★32話
店に入る。中にいたのは三人。店主が一人、客らしき人物が二人。近くにあった他の飲食店数件は客足が多かったが、この店だけ閑散としていた。
「いらっ…しゃい」
一瞬、私を見た店主は言葉を詰まらせたが、すぐに何事もなかったかのように振舞った。カウンターの向こうで食器を片づけている。
「私と同じ服装をした女性がこの店に来ませんでしたか?」
「……いや、知らねえなぁ」
私の問いかけに対して、店主は知らないと答えた。しかし、その目線はわずかに泳いでいるように感じ取れた。
メモリから画像情報を抽出……解析中……
やはり0.01秒ほど、眼球が微細運動した時間を確認できた。しかし、それだけで嘘をついていると断定することはできない。脅迫して情報を引き出すか。
いや、ここは少し作戦を変えよう。森で魔物を誘い出すとき、闘気を放ってばかりいては獲物は寄りつかない。そういう時は、あえて自分を弱者であるかのように装うことで敵の警戒を引き下げる。
カメラ洗浄液を過剰放出します。
* * *
今日は良い日だ。気分が良い。
うちは表向き大衆食堂をやっているが、その裏でおおっぴらにできない商売に手を出してきた。裏組織への拠点提供、違法薬の売買、その他規制品の密輸取引、その中には奴隷も商品として含まれる。
奴隷と一口に行っても違法合法の違いがある。国から許可を得て、きちんと登録した奴隷を販売するだけなら真っ当な商売である。だが、それだけでは需要に対して供給が圧倒的に不足する。正規の奴隷は数が少なく、そしてべらぼうに高価だ。
だから、非正規の手段を用いて違法に奴隷を作り出す商売が成り立つのだ。
無論、違法奴隷取引が公の目にさらされることがあってはならない。だから金になるとわかっていても簡単に手を出せる商売ではない。物と違って人の取引は目立つ。もしそういった取引を手広くやろうと思うのならば、協力者が不可欠である。それも悪事をもみ消せるほど、とびきりの権力者の協力が。
時代の風向きは、まさに俺に向かって吹き始めている。以前の領主は民を守るための治世だなどと綺麗事をぬかす偽善者だったが、新領主は実に話のわかる男だ。あれこそ貴族のあるべき姿と言えるだろう。
現在、俺たちは新領主の支持を得て奴隷稼業に勤しんでいる。今日も一人、カモを売り飛ばすことができた。以前と比べればあくびが出るほど簡単に奴隷の調達ができてしまう。良い世の中になったものだ。
それにしても、あんな上等なカモがやすやすと手に入るとは、なんだか後が怖くなってくる。あの頭空っぽの大間抜けは何者だったのだろうか。その容姿と世間知らずっぷりから見て、どこかの国から亡命してきた貴族の令嬢だと言われてもうなずける。
まあ、本当に貴族の令嬢だったとしても、それはそれで使い道がある。何にしても良い稼ぎになった。惜しむらくは、事前に一人頭いくらで契約していたことだ。あの容姿なら交渉次第でもっと値を釣りあげられたはずだ。惜しいことをした。
そんなことを考えていると、客が入ってきた。表には閉店の看板を出しておいたはずなんだが。追い返そうとしたが、その客の格好を見て口をつぐむ。どう見ても、数時間前に売り飛ばしたあのカモの関係者だ。
「私と同じ服装をした女性がこの店に来ませんでしたか?」
毅然とした態度で、堂々と疑いの意思を込めて探りを入れて来る女を見て、俺は少し思案した。
実は、この女のことについて少し知っている。カモを釣るのに協力してもらったタバーンという男から話を聞いていたのだ。今回のターゲットは二人組で、どちらも見目麗しい少女だという話だった。
しかし、その片方はかなりの闘気の使い手らしい。二兎を追う者は一兎も得ず。下手に抵抗されて事を大きくはしたくなかったので、今回は無難に弱そうな方だけ狙うことにしたのだ。
さて、どうするかと頭の中で計算を巡らせる。安全を取るならここで白を切るに越したことはない。危ない橋を渡る必要はないのだ。まだ新領主体制も盤石ではないこの時期にドンパチやらかして悪目立ちしたくはない。商売仇につけ込まれる隙にもなりかねない。目の前の少女が前情報通りの使い手であればの話だが。
「うっ、ぐすっ……」
だが、予想外の事態が起きた。気丈に振舞っているかと思われた目の前の少女が、泣き始めたのだ。
「どうか、お願いします……ぐすっ……あの人は、私の大切な人なんです……何か知っていることがあれば、教えていただけませんか……」
悲嘆にくれながら涙を拭う少女の姿は、年相応の幼さを感じさせた。俺は少し深読みしすぎていたのかもしれない。
タバーンの情報を疑う気はない。おそらくこの娘は、それなりに戦い慣れしているのだろう。しかし、肉体的な強さと精神的な強さは必ずしも一致しないものだ。ましてやこの年頃の少女となれば多感な時期を迎えていることだろう。
いかにすぐれた戦士であろうと、人間、誰しも弱みがある。そこを少しついてやれば簡単に動揺してしまうものだ。
また、仮に抵抗されたとしても、見たところ相手の得物は弓だ。室内で取りまわしのきく武器ではない。何かあっても制圧は難しくないはずだ。
「……確かに来たよ。あんたと似た格好の娘が」
「本当ですかっ!? その人は今どこに」
「でもなあ、あいつは俺の店で食い逃げを働こうとしたんだ」
「そんなっ! あの人がそのようなことをするわけが……」
「そう言われても事実は事実だ。まあ、そこで本人にも納得してもらって、身売りすることで決着をつけたんだがよお」
「身売り……?」
少女が顔を青ざめさせる。よし、ここまで来たら後はたたみかける。相手が動揺してまともな思考ができない隙を狙って、一気に契約を取り付けたいところだ。
「借金奴隷だよ、借金奴隷。それで娼館に売っぱらった。今頃、どんな扱いを受けているのかねぇ」
「そんな……ひどい……うっ、うぅ……」
少女は顔を手で覆って泣き崩れる。こうやって一度、どん底の気分を味あわせるのだ。そして、そこにさも美味い話があるかのように持ちかける。
「まあ待ちな。そこまで思い詰められちゃ俺も放っておけねえ。別に借金奴隷っつっても、一生奴隷のまま抜け出せないってわけじゃない。要は借金さえ返済しちまえば自由の身ってわけだ。そこで俺に考えがあるんだが……」
ここからが大事なところだ。裏があると思わせないように都合よく相手を丸めこまなくてはならない。だが、これだけ動揺しているとなれば勢いで話を進めることも、
「……」
そこで俺は、少女から向けられる視線に気づいた。泣いているように見える。うつむき加減で涙をこぼしながらこちらを見上げている。嗚咽を必死にこらえている。
しかし、その目はガラス玉のように冷え切っていた。何十年と裏稼業を渡り歩き、悪事を嗅ぎわけた経験が、直感的に危険を知らせていた。ゾクリと背筋を駆け上がってくる悪寒。この女は“泣いていない”。




