37話
ザコッカスは椅子に座ったまま大きく体をのけぞらせた。腰が抜けて立ち上がれないのか、それで逃げているつもりらしい。
「や、やめろ……! すぐに威圧を解けぇっ! わかっているのか、これは反逆だぞ! 奴隷が主人に逆らうなど、いや、領主である吾輩に危害を加えようとするなど! 極刑だ! い、今ならまだ許してやる……お前がつけているその首輪を、今一度よく見直すがいい! それがお前の身分だ!」
俺は自分の首につけられた、鋼鉄製の首輪に手をかける。少し力を入れると、キシキシと音を立てひしゃげた。ねじり切る。粘土のように両手でこねる。バラバラになった破片を床に叩きつける。
バァン!
床には、ショットガンでぶち抜かれたかのような銃痕が残った。
「……わかった……吾輩が、に、肉を……踏んでしまったのが、気に障ったのだな……ん? そうであろう……案ずるな。ま、まだ代わりの肉はいくらでもある! 全部お前にやろう! そうだ! コックに追加で料理を作らせよう! 最高級の肉料理をたらふく食わせてやる! だから、その振り上げた拳を下ろせ……やめろ! やめぶぐるああっ!?」
ザコの顔面にパンチをぶちこんだ。きりもみしながら椅子と一緒に吹き飛ぶザコ。そしてそのまま動かなくなる。
「ゴシュジンサマ、ソノヨウナトコロデ、オヤスミニナッテハ」
俺は倒れてしまった椅子をきちんと起こした。そして、寝転がるザコの体を優しく持ち上げ、椅子の上に座らせる。
「オメシモノガ、ヨゴレテシマイマス」
シワがよったザコの上着を手で正し、くっついた埃を払い取る。緩んだネクタイを締め直し、結び目の形を整える。
ザコと目があった。意識を失っていたのは、ほんの数秒だけだったらしい。鼻血を垂らし、歯をカタカタ鳴らしながら震える声をあげる。
「あ……りが、とぉ……」
感謝の言葉に、俺はニッコリと笑顔を返して答えた。テーブルの上のナプキンを取り、ザコの鼻血を丁寧に拭い取る。血で汚れた部分を内側に折り込み、ナプキンをザコの膝の上に乗せた。
そして拳を握りしめ、腕を引き絞る。
「ぁ……や、め……」
ザコの顔面に二発目のテレフォンパンチがぶちこまれた。きりもみしながら椅子と一緒に吹き飛ぶザコ。そしてそのまま動かなくなる。今度こそ意識を取り戻す様子はない。握りこぶしの指の間に、ザコの前歯が挟まっていた。捨てる。カラカラと音を立てて前歯が床の上を転がっていく。
「オレ、ニク、スキ。ニク、クウ」
そして俺は着席し、テーブルの上に残されたステーキをむさぼり食った。
* * *
「はっ!?」
ようやく俺が正気を取り戻したとき、全ては終わった後だった。ザコッカスは倒れ伏し、皿の上のステーキは一切れ残らずなくなっている。いったい誰がこんなことを!
ふざけている場合ではない。もはや取り返しのつかない事態に発展してしまった。すぐにザコッカスの容体を確認する。あーんザコ様が死んだ!
嘘です。幸いなことに死んではいない。気を失っているだけだ。
もしこんなところを他の誰かに見られたら一巻の終わりである。とにかくこのザコをなんとしないとまずい。部屋の中を物色した俺は、ザコッカスが用意したものと思われる緊縛調教セットを見つけた。俺に使う予定だったのだろう。ちょうどいい。意識を失っているうちにザコの体を縛り上げ、猿ぐつわをかませてクローゼットの中に放り込んだ。
完全に犯罪である。できれば完全犯罪にしたかった。言い逃れのしようもない。もうここまできたら逃げるしかない。サヨナラ!
部屋の外に出た。廊下には誰もいない。見張りの兵士とかいなくて良かった。ザコが人払いをしていたのかもしれない。
現在位置は建物の二階だった。窓から飛び降りてもこの体なら大丈夫そうだが、人目につく恐れがある。まずは一階に下りよう。階段を探す。
「次のシフトどこだっけ?」
「あー、確かキーグロ様の部屋の警護だろ?」
やっべ!? 前方から接近する人の気配を確認。すぐにどこかに隠れたいところだが、廊下には遮蔽物も何もない。慌てて近くの部屋の中に入った。ドアを閉め、ふぅとため息を吐く。
「何事です! ノックも無しに入室するとは!」
「うわぁ!?」
部屋の中に誰かいた。そりゃ当然、人がいる可能性も考慮しておくべきだった。
「ここがキーグロ様の寝室と知っての狼藉……なんですか、その下品な姿は!? メイドにあるまじき品性です!」
「も、申し訳ありません!」
必死に頭を下げながら、ミニスカから伸びる脚を手で隠す。部屋の中にいたのは、いかにも執事という感じの身なりをした、ピシッとした若い男だった。まずい、面倒なことになりそうだ。これなら廊下で兵士らしき人たちと、堂々とすれ違っていた方がまだマシだったかもしれない。
「……よい、どうせまたあの馬鹿息子が侍らすために持ち込んだ奴隷であろう。嘆かわしい。憐れみこそすれ、不作法を責めるほど私は狭量ではない」
「しかし、キーグロ様」
部屋の中には執事の他にもう一人いたようだ。ベッドの上に寝ていたから気づかなかった。こちらは老人の男性だろうか。声はしわがれ、覇気が感じられない。ようやく聞き取れるほどのかすれ声だった。




