77話
チリンチリーン
授業終了の合図が鳴る。クロウさんが教師役を務めるのはここまでのようだ。色々と役に立つ知識を教えてもらえてよかった。みんなでお礼を言う。
「クロウさん、ありがとうございました!」
「運が良ければ……いえ、悪ければ他の町で会うこともあるでしょう。そのときは一緒にお酒でも飲みましょう」
「お前しつこいから、もう出て来なくていい」
クロウさんは無言で帰っていった。
それが終わると次は冒険者の基礎知識講座が行われた。異世界ならではのモンスター情報に期待を寄せていた俺だったが、予想を裏切る授業内容が展開される。
難しいのだ。正直、脳筋でも理解できるような噛み砕かれた内容だとばかり思っていた。専門用語がバンバン出てきてついていけないし、こちらが質問する暇もなくドンドン先に進んでいく。ちなみに先生は最初に出てきた体育教師だった。
素材剥ぎ取りのやり方など、黒板に緻密な魔物の解剖図が張り出され、皮から骨から臓器に至るまで事細かに構造の説明が行われた。俺たちを獣医にでもさせたいのか。初心者講習ではなかったのか。
もしかして俺がついていけないだけで、この世界の人たちにはこのレベルの授業が当たり前なのだろうか。そう思って周りを確認してみる。俺の隣のおじさんはデコを油分マシマシでテカらせながら必死にメモを取っていた。その懸命な努力を嘲笑うかのように、体育教師は黒板を小さな文字で埋め尽くし、そして書ききれなくなるや否や、次々に消し去っていく。
青年二人組は私語を慎み、まじめに授業を受けているように見える。慌てた様子もなく、見た目によらず意外と優秀な人たちだったのかと思われた。だが、休み時間に近づいて観察してみると、二人揃って椅子に座ったまま放心していた。静かに前を見つめたまま、ペンを握りしめ、微動だにしない。
二人のノートを見てみると、最初の方は頑張って全部書き写そうとした形跡がうかがえるが、次第に字が汚くなり解読が難しくなってくる。まるで古文書のような荒々しい殴り書きもついに途切れた。ノートの隅に、敬具のように小さく書かれた『ちんこ』の文字を見たとき、俺は彼らの精神が完全に破壊されてしまったのだと気づく。あまりの痛ましさに目頭が熱くなった。
俺も他人の心配をしているような立場にはない。授業内容が理解できない上に筆記用具すら持ってきていないのだ。具体的な知識が何一つ頭に残らないまま、嵐のような授業は終わった。
「マジであの角刈りふざけんなよ。受講料返せよマジで」
「まあ、スケアクロウ先輩の話は役に立ったから……」
お通夜ムードがただよう教室。だが、何の問題もない。俺にはアルターさんという最終兵器がついている。なんと、彼女はメモも一切取らずに授業内容を一言一句記憶してしまったという。
さすがにそれは冗談ではないかと俺も始めは疑ったが、試しに授業の一節を暗唱してもらったところ、正確に再現し切ったのだ。
「『えー、一般に草原地帯に生息していると思われがちなマンマルモチモチプニフワウサギだが、それは大きな間違いだ。えー、奴らは地下に大規模なトンネルを掘り、そこを住処とする。えー、この巣が地盤沈下を引き起こす原因にもなるため、発見次第早期の駆除が必要だ。えー、そして奴らは空を飛ぶ。えー、一日のうち二十三時間以上を上空高くに浮遊したまま過ごすと言われている。えー、弓矢でも届かない位置を飛行するため、その間は手出しができない。えー、遭遇時は先に飛行器官である尾を最優先に攻撃することが有効だ。えー、もっとも、この魔物は五十年以上前に絶滅したと学会で報告されており、今言ったことは特に覚える必要はない。ここ、テストに出るぞ』」
授業内容そのものを覚えていない俺にとって、果たしてその暗唱が正確だったのかどうかはよくわからないが、おそらく間違いない。
アルターさんは声まで体育教師に似せて暗唱していた。まるっきり男性の声を出している。まるで録音した音声をそのまま再生したかのような迫力だった。声帯模写というやつだろうか。多芸である。
アルターさんの高スペックに頼ってばかりで申し訳ない。しかし、俺もこの授業を通してちゃんと学んだこともあるのだ。それが「魔物」と「魔族」の違いである。
魔物とは、精霊活性化地帯の魔力干渉を受けて動物が変異した存在である。たとえば『夜噛蟲の森』のように、特定の精霊が強く影響を及ぼすパワースポットが世界各地にある。そういった場所に生息する動物は、この影響を受けて体の構造が変質してしまうのだと言う。
ただ、この変異は何十年何百年という歳月をかけてゆっくりと進行していくものらしい。そうした変異の上に特殊な生態系が成り立つのだ。だから、一日やそこら魔力干渉地帯に踏み込んだからといって人体の構造が作り変わるとか、そういうことはない。深部に近づきすぎると『精霊酔い』という体調不良を起こすことはあるらしいが。
「魔物」とは、動物を元にする変異体だ。それに対し、「魔族」は知的生命体の変異体である。知能があり、文化を持つ点が大きな違いだ。だから、見た目が思いっきり獣であったとしても、知的生命体なら魔族となる。
魔物にもピンからキリまで強さに違いがあるため、一概に魔族の方が強いと言うことはできないが、人間と同じ思考力を持ち合わせているという点はかなりの脅威である。ただ、魔族全てが人間と敵対しているわけではない。
たとえばエルフやドワーフはかなり人間と交流の深い魔族である。一方で、人間を憎んでいる種族もいる。ダークエルフであるノワールもそれに当たると言えるだろう。人間と関わること自体がない種族もいる。魔力干渉地帯の深部には未知の種族が多く存在すると予想されている。
まとめると、「魔物」はただのモンスター。「魔族」は人間以外の知的生命体である。まあ、人間の尺度から見た基準でしかない。魔族は自分のことを魔族だとは思っていないし、そう呼ばれると怒ることもあるので気をつけないといけないようだ。というか、その基準で言えば俺も魔族のうちに入る気がする。結構、人間やめてるところあるし……
……ちなみに、その魔族であるノワールの授業態度はどうだったかと言えば、こっくりこっくりと舟をこいでいた。たまに頭が机にぶつかりそうになって慌てて身を起こすが、すぐにまた舟をこぎ始めるという繰り返しである。
寝てても良かったと思うのだが、意外にまじめなのかもしれない。
>奴らは地下に大規模なトンネルを掘り、そこを住処とする
>一日のうち二十三時間以上を上空高くに浮遊したまま過ごすと言われている
>奴らは地下に大規模なトンネルを掘り、そこを住処とする(嫌がらせ)




