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青とオレンジの記憶  作者: 春山 灘
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酒と記憶【莉子視点】

金曜日の今日、会社の同期のあやが私の部屋に来る。


……はずなんだけど、午後10時を回った今も綾からの連絡はない。


『その日は課の飲み会なんだけどさ、一次会で抜けるから、9時頃かな? それからだったら行けるよ』


おとといの夜、電話で誘った時に綾はそう言っていた。


それでもいいからって私が無理言ったんだから、多少連絡が遅くなったって文句は言えない。


せっかく急いで部屋片付けたのにな、と軽くため息をついたあと、テーブルにあるスマホを手に取ってベッドに寝転んだ。


暇つぶしのために、いつもやってるスマホゲームを開いてみる。

でもこういう時はやっぱり集中できない。


このあと、綾が来たら話さなきゃいけないことがある。


私がこんなことを伝えたら、綾はどんな反応を返すだろう。

考え始めたら胸のドキドキが止まらなくなった。


未だに着信のないスマホをまたテーブルに転がして、気持ちを落ち着けようと仰向のまま目をつぶった。


綾と私は、中堅雑貨メーカーで働く平凡な会社員。


私たちは6年前の同期入社組。

綾はデザイン課、私は商品開発課で所属は違う。


そのせいで、最初は全然接点がなかったから、今みたいに綾と仲良くなるまでには結構時間が掛かった。


綾はあんまり感情を表に出さない平穏な性格で、私はわりと口うるさく言っちゃうタイプ。


性格が全然違うから、時には些細なことでケンカになったりもするけど、そんな時も悪かった方がきちんと謝って仲直りする。


性格は違うけど、お互いに尊敬し合える貴重な関係。綾もきっと、そう思っているから私のそばにいてくれるんだと思う。


これだけ一緒にいても全く苦にならない人なんて他にはいない。それは友だちだけじゃなくて、昔の恋人も含めてだ。


私は、そんな綾をどうやら好きになってしまっていたらしい。3日前まで自分の気持ちに気付いてすらいなかった。


まさか自分が同性の人に恋していただなんて、今でもまだ信じられない。


ーー


「あぁ、莉子りこか。どうしたの?」

「綾、最近元気なくない? ずっと気になってたんだけど」

「……はは。莉子は私のこと良く見てくれてるんだね。普通気付かないよ、そんなの」


3日前、昼休みの会社の屋上。

最近食堂にあんまり来ない綾を探して、やっと見付けた場所がそこだった。


柵に両腕を置いて、少し冷たい秋風に当たりながら景色を眺めている姿が様になる。


綾はどちらかというとカッコいいタイプの美人で、男性からも女性からもモテる。

こんな人が自分と親友だっていうことがちょっと誇らしかった。


「……で、どうしたの? 話せないこと?」

「ん……。いや、まぁ要するに、私もう28でしょ? ここんとこ両親からの圧がひしひしと……」


綾の言葉に、少し胸が騒いだ。

そういえば、綾の口からこういう話題が出るのはずっと前から苦手だった。


「私は他に優先したいことがあるのにさ。なんか、そういうのが負担になっちゃって」

「……そっか。でも、そもそも綾は結婚願望あるの?」

「んー……、相手もいないのに結婚したいとか思わないでしょ」


そこで会話が途切れた。

何か言いたいのに言葉が出ない。


隣で綾と同じポーズを取って、晴れた青空を眺める。


「……いや、実はさ」


綾が低い声で切り出す。

顔を見ると、指先で前髪をいじっている。

これは綾が気まずい話をする時の癖だ。


「母親から、次の日曜に実家帰ってこいって言われてんだよね。あの口ぶりからして絶対男用意してる。考え方古すぎない?」

「……え?」

「だから憂鬱で仕方なくてさ。どうやって断ろうかってずっと考えてたんだ」

「でも、いい人だったら?」

「……どうだろうね。正直、どうしたらいいか分かんないわ」


綾は景色を眺めたままそう言った。


横顔を見つめながら、溢れる感情を必死で抑え込む。


その場で泣いてしまいそうだった。

でも、そんな姿は綾に見せられない。


「綾、ご飯ちゃんと食べた?」

「一応、コンビニでね」

「そっか。じゃあ、私そろそろ戻るね」


綾から顔を背けて、不自然にならないように立ち去ろうとした時、


「……あ、待って莉子」


と、綾が私を呼び止めた。

気付かれないように指先で目元を拭い、前髪で隠す。


「ん? なに?」

「あの……、莉子の方はどうなの? 結婚、したい?」

「……大切な人とならね」


ーー


その日の午後の仕事は全く身が入らなかった。


少しでも多くの仕事をこなすために毎日残業している私が、あの日は定時を迎えた瞬間にタイムカードを切った。


家に着くまでに考えていたのは綾のことだけ。


玄関のドアが閉じた瞬間、一気に気持ちが吹き出してきた。


綾を誰にも取られたくない。

私のそばにいて欲しい。

私だけ見てて欲しい。


これが恋じゃないなら一体何なのか教えて欲しい。


次の日曜、つまり明後日。

この日に綾は実家に帰ってお見合いをする。


綾は断るつもりだって言ってたけど、状況次第で気持ちが変わることだってある。


私はそれが不安で、このまま何も伝えずに結婚してしまうくらいなら……、って、綾が飲み会の日に無理を言って約束を取り付けた。


伝えて壊れてしまうのならその程度の友情。綾にとって私はその程度の存在でしかなかったってこと。


綾が結婚を望むのなら止めはしないし、形だけでも祝福するけど、望んでもいない結婚で体裁を取り繕うだけならやめて欲しい。それなら私と一緒にいて欲しいーー


いつの間にか涙が溢れていることに気付いた時、テーブルに投げたスマホから電話の着信音が鳴った。


午後11時過ぎ。

待ちわびていた綾からの電話だった。


ーー


『莉子、ごめん……』


電話口から聞こえた綾の声は、こんな短い言葉でも相当酔ってることがわかるくらいおぼつかなかった。


綾は見た目からは想像できないけど実はお酒が弱い。だからいつも飲み会の時はセーブしてるはずなのに。


「……綾、大丈夫? かなり酔ってるんじゃない?」

『いや……、酔ってない』

「誤魔化してもダメ。呂律回ってないじゃん」

『大丈夫、普通……』

「随分遅かったから心配したよ。どこにいるの?」

『ん……? 二次会の、カラオケの、どこか……?』

「……もう。二次会行かないって言ってたのに。待ってて、迎えに行くから」


ソファに置いてあるバッグを手に取り、アパートの駐車場に走る。


少し肌寒いけどそんなことには構っていられない。早く綾に会いたい。


でも、あんな様子じゃ、たぶん綾は1人で私の車まで歩いては来られない。誰かが綾を介抱しながら店を出てくると思う。


私が迎えに来たなんて知られたら、一体どんな顔をされるだろう。


……なんて、誰もそんなこと気にしないか。


綾への気持ちが友だちに対する気持ちを超えてしまっているから、それを知られたくなくて考え過ぎてしまうのだ。


「……あれ? お迎えって、真下ましたさん?」

「あはは……、お疲れ様です。同期がお世話になってます」


思った通り、綾は先輩の女性社員に身体を支えられながら店を出て来た。

こんな無防備な綾の姿を見たのは初めてだ。


「お疲れ様。珍しいわよね、桜木さくらぎさんがこんなに酔っ払うなんて。……でもあなたたち、ホントに仲がいいのねぇ。こんな時間にお迎えなんて」

「まぁ、腐れ縁みたいなものですね。お互い身近に家族もいないですし」

「彼氏も?」

「……え、いないって聞いてますけど……」

「ホントかしら。こんなに綺麗なのに」


疑われるのも仕方がない。

綾は目立つ容姿だし、普通に考えたら決まった相手がいないのは不自然かも知れない。


私たちは2人でいる時も全くそういう話はしない。

長い付き合いでそれが普通になってたから、たまにこういうことを言われると少し胸がざわつく。


「そういえば桜木さん、寝言で真下さんの名前呼んでたわよ。……もしかして、あなたが付き合ってたり?」

「い、いえ! 違いますよ!」


一瞬、ドキっとしてしまった。

なんで人前で私の名前なんか呼んでるんだろう、この人は。


「あはは、冗談よ。でも桜木さんだったら全然アリだと思うなぁ。……あ、早く連れて帰ってあげて。気を付けてね」

「はい、ありがとうございました」


ーー


「ほら、上がって」

「うん……。ごめん……ね」


力の抜け切った綾の身体をソファに寝かせ、上から毛布をかける。


見慣れたスーツ姿のはずなんだけど、見慣れない赤い顔と無防備な姿のせいでドキドキしてしまう。


私は、これからちゃんと綾に気持ちを伝えられるんだろうか。


その前に、こんな綾に伝えていいんだろうか。


「せっかく一緒に飲もうと思ってたのにな。もう飲まない方がいいね」


コンビニ袋に入ったお菓子はテーブルの横に置いたまま。一緒に買った缶ビールやカクテルは冷蔵庫に入れてある。


もし綾にフラれたら1人でヤケ酒するか、と息をついた時、綾がソファから身を起こそうとした。


「大丈夫だって……。追い酒……」

「ダメだって、死ぬよ? お酒弱いのに、なんでこんなになるまで飲んじゃったの?」


起こそうとした身体を押さえつけ、もう一度ソファに寝かせる。


すると、綾は目をつぶったまま「うーん……」と唸って黙ってしまった。


もしかしたら寝ちゃった?

と、思った時、綾がうわ言みたいに呟いた。


「……結婚、したくないよ……」

「……あぁ、それでか。よっぽど嫌なんだね」

「莉子と、一緒にいたい……」

「……え?」


意外な言葉に、一瞬思考が止まってしまった。


綾にとっては、結婚よりも私と一緒にいることの方が大事なんだろうか。本当にそうなんだとしたら、私の想いは綾に通じるのかも知れない。


玉砕覚悟だったけど、少しだけ希望が見えた気がした。


でも、経験から言うと、酔っ払いの言葉を真に受けると後で痛い目に遭う。


「……私、莉子と一緒にいるのが、一番楽しい……」

「……うん。私もそうだよ」

「結婚したら……、莉子と一緒に、いられなくなるよね……?」


私の腕を掴み、潤んだ目で訴えかけるように綾は言う。


やっぱり本気なんだろうか。

綾のこんな表情は見たことがない。


「……そんなことないでしょ? 友だちは友だちなんだから、ずっと続くよ」

「違う……。莉子は違うんだよ……」

「え、……どう違うの?」

「私が結婚したいのは、莉子なんだよ……」


酔っ払いの戯言か。

それとも本当に本気なのか。


でも、泥酔してたって、普通は思ってもないことを言ったりはしない。

少なくとも、綾はそういう人じゃない。


綾は人と馴れ合うのが苦手で、どこか他人と距離を置いている雰囲気がある。冗談らしい冗談もあんまり言わないし、それに、軽いスキンシップもしない。


綾は決して軽いノリでこんなことを言う人じゃない。


それは分かっているけど、それにしたってこの酔っ払い具合だ。私が今、胸の内を綾に伝えたとしても、綾がそれを覚えているかどうかも分からない。


「私……、ずっと莉子のことを……」

「ねぇ、綾」

「……ん?」

「今は、聞きたくない」

「……え?」

「酔ってない時にちゃんと伝えて欲しい」


私にしなだれかかって来そうな綾の肩を両手で押して、綾の目を見つめる。


「私も、綾に伝えたいことがあったの。綾が飲み会から帰って来たらちゃんと話すつもりだった」

「うん……?」

「でも、大切なことだから、今は話せない」

「いいよ、話して……?」

「だって、今話しても明日には忘れちゃってるでしょ? こんなに酔ってるし」

「……忘れないよ。何……?」

「ダメ。綾が素面の時にちゃんと話す」

「……莉子」


すると、綾が強引に私の身体を引き込んだ。

その勢いでバランスを崩し、ソファの上で身体が重なり合う。


綾の腕が力強く私を抱きしめた。

一瞬、息が止まった。


そして、耳元で綾が呟いた。


「好きだよ」


何秒かの間を置いて、涙が溢れてきた。

私が伝えるはずだった言葉を、まさか綾の方から聞かされるなんて。


だけど、こんなシチュエーションでこんな言葉は聞きたくなかった。


「……そう。ありがとう」


綾の身体を強く抱き返して、綾と同じように耳元で呟いた。


「聞かなかったことにするね」


ーー翌朝。


ベッドの上で、背中に体温を感じて目が覚めた。

後ろから回っている手が寝間着の中で私のお腹に触れている。


今までこんなふうに綾から抱きしめられたことなんてない。手を繋ぐなんてもってのほか。談笑しながら肩に軽く触れる程度のこともなかった。


だから綾はそういうのが嫌いなんだとずっと思っていたけど、昨夜のあの行動を見る限りではむしろ真逆。


どうして今まで我慢してたの? っていうくらい、昨日の綾は私に対して強引だった。


だけど、やっぱり酔っている状態でそういうことはして欲しくない。だから全力で綾を拒絶した。


もちろん嬉しくなかったと言えば嘘になる。

実は、拒絶し切れなくてキスだけは許してしまった。


あの感覚はまだ唇に残っている。

綾はきっと覚えていないんだろうけど。


綾の本心を知って嬉しい反面、複雑な気持ちも拭えなかった。


綾を起こさないよう、腰に回っている腕をそっと解く。


「……はぁ。明日か」


綾の寝顔を見ながらため息をつく。

私が気持ちを伝えれば、綾はお見合いの約束を断ってくれるかも知れない。


でも、あんなに酔うまで隠していた本心だ。本当は私に伝えるつもりはなかったのかも知れない。


酔いが冷めた綾が、果たして私の気持ちを受け入れてくれるかどうか。

そう考えるとやっぱり怖気付いてしまう。


「どうしようかな……」


静かに独り言を呟き、軽く頭を振って考えることをやめた。


それにしても、やっぱり綺麗な寝顔。

何度見ても飽きない。


昨夜そのまま寝ようとした綾の化粧をメイク落としで無理やり落としたけど、すっぴんでもここまで綺麗って、もう逆に詐欺だと思う。


まだ寝息を立てている綾をベッドに残し、音を立てないように部屋のドアを開ける。


綾が食べられるかどうか分からないけど、とりあえず綾のために朝食を作ることにした。


綾は、朝食はご飯派。

昨日綾がここに来る前に炊飯器をセットしておいたから、いい具合にご飯が炊けている。


おかずは味噌汁と野菜炒めと鮭の切り身。それと味付けのり。綾はこんな料理とも言えない料理でいつも喜んでくれる。


まな板の上で野菜を切り始めた時、寝室のドアがパタンと閉まる音がした。綾が起きたようだ。


少し待つと、どんよりした顔の綾が姿を見せた。


「……おはよう」

「あ、おはよう。もう起きたの?」

「うん……」

「……大丈夫? 具合悪い?」

「いや、……ごめん、色々と」

「ん? ……もしかして覚えてるの? 昨日のこと」

「……って、もしかして、私なにかした……?」


この顔は本当に覚えていない顔だ。

やっぱり話さなくて良かったと改めて思った。


「う、ううん、大丈夫。やっぱり記憶ないんだ。どこから覚えてないの?」

「はぁ、良かった……。一次会の店出てからかな。気が付いたら莉子の部屋で寝てた。だから莉子に迷惑かけたんだろうなって。会社の人にも……」


綾は「あー……、会社行きづらいなぁ……」と言いながら私の隣に立った。


少し見上げた位置にある横顔がいつも以上に綺麗に見えてドキドキしてしまう。


こんな寝癖まで付けて、会社用の顔とは別人みたいな気の抜けた顔してるのに。


「私のことは気にしないで。私が無理に誘ったんだし。とりあえず朝ごはん作ろうと思ったんだけど、食べられる?」

「あ、うん。ありがとう。手伝うよ」


ーー


「料理、いつも地味でごめんね。ホントはもう少し凝ったもの作りたいんだけど……」

「え、なに言ってんの。莉子の味噌汁最高だよ。こういうシンプルな方が私も好きだしさ」

「……そう?」

「うん。逆にいつもありがとね。今度またご飯食べに行こ」

「うん」

「やっぱり、私幸せだな」

「……ん?」

「こんなふうに過ごせる友だちがいて」


綾は昨夜のことなんて全然覚えていないような顔でそう言った。


少し、


いや違う。

かなり寂しい。


本心はどうあれ、やっぱり綾は私への気持ちをなかったことにしようとしている。


正直な気持ちを伝えてしまいたい。

今伝えなきゃ、綾はこのまま居なくなってしまう。


「綾、今日は時間ある?」

「……あー、もうちょっとしたら帰るよ。明日の準備しないと」

「あ、そっか。明日……」

「やっぱり、ちゃんと会ってみる」

「……え?」

「いや、両親も私を心配してやってくれてることだからさ。最初から断ろうとしないで、ちゃんと相手を見てから決めようと思って」


綾の言葉に胸を殴られた。

昨日までと言ってることが全然違う。


「……え、なんで? あんなに嫌がってたのに」

「んー……、まぁ、私もいつまでも1人じゃいられないしね」

「え、1人じゃないでしょ? 私がいるじゃん」

「莉子は大事な友だち、でしょ? ……ごめん、そろそろ帰るわ。色々ありがとね。今度お礼する」


綾は「ご馳走さま」と言い、食べ終えた食器を片付け始めた。


まるで私に話しかける隙を与えないようにしているみたいに、急いで片付けを終え、ハンガーに掛けたジャケットとバッグを手に取る。


「待って綾、送るよ」

「いや、寄るとこあるから。ありがとね。お邪魔しました」


呼び止めたくて仕方なかった。

でも、綾の空気がそうさせてくれなかった。


ーー


連絡したい。

でも邪魔しちゃいけない。

明日のことで緊張してるだろうから、今はそっとしておいた方がいい。


せっかくの休みなのに、やらなきゃいけないことも全然やる気が起きない。


本当だったら、今ごろ綾に気持ちを伝え終わってて、どう転んだとしても今よりはすっきりした気分で過ごしてたはず。


きっと綾のことだ。

私の気持ちに応えられなくたって、今までと変わらない付き合いを続けてくれたはず。


出会ってから今までの綾の言動を振り返ってみる。


綾はわりと私への好意は素直に口に出す方だけど、恋愛感情らしき雰囲気は全く感じたことがない。


それじゃあ、昨日のあの言動は何だったのか。


綾の本心が全く分からない。

昨日の出来事を持ち出して直接聞けばいいんだろうけど、もしかしたら思い出したくない記憶かも知れないから下手なことは言えない。


早く月曜になって、綾からお見合いの結果を聞きたい。


この悶々とした気分は、翌日の日曜も続いていた。


綾のお見合い当日。

昨日よりも胸が重苦しい。


現在、午後1時半。

今ごろ両家の顔合わせをしているんだろう。


さすがに昨日はなかなか寝付けなかった。

もし相手が綾の好みだったら、綾は私のことなんて忘れてその人に夢中になるかも知れない。


暗い部屋のベッドで、1人涙を流しながら眠くなるのを待った。


やっと眠れたと思ったら、綾の隣にスマートなイケメンが立っている夢を見てベッドから飛び起きた。


そして結局、ほとんど眠れないまま朝を迎えた。

具合が悪くてベッドから起き上がれない。


気を紛らわすために、日課になっている例のスマホゲームを開いてみても、楽しさも何も感じなくてすぐに閉じてしまう。


《お見合い 成功率》……なんてネットで検索してみたりして、もう自分は病気なんじゃないかってくらい綾のことばかり考えている。


そういえば、昨日の朝から何も食べていない。


さすがにこんなことで体調を崩してはいられない。


重い身体をベッドから起こし、とりあえず何か食べようと部屋のドアを開けた。


と、その時。

テーブルに置いたスマホから着信音が鳴った。


まさか、綾から?

いや、そんな都合のいいことはない。


と思ったら、その綾からの電話だった。

さすがにスマホをもう一度見直した。


「……どうしたの? 実家帰ってるんじゃないの?」

『いや実はさ……。急に体調崩して家で寝込んでたんだ。だから帰ってない』


体調が悪いことを気にかけるよりも、実家に帰ってないことにホッとした気持ちの方が先に出てきた。


人は恋をすると心が醜くなるものらしい。


「大丈夫? やっぱり飲み過ぎたんじゃない?」

『……かもね。ところで莉子、急なんだけど、これから会えない?』

「え? ……いいけど、体調は?」

『寝てたらだいぶ良くなった。そんなことより、莉子に話さなきゃいけないことがあるんだ。なんかこのままじゃいけない気がして……』


このままって、どのままだろう。

そんなことより、これから綾と会えるのか。


綾が何を話そうとしているのか、そんなことを考える前に気持ちが舞い上がっていた。


「……うん。どうする? 私がそっち行こうか?」

『いや、私が行く。ちょっと待ってて』


ーー


ドキドキしながら30分くらい待ち、インターホンが鳴った瞬間急いで玄関へ向かう。


ドアの向こうの綾は、いつもみたいにコンビニ袋を手に持っていた。

それを私に手渡しながら「お邪魔します」と一言。


何も買って来なくていいからって何度も言ってるのに、綾は毎回お菓子や飲み物を買って来る。

最近はもう言うのをやめた。


「実家の方は? 大丈夫そう?」

「まぁ、残念がってたけどね。さすがに親も体調不良じゃ何も言えないでしょ。また改めて、とか言ってたけど」

「やっぱり、お見合い相手……?」

「うん。私も心の準備しとかないとね」

「……そうだね」


「……でさ、莉子。一つ確認したいことがあるんだ」


綾は、ソファに座るなり、急に神妙な顔をして話を切り出した。


薄々思ってはいたけど、もしかしたら綾は、あの夜のことを覚えているのかも知れない。


「うん。なに?」

「一昨日の夜、私が泥酔してた時のこと」

「……っていうと?」

「記憶がないっていうのは嘘じゃないんだけど、おぼろげに覚えてる部分もあるっていうか……」


ああ、やっぱり。

でも、記憶が残っているなら、私が話そうとしたことも予想できるはずなんだけど。


私は綾の手の動きを目で追っていた。

さっきからずっと前髪をいじっている。


「私……さ、たぶんあの時、莉子に告白したよね?」

「うん。そうだね」

「あー、やっぱりそっか……。ホントはあんなこと言うつもりじゃなかったんだけど、酒は怖いね」


綾自身はこの癖のことは知らない。私が敢えて黙っているからだ。


変に伝えて直されてしまったら、綾の気持ちを知ることができなくなる。それが嫌だから。


「ごめん、あれ本音。だけど気にしないで。そのまま聞かなかったことにしてくれていいから」


なんとなく、線が一本に繋がった気がした。

綾は私の言葉を完全に誤解していたらしい。


『聞かなかったことにするね』


綾の暗い顔を見ながら、あの時自分が言った言葉を思い出す。


私が誤解させてしまったのだ。

あそこまで酔っていた綾が、話の筋を正確に理解できる訳なかったのに。


「ごめん、それはできない」


私がそう答えると、綾はがっくりうなだれて、今にも泣き出しそうな震え声で言葉を続けた。


「ほんと、なんであんなこと言っちゃったんだろ。今さら言っても仕方ないけど、すっごい後悔してる。壊れるのイヤだったから一生黙ってるつもりだったのに」


いつもの綾にはない、ちょっと早口。

もう完全に冷静さを失っている。


「莉子はどうしたい? 正直、そんなふうに見られてて気分良くないでしょ?」


どうやら綾は、私の気持ちには全く気付いていないらしい。


まぁ、気付いていたのなら、あんなふうに逃げ帰るようなことはしなかったはずだ。


「もう、強がるのやめなよ」

「……ん?」

「ほんとは私のこと好きで好きでしょうがないくせに。お酒であんなに人が変わっちゃうくらい我慢してたくせに……」

「え……? 莉子?」

「だったら最初から素直に言ってくれれば良かったんだよ」

「え、だって、なかったことにしたいんでしょ……?」

「違うって。私は綾があんな状態の時にそんなこと話して欲しくなかっただけ。そう言ったでしょ? そこは覚えてないの?」


すると綾は、『え?』という顔で私を見た。

その顔がなんだかおかしくて、綾を見ながら吹き出してしまった。


「まぁ無理もないか。あそこまで酔っ払ってた訳だしね」

「いや、実は、断片的にしか記憶がなくてさ……」


少し意地悪だけど、こんな綾を可愛いと思ってしまう。綾がこんなに感情を表に出す姿なんて滅多に見られるものじゃない。


「莉子に抱きついて好きだとか言ったところと、莉子が聞かなかったことにするって言ったところと……」


少しずつ元気がなくなっていく綾を見ながら、全部話したらどうなるんだろう? とイタズラしてみたくなった。


「そのあとはホントに記憶ない。だから、もしかしたら私、莉子に何かやらかしてないかと……」

「それは大丈夫。だって全力で拒否したもん。正直びっくりしたよ。綾があんなに腕力あるなんてさ」

「え……えっ?? やっぱり私、無理矢理……!?」


私が黙って頷くと、綾は顔を真っ赤にして慌て始めた。


予想通りの慌てっぷりに、心の中でついニヤニヤしてしまった。


これはさすがにキスしたことまでは話せない。たぶん、話したら卒倒してしまう。


「ご……ごめんホントに……! 私まるで男じゃん……!」

「まるで男だったよ。でもすぐ寝ちゃったから大丈夫。そのあとなんか私の身体もぞもぞしてたけど」

「う……。もう私、生きて行けない……」


そして、ついに両手で顔を隠してしまった。

もうさすがに可愛そうだからやめてあげよう。


「いいよ。今なら」

「え……?」

「したいんでしょ? キス」


綾はキョトンとして私の顔を見た。

これも初めて見る顔。可愛くて仕方がない。


そんな綾にわざと微笑み返して、その目をじっと見つめた。


「ん? それ以上がいい?」

「……い、いや。なんで? イヤじゃないの?」

「私も好きなんだよ。綾のこと」

「……え?」


私の言葉に、綾は頭を混乱させている様子。

何か言おうとしつつ、言葉が見つからないようだ。


「あの日無理言って来てもらったのも、その話をしたかったからなんだよ。だってライバルが現れそうだったんだもん」

「ライバルって……?」

「お見合い相手。何も伝えないまま話が進んじゃったら一生後悔すると思ったの。綾が結婚しちゃったら……」


そう言った時、向かいのソファに座っていた綾が立ち上がった。


私の横に座ったかと思うと、その腕が遠慮気味に私の身体に回った。


綾に抱きしめられたのはこれで2度目。

1度目は少し複雑な気持ちだったけど、今回は心から喜べる。


綾の身体をギュッと抱きしめると、綾も負けないくらいの力で私を抱きしめた。


「……キス、する?」

「いや、やめとく」

「なんで?」

「なんか、今はもったいない。片思い長かったからさ」


綾は私の頭を優しく撫でながら額にそっと口づけた。


少しもどかしいけど、愛情のこもった優しいキスがたまらなく嬉しい。


「綾、今度また温泉行こう。2人でゆっくり過ごしたいな」

「うん」

「でも、お酒は控えめにね」

「……はい。分かりました」


身体を離した隙に綾の顔を見ると、その顔はお酒を飲んだ時みたいに真っ赤になっていた。




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