★42話
少しの油断もしたつもりはなかった。
協会のカウンター前で馬鹿みたいに垂れ流されていた闘気を見ればわかる。あの弓使いは間違いなく一流の使い手。闘いをふっかけたのも、単に冒険者としての先輩風を吹かせたかったからではない。諸事情あって、強者なればこそ奴の強さを計りたいと思うに至った。
試合のルールはありふれたスタンダードタイプ。何でもありの無制限。そこにハンデと言っていくつか条件をつけた。
しかし、私から譲歩したかのように見せかけたが、これは別にハンデではない。魔剣を使わないことは私にとってハンデにならない。むしろハンデだと思わせることで油断を誘おうとした。
また、弓使いと剣士の決闘において間合い100メートルと言うのは微妙な距離だ。実力者同士の闘いとしては短いと言える。私としては、向こうから追加の距離延長を要請されると想定してわざと短めに設定したつもりだったが、特に反対もなくすんなりとこちらの提案が通った。まあ、この練習場自体の広さの限界というのもあるが。
その余裕を敵の驕りと取るか、それを成せるだけの実力の現れと取るか。敵は一切、感情的になることはなく、静かな表情を維持していた。まるで精巧に作られた人形のように美しく、生物としての穢れを感じさせない。
ただ、その静けさの中にも獰猛さが見え隠れしている。まるで私の体を隅々まで舐めまわすように這わせる視線。そして時折見せる、挑発的な薄い微笑。一挙手一投足が観察されている。敵もまた、油断はしていない。
敵が矢をつがえ、弓を引く。そこに込められた闘気の練度に目を見張る。
『闘気』とは、体内の魔力を物理的な威力として体外に放つ魔技である。この威力の届く範囲は、体からそう離れたところまで伸ばせない。鍛錬を積んだ人間でも薄皮一枚届かせるのがせいぜいである。
ただし、例外もいくつかある。その一つが『威圧』だ。これは闘気を薄く延ばして空気中に発散する魔技。物理的な威力は失うが、殺気を感覚化し、敵を萎縮させる効果がある。
そして、『走気』。これは接触した場所に闘気を流し込み、対象に伝わせる技だ。これを応用し、闘気を武器や防具に纏わせる派生魔技もある。闘気でコーティングすることにより、その武具の性能や耐久力が一時的に向上する。使用の前提として、その武具を肉体の延長として使いこなせるまでなじませる必要があり、難易度は高い。
そしてさらに『走気』から発展した『投気』。これは武器に纏わせた闘気を、手から離した状態でも数秒間維持し続ける魔技だ。この域の魔技ともなれば、詠唱を必要としない基礎級の中でも最上位の難易度を誇る。実用レベルで使いこなせる人間は、ほんの一握りだろう。
この『投気』と飛び道具の組み合わせは凶悪な威力を発揮する。かつてとある王国では、この『投気』を習熟した弓兵隊“ムーンシェイド”を結成し、周辺国の情勢に多大な影響を与えた。百にも満たない弓兵によって多くの砦が陥落した。その脅威から国王はムーンシェイドの反乱を恐れ、自らこの部隊を取り潰したという逸話を残す。
一般に、優れた剣士と優れた弓使い、どちらが強いかと尋ねられれば普通は剣士と答えるだろう。剣士は剣に『走気』を施せる。弓使いも弓に『走気』を施し、弓の強度を高めて飛ばす矢の威力を高めることはできるが、矢自体に闘気を纏わせることはできない。そんな矢では『走気』で強化された防具を貫くことはできないからだ。無論、遠距離攻撃ができるということはそれだけで脅威であり、だから弓使いが剣士に劣ると言う気はない。
しかし、その弓使いが『投気』を使えるとなれば、まるで話は変わる。強化された“弓”から放たれる闘気の“矢”は雷のごとく空を裂き、ただの剣士などなすすべもなく貫き殺されることだろう。
「カカカ、カカカカ……」
予想通りだ。そうだと思った。この弓使い独特の蛇がまとわりつくような威圧。覚えがある。過去に二人、『投気』持ちの弓使いと闘ったことがある。そのうち一人は殺せたが、もう一人はどうあっても殺せなかった。近づくことさえできなかった。
あのときと同じ空気がそこにあった。目の前の少女が手に持つ弓には、矢には闘気がこもっている。ただの弓使いなら矢に闘気を込めるなんて無駄なことはしない。間違いなく『投気』の使い手。
「それでは試合――――開始ィッ!」
だが、あのときと今では明確な違いがある。過去に闘った恐るべき弓使いは雪積もる森の中を足跡一つ残さず自在に隠れ渡り、その所在を一切悟らせずに一方的な攻撃を仕掛けてきた。それに比べればどうということはない。敵は目と鼻の先に堂々と立っている。
逃げる様子はなかった。私が開始の合図と同時に駆けだしても動きはない。不動の砲台のごとく弓を引き絞り待ちうけるのみ。
確かに下手に動き回りながら矢を放つよりも、その場に留まる方が狙いも定めやすいだろう。しかし、弓使いにとって彼我の距離は、すなわち己の寿命に等しい。ましてたった100メートルの距離を目の前で縮められているというのに平然としている。
つまり、敵はこの一矢で決着をつけようとしている。その結論に至るのと、敵から強大な闘気の余波が立ちあがるのは同時だった。




