好?」

「そう。ダメかな?」

「別にいいけどさ……。ホントに普段とイメージ違うと思うよ?」

「だから見たいんだよ。じゃあよろしくね。楽しみにしてるから」

「はいはい」


恋人同士の会話はそこで一旦封印して、私たちは順番待ちの家族連れの後ろに並んだ。


ーー


まずは綾の希望で熱帯ドームへ。


入り口の重たいドアを開いた瞬間、生温くて湿った空気が中から流れてきた。


「……わ、すごいね。すごいあったかい」

「熱帯植物の展示だからね」

「光熱費すごそう」

「……そこ気にする? でもこの規模だと確かにすごいだろうね」

「ラフレシアないのかな?」

「あったら私たちここには居られないでしょ……」


ドームの中は、ザ・熱帯と言わんばかりの背の高い植物がギッシリ展示されていた。


ドーム内全体が立体的な構造になってて、想像してたよりも展示方法が自然に近い。本当に熱帯のジャングルにいるような気分になる。


綾はさっそく仕事モードに入ったらしく、いつもみたいに一眼レフで真剣に写真を撮っている。


「案外写真撮影オッケーなんだねぇ。こういうとこってダメなんだと思ってた」

「だよね。ネットで調べたらオッケーだったからカメラ持って来たんだ」


律儀に植物の名前をメモしながら写真を撮っている綾の横で、私もスマホを取り出してチマチマと写真を撮る。


私が撮るのは小さくて可愛らしい植物。

綾は無差別にそこら中にレンズを向けている。


「何かイメージ湧いた?」

「うん。やっぱり実物見れるのは大きいね」

「熱帯の植物が見たかったの?」

「そう。夏に向けて何かそれっぽいの作りたくてさ。開発担当としてはどう? こういう素材で何か思い付かない?」

「……ここんとこ私より仕事熱心だよねぇ」

「なんか最近やる気があってさ。莉子のお陰かな」


メインの用事を済ませたあと、私たちは『クリスマス展』と題されたエリアで植物を観覧した。


定番のポインセチアやシクラメン、クリスマスローズなんかがフロアいっぱいに展示されている。葉っぱに斑が入った珍しい配合種なんかもあって見た目に楽しい。


「こういうの買おっか? 雰囲気出るよね」

「けどその後育てる自信ないな……」

「え、この色珍しいね。オレンジのシクラメンなんて初めて見た。すごい可愛い」


植物には全然詳しくないからよく分からないけど、シクラメンっていうと赤とか濃いピンク色ばっかりのイメージだったから、こういう色があるんだっていうことにちょっと感動した。


「莉子の色だね」


綾が横から急にそう言った。

人や物を色で例えるのは綾には珍しくなかったけど、私のことを言われたのはこれが初めてだ。


「え? 私?」

「うん。私の莉子のイメージそのままの色だよ」


綾の言葉を受けてもう一度オレンジのシクラメンを見直す。


上から下へ、淡いオレンジから透き通るような白にグラデーションがかかった沢山の花びら。


綺麗と見るか、可愛いと見るか、それは人それぞれだと思うけど、たぶん、誰がこれを見ても暖かい印象を受けると思う。


「綾ってさ……」

「ん?」

「ふふ、なんでもないよ」

「え、何? 気になる」

「口下手だよね、ホントに」

「え!? どういう意味?」


ーー


「……ねぇ、どうする? これから」

「ん? 莉子が行きたいとこあれば行くよ?」


植物園を出たあと、ホームセンターや園芸店で色んな植物を見て回った。


ファミレスで夕食を終えた時には、もう外は真っ暗になっていた。さすがに冬も近くなると日が落ちるのが早い。


綾の車の助手席に乗り込み、腕時計を確認する。


現在、午後7時過ぎ。

少し早い時間だとは思いつつも、綾がドアを閉めたのを確認して胸の内を伝えた。


「じゃあさ、休憩したいな」

「休憩? って、要するにラブなホテル……?」

「うん。イヤ?」


ファミレス駐車場の暗い車内で、運転席の綾の表情をうかがう。


たぶん綾は断らない。

それは雰囲気で分かった。


「いいんだけどさ、ラブホってどういうシステムなんだかイマイチ分からなくて……」

「入ったことないの?」

「いや……、これ話していいの? あんまりお互いの恋愛遍歴とか聞きたくないし話したくないんだけど」

「綾って変にロマンチストだよねぇ。そこがまたいいんだけどさ」


車を発進させた綾に道を指示して目的の場所へ向かう。


私の過去を知りたくないと言う綾自身も、私と同じでそれなりの経験はして来てるはず。


私は綾の過去を知りたい。

今の綾が私だけを想ってくれているのは分かるから。


「でも入社直後くらいはお互い彼氏いたよね? ほとんどそういう話したことなかったけど」

「うん。まぁ私は仕事が忙しくなって別れちゃったんだけどね。学生から社会人ってだいぶ環境変わるから難しいのかもね」

「同級生だったの?」

「彼が一つ年上だった。彼は大学院に進んだけど私は就職したから、……って、いや、あんまり思い出したくないな、やっぱり」


初めて聞く話を興味津々で聞いていると、綾は途中で話を切ってしまった。


でも、綾の気持ちが少し分かった気がする。

今までは漠然とした想像でしか元彼の存在を認識してなかったけど、直接聞いたことで具体的なことを妄想してしまって、少し胸が痛くなった。


それでも、やっぱり綾の過去は知りたい。


「え、聞きたい。そういう話聞いたことないし」

「……莉子は大人なのかなぁ。私は莉子の過去話なんて聞きたくないけどな」

「ヤキモチ?」

「だと思う。めんどくさい女だよね」

「全然。むしろ嬉しいよ。それだけ愛されてるってことだもん」

「……まぁ、ね」


ホテルに着いてからもその話題は続いていた。


2人で広いベッドに座り、綾の話にまた聞き入る。


「彼のことは両親にも紹介してたから、別れたこと話したら何故か母親が泣いてたな、そういえば」

「……あぁ、そういう経緯があるからお母さんがお見合い話持って来たのかな?」

「そうかもね。彼以降は誰とも付き合ってないから。まぁ心配させてるのは分かってるんだけどさ……」


もはやただの友だち同士の会話になっている。


ラブホテルのベッドの上で過去の恋人の話をするカップルなんて他にいるんだろうか。


「莉子は? そういう相手いた?」


綾が今度は私に話題を振ってきた。

その目が少し涙目になっている気がする。


「ん? 聞きたくないんじゃないの?」

「ん、まぁ、気にはなるんだよ。胸が痛くなるけど」

「じゃあちょっとだけ話そっか?」

「うん」

「私さ、たぶん綾が思ってるより軽いんだよね。将来のことまで考えるような相手は今までいなかったんだ」


綾が元恋人と真面目な付き合いをしていたと知り、変な劣等感が胸に広がっていた。


自分の過去を思い返しながら、元カレたちの顔を思い浮かべる。


「漠然と考えたことすらなかった。今さえ良ければいいみたいな感じで付き合ってたから」


みんな私のことを大切に思ってくれてたし、私も相手のことは好きだったけど、綾ほど深く想いを寄せた相手はいなかった。


「だから綾が初めてだよ。おばあちゃんになっても一緒にいたいと思った相手って」

「……え、そうなの?」

「ふふ。たぶん付き合ってなくてもそう思ってたよ。もう綾と離れるなんて考えられない。ずっと一緒にいてくれる?」

「……当たり前でしょ」


綾の両腕が私の肩に回る。


横から強く抱きしめられ、胸に広がっていたぼんやりとした不安が全部吹き飛ばされた。


「やっぱり話さなきゃ良かった。私は莉子がいれば他はどうでもいい……」


綾が言葉通りに私を想ってくれているのはその態度で十分過ぎるほど分かる。


嬉しさで気持ちが高ぶり、綾の身体を強く抱き返す。


「ねぇ綾、一緒にシャワー浴びようよ。お風呂広いから」

「……うん。でもなんか恥ずかしいな」

「今さら? 何回も温泉行ってるでしょ?」

「シチュエーションが違うしさ。なんかこう、あからさまに……」

「たまにはこういうのもいいでしょ? 雰囲気違って」


脱衣所のドアを閉めた瞬間、私の身体は綾に吸い寄せられた。


綾の胸元に顔をうずめて腰に腕を回す。


私の肩に回った腕が頭を包み込み、お互いの身体を更に引き寄せる。


「こんなに好きになった人初めてだよ、綾……」

「うん……私もだよ」


もう我慢の限界だった。

自分の指が勝手に綾のブラウスのボタンにかかる。


「……ん? 脱がすの?」


右手の指でボタンを下へと外していきながら、もう片方の手で服の上から胸に触れると、私の耳元で熱っぽい吐息が漏れた。


「待って莉子……。まだシャワー浴びてない」

「だって……。もう我慢できないよ……」


外したボタンの隙間から覗く肌に口づけたその時、強い力で腕を掴まれ、身体が引き込まれた。


強引に唇が重なる。

あの温泉旅行の夜と同じように、突然綾のスイッチが切り替わったのを感じた。


長い時間をかけて舌を絡め、唇に吸い付き、慈しむようにお互いの身体に触れ合う。


「好きだよ莉子……。ずっとそばにいて……」


綾が与えてくれる愛情に身体を任せ、私はそのまま理性を手放した。






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