★33話
とっさにカウンターの下に隠していた得物に手を伸ばす。俺たちの商売に荒事は付き物だ。抜かりは無い。
しかし、俺の手が得物をつかむことはなかった。肩に、えぐりぬかれるような衝撃が走り、体がよろめく。利き腕の肩に、何かが刺さっていた。この女、暗器を隠し持っていやがったのか。
いや、違う。それはただのスプーンだった。うちの店で使っている何の変哲もないスプーン。その柄が深々と肉を貫き、関節を破壊するように骨まで達している。ただの木製スプーンが人体を破壊する光景の馬鹿馬鹿しさに乾いた笑いが漏れ出そうになる。
闘気を用いた投擲術。敵に殺気を悟られず、最小の動きで隠し持った小物を撃ち放つ。そんな暗殺者の妙技を風の噂に聞いたことがある。
この小娘は、俺の一瞬の疑念を見抜いて瞬く間に強化を済ませ、的確に急所を攻撃してきた。完全に予想を上回る実力である。しかも、そのこざかしい演技力と言い、暗器を使う手口と言い、常道の戦士ではない。まんまと見た目に騙された俺の間抜けさが、今となってはうらめしい。
「ちくしょうがッ!」
肩に走る激痛を叫ぶことでごまかす。どんなに体を鍛えた人間でも、痛みというものは我慢して無視できる感覚ではない。腕を一本潰された時点で、普通の人間なら戦意を喪失してなんらおかしくはない。
だが、その弱音を気合で弾く。俺も裏稼業に手を染めてきた人間だ。この程度の修羅場は過去にもくぐってきた。これほどの手練れを前にして、ここで隙を見せれば命はない。痛かろうが何だろうが耐えなければならない。
すぐさま無事な方の手で、近くにあった包丁を手に取る。武器としては全くもって頼りない。敵は飛び道具を使う。これをどうにかして防がなければ逃げることもままならない。狭いカウンターの中という場所も悪い。
唯一の救いはこちらの手勢が多いことか。店内には仲間が二人待機している。仕事がうまくいった景気づけにと酒を振舞い、駄弁らせておいて良かった。どちらもその腕には信頼のおける仲間だ。三人がかりで挑めば勝機はある。
「『確率算出』」
浅はかにも、そう思ってしまった。
少女の体から闘気の奔流が立ちあがる。その瞬間に、俺は悟った。
これは駄目だ。コレは、相手にしてはいけなかった。
突き刺さる殺意。紡がれる『写し言葉』。血結技がくる。それも普遍級ではない。奥義と呼ばれる魔道の到達点が。
幻視する。次の一撃で、俺の額に、脳に、スプーンの柄が突き刺さる。まるで、そうなることが確定しているかのように感じる。絶対によけられない。
「もう少し情報を引き出そうかと思いましたが……もういいです。殺します」
殺します。何の抑揚もなく言いきった。少女の顔は無表情だった。目元に残った涙の跡が、より一層、彼女の異常性を際立たせている。
これと似たような眼を見たことがある。俺がまだ村に暮らしていた頃、徴兵されて行った戦場で見た。敵軍が使い捨ての肉盾として戦奴を投入してきた。そいつらと同じ眼だ。戦争の道具となるべく洗脳されてきた、なんら人間性の芽生えていない空洞の眼。
「……たすけてくれ……」
命乞いの言葉がこぼれる。無意味だ。こういう眼をした連中には決して届かない言葉だ。情に訴えるとか、そういう理屈がまるで通じない。殺すと言えば殺す。何の曲解の余地もなく、それはそのままの意味なのだ。それでも口にせずにはいられなかった。
縫いつけられたように体が動かない。動いたとしても無駄だと本能が理解していた。後ろに控えている二人の仲間も動かない。なまじ武をかじった人間であるがゆえに、圧倒的な実力の差がわかってしまう。
「こ、こんなことをしてぇ……わかってるのかあ!? 人殺しだぞ! さつじん! すぐに兵士が飛んでくる! ゆるされない! ゆるされないんだこんなことはぁ!」
それでも生きたかった。肩に広がる激痛が、今では心地よくすら感じる。俺に残された、生きているという最後の実感だった。死にたくない。本能が肉体を諦めの境地に至らせようとも、口だけは勝手に動いた。
「ゆるされない……法律上、ゆるされない……!」
「それはルールですか?」
殺気が停滞した。少女は、いつでも抜き放てるように投擲体勢を維持しているが、さっきまでの叩きつけられるような死の気配は遠のいた気がした。
「それはルールですか?」
少女が質問を繰り返す。何かがこの娘の琴線に触れたのだと気づく。この好機を逃してはならない。
「そう、ルールだ! 人を殺してはいけない! 当たり前だ、そうだろう!?」
どの口がほざくのかという自覚はある。今まで散々、法律を無視して悪事を働いてきた人間が、自分が殺される番になるや法による保護を求めるのだから笑わせる。そしてもちろん、それを恥だと思うような繊細さなど俺は微塵も持ち合わせてはない。
「わかりました」
驚くほど素直に少女は構えを解いた。まだ威圧は続いているが、ひとまず最大の危機からは脱したと思われる。
なぜこの少女は殺意を取り下げたのだろうか。法に背くのが嫌だから? ならば、最初からこんな荒事を起こそうとは思わないはずだ。初めから俺を脅すことが目的だったのか? いや、あの殺意はどう見ても本気だった。間違いなく、俺は殺される寸前のところまで追い詰められていた。
何を考えているのか、さっぱり理解できない。
「借金の額はいくらですか?」
「は、え?」
「あの人にかけられた借金の額です」
「……30万ゴールドだ」
「それをこちらに持ってくれば、解放してもらえるのですね?」
「ああ……」
いつもなら、あの手この手で契約を取り付けて、相手が不利になるように立ちまわるところであったが、この少女に対して詐術を弄しようとは思わなかった。まるで心理が読めないのだ。読んだつもりになって喋った軽々しい一言が、いつ彼女の逆鱗に触れてしまうかわからない。またスイッチが切り替わるように殺されかけてはたまらない。
結局、少女は借金返済の約束を交わしただけで帰っていった。それを見送った俺はカウンターの椅子にへたり込んだ。一歩も動けないというくらいに疲弊していた。
あの少女は何者だったのだろう。そして彼女の連れの、俺が奴隷にした少女も何者だったのか。もしかしてあの娘は本当に名のある貴族のご令嬢で、さっきの奴はその護衛とかだったのだろうか。
手を出す相手を間違ったかと、本気で後悔してきた。訂正する。今日は良い日ではない。




