57話―一夜明けて
こうして町を荒らし回っていた魔族は、図らずも俺のゲロによって鎮圧された。
最初は焦った。イカスミパスタ君はあのファーブニルのウロコさえ溶かした劇物である。いくら敵とはいえ、そんなヤバい液体をぶっかけてしまった。
すぐに魔族の安否を確かめた。魔族の頭の上でうごめくパスタ君を払いのける。手の皮膚がヌルヌルになった。ドラゴンパワーで強化された皮膚すら溶かす強酸性。パイプユニッシュ代わりに使えば配管もろとも葬り去ってくれることだろう。
しかし、驚くべきことに魔族は無傷だった。魔族の防御力に感謝である。もし普通の人にぶっかけていたら一生モノのトラウマ体験間違いなしである。魔族は息をしていた。気絶しているだけのようだった。
そして次に悩んだのがドラゴン・ゲロの処理である。放置するわけにもいかない。邪神の眷属なら俺の言うことを聞いてくれないだろうかと試しに「解散!」と命令してみたところ、うごめくパスタたちは地面の中へもぐりこみ、どこかへ去っていった。もうやだ、深く考えたらSAN値が減る。
だが、パスタ君はいなくなったが、イカスミ君はまだ残っている。そのイカスミ君の発する激臭も健在である。こればかりはどうしようもない。メイド服の切れはしで拭いたところでどうにもならない。
俺が必死にこの状況に対する言い訳を考えていると、だんだんと人が集まってきた。町の兵士たちだ。そしてその中には思いがけない人がいた。アルターさんである。俺はついにこの長い半日を経てアルターさんと再会できた。その感動の再会はこんな感じ。
『ゴーダさん! 無事だったので……ピーーーー! 嗅覚センサーに異常が発生しました。機能を強制終了します』
『うぅおっ!? なんだこのにおい!? は、鼻が死ぬ……『永劫回帰』ォ!』
なんか知らない人もいたが、とにかく安心した。どこからか集まってきた兵士たちにより、倒れていた魔族は回収されていった。
『なんて奴だ、これが噂に聞くダークエルフの毒か……こんなものを大量にばらまかれたらと思うとぞっとするぜ』
兵士たちはこのバイオテロ現場を見て、魔族の自爆テロによるものだと勘違いしていた。俺は何も言わなかった。すまない、魔族……
俺はテロに巻き込まれて毒を飲まされ、瀕死の重傷を負わされた一般人として扱われた(口からイカスミを垂らしていたため)。担架に乗せられ、病院へと運ばれる。本当は動けたが、毒に苦しむ演技をしてごまかした。
実際、イカスミでボロボロにされた食道の痛みはすさまじく、声を発することもままならなかった。ファーブニル戦のときと同じである。病院で治療を受けたが、効くはずもなかった。
結局、その日の夜は病院のベッドの上で、逆流性食道炎の痛みにもがきながら過ごすことになる。高級ホテルで豪華ディナーを堪能することはできなかった。くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
そんな情けない俺のそばでずっと看病をしてくれたアルターさんには感謝の念が絶えない。臭かっただろうに顔色一つ変えず、ずっと俺の手を握っていてくれた。
そして現在、俺は一睡もできずに窓の外に昇る朝日を眺めていた。まあ、でも痛みはだいぶ軽くなっている。まだちょっと喉がいがらっぽいが。朝一番、お医者さんが回診にやって来た。
「なんという回復力だ。未知の毒物、それもあのダークエルフの毒を受けて立ち直るとは……何か特殊な血結技でも持っているのかね?」
診察を受けて、全快が確認された。今日中に退院の許可も出る。
ギュロロンギュロオン
そこでちょうど俺の腹時計が鳴った。アラーム設定を解除してなかったか。これは失敬。
「……食欲があることは良いことだ。朝食を持ってこさせよう」
朝食と聞いて期待を寄せていた俺の前に出された品は、オートミールだった。茶色く酸化したとろろ芋みたいなお粥、一品である。
「……おいしい……」
味付けはあっさりとした塩味。とても薄い。口に含んだ瞬間、麦の香りが自己主張する。だが、やさしい味わいだ。体の弱った人に負担をかけず、それでいて栄養満点。労わりの心が込められた料理である。
俺は無意識に、ホテルの豪華ディナーと病人食を比較していたことを恥じた。俺はオートミールの素朴な味わいを堪能し、豪華ディナーへの未練を断ち切った。
ごちそうさまをして食器を返却したところで、ふと違和感に気づく。何か忘れているような気がする。なんだろう、このもやもやした感覚は。何かをし忘れている。
「はっ、そういえばトイレに行ってない」
食べれば出す。飲めば出す。自然の摂理である。その当然の欲求がないのだ。召喚されてからもう数日が経過しているが、大どころか小すら出していないことに気づく。おかしいと思った。TS特有のトイレでどぎまぎするイベントを無視しているじゃないか。
が、全くその気が起こらない。大の方はお通じの事情で数日くらいの猶予はあるかもしれないが、そもそも腹が張っている感覚がない。俺が食ったものはどうなっているのか。昭和のアイドルじゃねえんだぞ。
小すら出て来る気配がないのはさすがに異常だ。こっちはそう長く我慢できるものではない。もしや俺の膀胱はドラゴン級の強度を実現してしまったのだろうか。
ある日突然、溜めに溜めた尿が一気に放出され、ウォーターカッターのような勢いで噴出するのではないか。小水で魔物を次々と切り捨てる姿を夢想する。
「この技はそうだな。『ドラゴン・シッコ』と命名しよう」
「おしっこですか。尿瓶のスタンバイは完了しています。どうぞここに。どうぞ」
ゲロと、茶色く変色したとろろ芋みたいなお粥と、小便の話しかしてないじゃないか!




