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36話―人間をやめるとき

 

 「ぶひぃい~~! ぶひぶひぃ~!」

 

 「そら、どうした。自分が何者であるか、吾輩が教えた通りに言ってみろ」

 

 「はいっ! わたくしはザコッカス様の忠実なるペット! 淫乱雌豚でございますぅ!」

 

 「よーしよし、良く言えたな。ほれ、褒美の高級ステーキだ」

 

 「ありがとうございましゅううう! ガツガツムハムハ……おっほおおおおお!」

 

 「はははは! まるで本物の豚のような食いつきだ! とても人間とは思えん! いいぞ、もっと無様な姿をさらして見せろ!」

 

 俺はザコッカスの巧みな調教技術の前に陥落し、人間としての尊厳を奪われてしまった。

 

 そこらへんの詳しい経緯を、順を追って説明しよう。説明するまでもないと思うけど、一応説明しよう。

 

 * * *

 

 晴れて娼館からの脱出を果たした俺だったが、喜ぶ暇もなくザコッカスなる貴族の所有物となってしまった。実はこのザコ、噂の新領主様らしい。どうりで性格が悪そうなわけだ。

 

 顔面蒼白のマダムは、ドナドナされる俺に必死の形相で言い含めてきた。くれぐれも粗相のないようにと。たぶんそれ無理。でも、マダムには色々と迷惑をかけたしお世話になったので、「大丈夫だ問題ない」と答えて安心させてあげた。全然、安心してなかったけど。

 

 それからザコッカスと俺は馬車に乗って領主の屋敷に向かった。道すがらショッピングなども楽しんだ。と言っても、買ってもらえたのは宝石とか香水とかだったので、そこまで嬉しくなかった。まあ、もらえるものはもらっておく。後で金に換えよう。

 

 一応、相手は領主なので言葉づかいなどに気をつけつつ、ザコッカスが繰り出す自慢話を適当にヨイショしながらやり過ごした。やたらと血結技が使えることを自慢してきた。なんのことかさっぱりわからなかったが、とりあえずスゴーイヤバーイと返しておいた。

 

 屋敷に到着した後、服を着替えさせられる。用意されていたのはメイド服だった。でもなんかコスプレっぽいデザインだ。ミニスカートだし。こっちの世界にもこういうのはあるらしい。それを見て、踊り子衣装の露出度を思い知っていた俺はホッとしてしまった。だいぶ感性が狂ってきている。

 

 というか、よくちょうど俺の体に合うサイズのコスプレメイド服があったねとザコに尋ねたら、タバーンという商人からついさっき購入した品らしい。

 

 俺、そいつのこと知ってる気がする……

 

 そして、奴隷用の首輪なんてものまで用意されていた。ゴツイ金属製だ。鍵までついている。身分証の代わりになるらしい。奴隷とは言え領主の所有物ともなれば、それだけでただの奴隷とは格が違うそうだ。

 

 などなどいろいろあったが、ついにザコッカスによる恐ろしい調教が始まった。まずは食事でもと誘われ、招かれた部屋に用意された高級ステーキ。俺は1秒でステーキの虜になった。即堕ちだった。トロ顔で屈服した。そして今に至る。

 

 「ほれ、もっと尻を振ってみせろ! 豚のように鳴けぇ!」

 

 「ぶひっ! ぶひぶひっ!」

 

 このように非人間のごとき扱いを受けているというのに、俺はザコッカスに対して悪感情を抱いていなかった。むしろ、こんなうまいものをごちそうしてくれるのだから、このくらいの恥辱は受けて当然だとすら思える。まずい、完全に調教されつつある。こんなオッサンに屈してしまうというのか、くそ、くそぉ……!

 

 「ザコッカスさまぁ、お情けを~! お情けステーキをお恵みください~!」

 

 しかし、抵抗する心に対して体は正直だった。ミニスカメイド服姿で尻を振りながら土下座してステーキをねだる。羞恥心など犬に食わせた。いや、犬に食わせるくらいなら自分で食う。つまりもう消化されてなくなった。

 

 「いやしい豚め、そんなに餌が欲しいか。このぶっとい肉の塊が欲しいのか?」

 

 「ほしいですぅ~」

 

 ザコッカスが無造作にステーキの一切れを指でつまんで見せびらかす。表面にこんがりと焼き目がついていながら、中は程よく火が通ったミディアムレア。肉の柔らかさを引き出しつつも臭みを残さない絶妙な焼き加減。熟成されたソースと、あふれ出すにくぢるが混じり合い、今にもしずくとなって滴り落ちそうになっている。

 

 俺は犬のように舌を出し、ハッハッと息を荒げていた。パブロフの犬だった。唾液腺が爆発しそうだった。

 

 「あ、手が滑った」

 

 「ぶひっ!?」

 

 べちゃり

 

 ザコッカスが手を滑らせてステーキを落としてしまった。ステーキ様が床に胴体着陸を決める。

 

 「ぶひぶひぶひぶひぃ!」

 

 まだだ! 俺の中では3秒ルールが、いや1分ルールが適用される。床に落ちて1分以内の食べ物は、何の問題もなく食べられる! 1分が経過しても多少の問題はあれ食べられる!

 

 俺は四つん這いの状態で豚のように鼻を鳴らしながら、不時着したステーキ様の元へと駆け寄る。

 

 「あ、足が滑った」

 

 ぐしゃっ

 

 あと少しで愛しのステーキ様を頬張れると思ったそのとき、狙いをすましたかのようにザコッカスの足がステーキを踏みつぶした。

 

 「おお、これは気づかなかった。これではせっかくの高級な豚の餌が台無しだ。はははははは!」

 

 ザコッカスはぐりぐりと足を床に擦りつけるように踏みつける。そして足を上げた。ニチャアと粘つく音がして、靴と床の間に挟まれ変わり果てた姿となったステーキ様が姿を現した。俺はその亡骸を呆然と見つめる。

 

 「ぶ、ぶぶ……」

 

 「どうした? 声も出ないほど悲しいのか? かわいそうになあ!」

 

 「プギイイイイイイイイイィィィィィィィィイイイイイイィィィイィィィイイィィ!!」

 

 「なっ、なんだ!?」

 

 これより、ステーキ様殺害事件の公判を開始する。被告人、ザコッカス。検事及び裁判官、俺。

 

 「オレ、ニク、スキ。オマエ、ニク、イジメタ。オマエ、コロス」

 

 判決!

 死刑! 死刑! 死刑!

 


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