8話
巨大蚊との戦闘に時間をかけすぎた俺は急いで今夜の寝床……寝れはしないのだが休める場所を探した。その途中で実がなった木を発見する。
これだけ広い森なのだから食べられそうな木の実くらいあるだろうと思い、これまで気がけて探していた。しかし、なかなか見つけられなかったのだ。鬱蒼とした密林の中、枝葉に紛れた小さな実を、モンスターから逃げながら探すというのは難しい。夕方の明かりが乏しくなっていく最中に見つけられたのは運が良かった。
だが、その実を手にとって思う。これは本当に食べられるのだろうか。拳より少し大きいくらいの青い球状をしている。形はリンゴに近い。そんな実が一つの木に十数個なっていた。なぜこれだけのまとまった数が残っているのか。他の動物たちは食べなかったのか。もしかしたら毒があるのかもしれない。
この青という色に毒々しさを感じる。いやでも、ブルーベリーみたいな味した巨大な実かもしれない。そう思ったら口の中に自然とツバがこみあげてくる。
迷いはした。だが、どうしても手放すことはできなかった。それほどまでに空腹は深刻だった。
もう三日何も食べていない。水も飲んでいない。おまけに不眠で森の中を行動し続けている。常人ならとっくに行き倒れているだろう。おそらく竜の生命力に助けられているのだ。
しかし、それは死なないというだけで飢えや乾きから逃れられるわけではない。ゆるやかに体力は削れつつあった。このまま食べ物と水を得ることができなければ、いずれ行動不能に陥るだろう。
もっと問題なのは腹の音だ。ドラゴンドラムなんておちゃらけた名前を付けたが、シャレにならない。この音で外敵を呼び寄せてしまう危険がある。一時的に気合いで抑え込むのが関の山と言ったところで、これを根本的に解決するにはやはり何かを食べる必要があった。
じきに夜になる。一晩中腹の音を響かせていてはさすがに気づかれるだろう。むしろ今まで巨大蚊以外の敵と接触していないのが不思議なくらいだ。そしてなるべく夜の戦闘は避けたかった。視界が閉ざされた状況では戦うことにも逃げることにも支障がでる。
色々と理由を考えたが、とどのつまり自分の中でこの木の実を食べるということはゆるぎない決定事項となっている気がした。毒がどうとかいう問題よりも、単純に食欲に抗えなかった。猛烈な飢えは思考を無駄に空回りさせ、冷静な判断力を奪う。考えているようで、何も考えていない。
まず一口食べてみようと思った。それで味に異常を感じたらすぐに吐き出そう。硬そうな青い果実の皮にかぶりつく。
ジャリッと予想外の音がした。噛むたびにジャリジャリと小気味いい音が鳴る。水気はなく、味すら全くない。まるっきり砂を食べている気分だ。かじった果実の内部を見ると、黒いゴマのような小さな粒がぎっしり詰まっていた。
はっきり言ってまずい。食えたものではない。
だが、なぜか口の中のものを吐き出せなかった。噛みつぶした砂を嚥下する。まるでそれが自然な動きであるかのように手が動き、持っていた果実に食らいつく。止まらない。あっと言う間に一つの実を食べきってしまった。
自分でもぞっとするくらい抵抗感というものが喪失している。まるで己を食わせるために誘引する毒が木の実の中に含まれていたのではないかと疑うくらい、無我夢中で食べていた。
そうではない。俺が食欲を抑えきれなかっただけだ。堰を切ったように次の果実へ手を伸ばす。食べる。粒状の、果肉だか種だかわからないような何かを飲むように食べた。
食べていると、日本で当たり前に口にしていた料理のことを思い出す。カレーライス、ハンバーガー、ピザ、ラーメン、おでん、白いご飯、味噌汁……なんで俺はこんな密林で砂袋みたいな木の実を食べているのだろう。ここに至るまでの経緯は理解していたが、問わずにはいられなかった。なんで、なんでと誰に対するものでもなく、問いかけながら号泣しながら食べ続けた。
結局、見つけうる限り全ての木の実を食べた。周囲はとっくに暗くなっていた。拳大の木の実を十個以上は食べたというのに空腹は癒えたようには感じなかった。ただ、腹の音だけは抑えられるようになったのは助かった。いつものように木の陰にしゃがみ込んで膝を抱える。
こんなひもじい思いをすることになった原因はファーヴニルにある。奴が俺をこの世界に召喚しなければなかったはずの苦痛だろう。少なからず憎く思うところはある。
しかし、奴が俺を召喚しければあの世界で俺はどうなっていたのだろうか。死んでそこで終わりだったのではないか。であれば、俺はまだ幸運なのかもしれない。なにせ生きているのだ。生きていなければ飢えも渇きも感じないのだ。
俺は幸運だと、自分に言い聞かせるように独り言をつぶやきながら長い夜を過ごした。
* * *
カツン
そんな甲高い音で俺は目を覚ました。
自分が眠っていたという事実に気づき、眠気は一気に吹っ飛んだ。やはり三日三晩不眠不休というのは無茶だった。自分ではそこまで眠気を感じていなかったが、それは強いストレスで感覚が麻痺していただけだったのだろう。現に寝落ちしてしまっていた。
慌てて辺りを警戒する。時間は早朝、日が昇り始める薄暗い頃合いだ。異常はないかと視線をさまよわせた俺の目に最初に映ったもの。それは一本の矢だった。
弓矢の矢だ。自然物ではありえない、人為的に作られた道具。鋭く尖った矢じりは、俺が背中を預けていた木の幹に突き刺さっている。座り込んでいた俺の頭上、数十センチの位置である。もう少し飛んでくる位置が低かったらヘッドショットが決まっていたはずだ。
背筋が凍りついた。何者かが俺を狙って攻撃をしかけている。すぐに立ち上がって逃げようとするが、敵がどちらの方向にいるのかわからない。むやみに動けばかえって状況が悪化するような気もするが、まさかこの場でじっとしているわけにもいかない。
少しの間、右往左往していたが、矢が飛んできたと思われる方向とは逆の方向へと逃走を開始した。