★35話
眼鏡をかけていた職員から向けられる敵対意思。それを感じ取ったのは私だけではない。近くの待合室に座っていた他の冒険者たちも威圧を感じ取ったようだ。
「はは、馬鹿なお嬢ちゃんだぜ。大方、ホソマさんの外見を侮って強気の態度に出たんだろうが……その程度で押されるような軟な人じゃねえよ」
「今でこそ協会職員をやっているが、その実力は元Cランク冒険者。二つ名を、『鮮血眼鏡のホソマ』。盗賊の集団を相手に単独でこれを撃退、その際にかけていた眼鏡が帰り血にまみれて真っ赤に染まったことからきた異名だ。真に恐ろしいのは、血で染まった眼鏡のせいで全く前が見えなかったというのに、それをはずさず闘い続けた技量……とんでもねえ威圧だぜ、体が震えてくる……」
やけに解説口調の冒険者たちがざわめき始める。ところで、なぜ私は闘気による威圧を受けているのだろうか。至ってまじめに不明な点を質問したに過ぎないのだが。
「ほう、私の闘気を前にしてその余裕、少しはできるようですね……だが私から言わせてもらえば、その油断こそが冒険者が陥りやすい最も危険な兆候。多少、周囲よりも力があるというだけで思いあがった冒険者が、身の丈に合わない依頼を受けて命を落とす。そんな人たちを何人も見てきました」
職員ははずしていた眼鏡をかけ直し、くいっと指でブリッジを押し上げる。なぜ一回、眼鏡をはずしたのだろうか。
「森の魔物の素材を集めてくる? あなたは、あの森の恐ろしさが何一つわかっていない。いいですか、あの『夜噛蟲の森』は国が定める一級危険地帯です。外縁部ならまだしも、そこから少し内部へと入ればBランク冒険者でも単独潜入は不可能でしょう。その深部は時精霊という特殊な精霊が集まる魔力干渉地帯となっており、その影響によって独自の進化を遂げた虫型魔物たちによる異常な生態系が形成され……」
「時間がないので、そういった話はまたの機会にお願いします。それよりも、私の質問に答えていただきたいのですが」
「……っ! てめぇ……」
職員がまた眼鏡をはずして威圧を飛ばしてくる。眼鏡の着脱と威圧の発動に、何らかの関係性があるのだろうか。
「あー、終わったなあの女。ホソマさんをあれだけ怒らせちまうなんて、命知らずにもほどがある」
「まあ、新人冒険者なら多かれ少なかれホソマさんによる洗礼を受けるものさ。あの人の新人しごきは通過儀礼みたいなもんだ。諦めるしかねえな」
職員から放たれる威圧からは、いつ交戦してもおかしくないほどの戦意を感じ取れるほどになっている。
「……たまにいるんだよなぁ、お前みたいな骨の髄まで自信過剰が染み付いた馬鹿がよぉ……だいたいその格好は何だ? 弓はともかく、防具は? 虫型魔物を色気で誘惑するつもりか? お前はサキュバスか? 俺がベッドの上で討伐してやろうか? あ?」
「質問に答えてください」
「聞けば何でも答えてもらえると思ってんのか!? その顔! 『私は何にも悪くありません。怒られる理由もわかりません』って顔してんなあ!? Cランク程度の依頼は余裕でこなせます、仮に失敗したとしても誰にも迷惑はかけませんってか! 違うね! もうお前の存在自体が俺たちにとってはこの上ない迷惑! お前みたいな冒険者の基本もわかっていない人間が、冒険者面して天下の往来をのさばっていることが既にして冒険者全体の品位を貶めることになると理解しろ!」
「冒険者の基本とは何ですか?」
「礼儀、作法、心構え! 腕が立てば何でも許されるわけじゃねえんだ! そういう人間としての下地を作るために、そしてそれを見定めるための仮冒険者試用期間だ! どんなカスみてぇな依頼だろうと全力で取り組む! コツコツコツコツコツコツゥ! 初心者は、そういう小さな積み重ねが一番大事なんだろうが! それが冒険者の基本! 冒険者の掟だ! わかったか!?」
「掟……それはルールですか?」
「ああそうだ! ルールだ! この程度のルールも守れないような人間に、冒険者を名乗る資格なんてない!」
ルール……ルールは守らなければならない。まずはFランク依頼をこなし、この職員の言う『冒険者の基本』を習得するまでそれを続けなければならない。それから今日中にEランクに昇格、ランクフリーの高額依頼をできる限り受けて……
「ま、そうだな! とりあえず一週間! 一週間、Fランク依頼をこなせ! Fランク依頼の報酬でも、木賃宿に泊まって食事を制限すれば生活できるだろ! 一週間後、俺が改めてお前の素質を見定めてやる! お前の冒険者としてのスタートはそこからだと思え!」
一週間、後……借金の返済予定期間を大幅に変更しなければならない。いや、それはできない。ゴーダさんは今日中に助ける。手段のために目的を変更することはできない。しかし、現状では30万ゴールドを1日で稼ぎだすことは困難。
30万ゴールド、稼げない、困難、不可能……?
「それはルールですか?」
「だからそうだっつてんだろ! お前が泣こうがわめこうが、絶対にこの決定は変えん! 協会職員にはその権限がある! 泥をすすって生きる暮らしを体験すれば、ちっとはお前もマシな根性が身につくだろ!」
「それはルールですか?」
「だから何度同じことを言わせれば、って、なんだぁ……? その闘気は? まさかとは思うが、俺に喧嘩を売る気か、ああ? おもしれぇ。いいぞ、お前みたいな口で言ってもわからねえ馬鹿にはちょうどいいかもな。現実ってやつを教えて……っ、な、お前……なかなかの闘気を……」
「それはルールですか?」
「……ちょ、なにその闘気……!? ありえなっ……い……いっ、いったん、お互いに、れ、冷静になろうじゃねえか……な? いや、なりませんか……?」
「ルール、ルール、ルール、ルール、ルールルールルールルールルールルールルールルールルール」
「ひぃいっ!?」
ゴーダさんを助けられない。イラつく。なぜだ。どうして。こんなにも『ルール』は私の邪魔をする。
母上に教わった。
『いい、アルターちゃん? あなたが“人間であることを望むなら”、人間の社会のルールは守らなければならない』
ルールを守らなければ私は人間でいられなくなるのだろうか。だが、そのせいでゴーダさんを助けることができないというのなら。
私はニンゲンでなくなってもいい。




