81話
ベルベルクレープの味は、うん、おいしかったよ。
肉質は硬く、脂肪分が少なかった。ササミみたいな感じでさっぱりしているとも言える。値段相応と言ってしまえばそれまでだが、歯ごたえが良く食べ応えはあった。
味付けは塩コショウ……いや、胡椒ではなく独特の香辛料が使われている。それほど刺激性はなく、軽い香り付けの役目を果たしていた。そこに炒める際に使われたと思われる植物油の風味が加わり、シンプルながら奥深い味わいとなっている。
俺は町の正門付近で売られていた串焼きを思い出す。名前を聞く限り、このクレープと同じ肉が使われていたはずだ。あれはまだ食べていないが、匂いと見た目からだいたいの味の想像はできた。艶やかに光る飴色のソースは実に食欲をそそるコッテリとした香ばしい匂いを漂わせていた。きっと手間暇かけて仕込んだソースに違いない。
しかしだ。仮にあの串焼きをそのままこのクレープの上に乗せてみたとしよう。それは果たしてこのクレープの完成度を上げる結果をもたらすだろうか。否、俺はそうは思わない。
串焼きは串焼きとして完成した料理だったのだ。そこにクレープ、つまり薄焼き卵という要素を掛け合わせる必要はない。クレープという料理の主役は何だ。薄焼き卵か、それとも中の具か。俺は思う。どちらも主役だ。互いの良さを引き立てあってこそ、最高のポテンシャルを引き出せるのではないか。
あの串焼き肉では、残念ながらそれができない。コッテリソースの強すぎる主張が、クレープの存在を退かせてしまう。決して不味くはないだろうが、一歩及ばない。このあっさり塩味肉と薄焼き卵の相性には及ばないのだ。
さわやかで癖のない香辛料と、素材の味を引き立てる塩。その味付けを施された肉は、薄焼き卵の優しい甘みと非常にマッチしている。互いの良さを殺すことなく調和しているではないか。さらにその食感のコントラストも良い。ふわっとした卵生地と、がっしり歯ごたえのある肉。
「ふわっ、がしっ、ふわっ、がしっ……なんということだ、あの屋台の店主、ここまで計算した上でこの組み合わせを選んだというのか」
「早く食べろ! いつまでかかってるんだ!」
俺たちは公園のすみっこのベンチで食事を終えた。クレープはなかなかのボリュームだったので、一個で昼食として満足できる量だったと言える。
このベンチが設置された一角には生垣がある。その生垣を背にして、ベンチから公園の全体を見渡せるようになっている。屋台がいくつか並んでいるのが見える。食べ物の他にアクセサリーの露店みたいなのもあった。後で見に行こうか。後は公園の奥の方に、不自然に仕切られた幕のようなものが下げられているが、あれは何だろう。
ところで俺たちが腰かけているこのベンチ、背もたれがついていないタイプである。それ良いことに、俺たちはあえて生垣と向かい合うようにして座っている。つまり、公園内にいる人に背中を向けて壁を見ながらクレープを食べていたことになる。
怪しいのは重々承知だが、万一にもノワールの素顔が見られてはまずいので仕方がなかったのだ。仮面をはずさないと飲食ができないのは不便だな。旅をするとなると外食も多いだろうし、店の中で人目につかない部屋を毎回確保できる保障はない。物理的にも心理的にも、こそこそ隠れながら飯を食うのは限度があるだろう。なんとかしてやりたい問題だ。
「さあさあ皆さまお立会い! 演劇が始まるよー! 始まるよー!」
なにやら騒がしい声が聞こえる。演劇なんてのもあるのか。見れば、公園奥の謎の仕切り前に人が集まっている。どうやらあそこが演劇会場らしい。せっかくだから見てみよう。俺はノワールを連れてそちらへ向かう。
垂れ幕の入り口近くに演目が書かれた看板があった。なになに……『孤高の騎士アインザーク・狂気の蟲怪人を討て!』……おもしろ、そう? まあ見てみないことにはわからない。
見物料は35Gと書かれていた。ゴールド単位で言われても、どの通貨を出せばいいのかわからない。劇団員らしき人に聞いたところ、銅貨3枚と半銅貨1枚だと言われた。なるほど、銅貨が1枚10G、半銅貨が1枚5Gなのか。
財布の中に、真っ二つに切られたような半円形の硬貨がいっぱいあったからおかしいと思っていた。これもれっきとしたお金のようだ。硬貨の材質は四種類ある。金貨、銀貨、銅貨、そしてもう一つはたぶん鉄だろうか。銅と鉄はどっちの方が価値は上なのだろう。あと金貨は結構大きいのに、銀貨は小豆くらいの大きさしかない。半銀貨はさらにその半分だ。銀の価値が高いのだろうか。
お金を払って幕の中に入る。この垂れ幕だが、支柱にヒモを通して大きな布がくくりつけられているだけだった。布が足りなかったのか、ところどころ板でふさいでいる。本当に最低限、外から見えないようにするだけの仕切りでしかない。
中には小さな木の椅子がいくつも並べられていた。ここが観客席のようだ。前面には木で組まれた舞台がある。舞台袖は木の板で見えなくしてあるだけだ。ちょっと心配になってくる設備だが、見物料も安かったし、まあこのくらいが妥当なのかもしれない。
見物人は意外と子どもが多い。演劇は幅広い年齢層に親しまれているようだ。俺たちは適当な席に座った。




