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30話

 

 騒動は一段落したが、まだ娼館内には混乱が広がっている。ハーティは鼻を骨折して気絶、病院へ運ばれた。俺にも最後の理性は残っていたのか、痕が残るような傷にはならないようだ。マダムが止めに入ってくれなかったら危なかったけど。

 

 「まったく、私はいつから猛獣使いになっちまったんだろうね」

 

 もはや俺は一娼婦ではなく、魔物か何かのような扱いを受けた。多くの人に迷惑をかけてしまったことは謝りたい。特に、俺に良くしてくれたベロニカさんまで怖がらせてしまった。

 

 自分でも驚くくらい自制が効かなかった。自分のことをいくら貶されてもそこまで気にならなかったのに、食べ物を粗末にされた途端、怒りが爆発した。もちろん、前の世界ではこんなことはなかった。

 

 これもヨルムンガンドの影響なのだろうか。大陸全てを丸ごと食おうとした邪竜らしいし、食い意地が張っているのかもしれない。今後はこういうことがないように気をつけなければ。

 

 ハーティさんに対して行った制裁はさすがにやりすぎだったと思う。いくらなんでもスープをひっくり返しただけであそこまでの暴力を振るうのは罪罰のつり合いがとれない。でも、悪くは思うが謝罪する気はなかった。まだちょっと怒っている自分がいてやりきれない。

 

 現在はマダムと共に最初に通された部屋に来ていた。ここはマダムの書斎のようだ。インケも壁際に立っている。俺が暴れそうになったときは止めるようにマダムから言われているみたいだが、役に立たないと思う。

 

 「結論から言うと、あんたを娼婦にするのは無理だとわかった」

 

 書類の束に何かを書き込みながらマダムが俺に言う。思わずガッツポーズ。

 

 「何を勘違いしているんだい。別に自由になったわけじゃないよ。借金も残ったままだ」

 

 「え?」

 

 「あんたには剣闘場コロシアムに行ってもらう」

 

 マダム曰く、俺を剣闘士にするつもりらしい。剣闘士とは、剣闘場で興業戦闘をして見せる奴隷のことだ。その名の通り、魔物や他の剣闘士と闘う。それをお客さんが壇上から観戦するという。

 

 「娼館から剣闘場に人を送るなんて、普通なら悪逆非道も甚だしいところだが、あんたに限って言えば別だ。せいせいするよ」

 

 剣闘士とは奴隷である。死罪が確定した犯罪奴隷や、人間ではない被差別種族など、社会のどん底に落とされた者たちが集まる処刑場。大衆の見世物にされ、嫌々剣を取らされ、殺しあわされるのだ。

 

 「まあ、別に悪い話じゃない。あんたは借金奴隷だし、勝てば儲かる。娼婦なんかとは比べ物にならないくらいにね。どんな重犯罪人だって剣闘場で勝ち上がれば、金も地位も名声も自由だって得られる。ましてあんたはその強さにして、その美しさだ。たちまち剣闘場の花形になれることだろう。よかったねぇ」

 

 マダムがニコニコと笑っている。作り笑いであることは明白だ。その笑顔の裏に『何か文句でもあるかい?』と牽制してくる意図がうかがえる。

 

 しかし、俺にも自分の意見というものがある。

 

 「いや、それはちょっと……」

 

 スッとマダムの顔から笑顔がなくなり、恐ろしいくらいの無表情になる。あ、ヤバい。これマジギレしてる。

 

 「ちょっと? それはちょっと嫌です、とでも言うつもりかい」

 

 マダムが持っていたペンがへし折れた。その手に薄らと闘気をまとっているのがわかる。マダムの表情は般若のように怒りをあらわにしている。

 

 「娼婦も嫌、剣闘士も嫌、それでどうやって借金を返すつもりだい? 私がどれだけあんたのために伝手を回って奔走したと思っている……私の大切な娼館の中で好き放題暴れ! 娼婦たちを脅し! メンツを潰し! 稼ぎ頭は入院! 頭の血管がブチ切れてポックリいっちまいそうだよッ!」

 

 「お、落ちついて、お体に障ります……」

 

 「いくら強いと言っても、あんたはただ一人の人間だ! 社会から切り離されて生きていけるわけもなし、何でも自分の思い通りになると思ったら大間違い…」

 

 「し、失礼します!」

 

 マダムの大目玉真っ最中の書斎に空気を読まない遮りが入った。俺にとっては助け舟だ。少女がドアを開けて室内に入ってくる。

 

 「ノックをおし! 今は取り込み中だよ!」

 

 「ノックしました! 火急の用件でして! お客様がお見えになっております!」

 

 怒鳴るマダムに対して少女もおっかなびっくりながら声を張り上げる。この凄まじい剣幕を放つマダムを前にして、後回しにできないほどの客らしい。

 

 「何を騒いでいる」

 

 そしてその客は自ら書斎へとやってきた。ドアを開けて入って来た男は位の高そうな服装をしていた。マントを羽織っていて、いかにも貴族っぽい。ヒゲもカイゼル髭で貴族っぽい。

 

 「こ、これはザコッカス様!」

 

 「ぷっ」

 

 笑わせるなよ。なんか女性陣と比べて野郎たちの名前が適当すぎないか? 覚えやすくはあるけど。

 

 幸いにして笑ったことは気づかれなかったようだ。なんかインケまで直角に腰を曲げてお辞儀しているし、とりあえず俺もお辞儀しておく。

 

 「お出迎えできずに申し訳ありません。本日はどのようなご用件でしょうか」

 

 「私が懇意にしている御用商人のタバーンから話を聞いてな。なんでも今日、一国の姫君もかくやと言わんばかりの見目麗しい女がここに入ったそうではないか。……ん? もしや、その娘か?」

 

 ヤバい、貴族がめっちゃこっち見てる。お辞儀でやり過ごそう。

 

 「そうかしこまることはない。面を上げよ」

 

 そう言われては頭を下げたままでいるのも失礼だ。仕方なく顔を上げる。

 

 「おお……聞きしに勝る美貌ではないか! ……うむ、決めた。この娘をもらい受ける」

 

 「お待ちください!」

 

 それはちょっと嫌です、と言いかけたところで、マダムが俺と貴族の間に割って入ってきた。まさかマダム、俺のために体を張って……!?

 

 「何か問題でも?」

 

 不機嫌そうに視線を移した貴族に対して、マダムは平身低頭で対応する。

 

 「恐れながら申し上げます。この娘は容姿こそ優れていますが、中身は殿方のお相手を任せられるような出来ではございません。それどころか猛獣のような気性で、闘気を用いて当館の娼婦に暴行を働いております。ほとほと手に余り、剣闘士として厄介払いするところでございました。なにとぞ、お考え直しのほどを……」

 

 ボロクソに言われた。事実だけど。よく考えたら、これで俺がこの貴族のところに行って無礼を働いたら、それを紹介したマダムの責任問題にもなるのか。だから必死で貴族を止めようとしているわけだ。俺に対する思いやりなどない。

 

 「そこのインケをもってしても抑えきれぬほどの強さなのか?」

 

 「あやつ程度では全く敵いません。まさに猛獣、いえドラゴンのような気性でございます」

 

 「ほう……ならば良し! そこまで腕が立つというのならばなお欲しい。我が親衛隊として抱えてやろう。ちょうど男ばかりでむさくるしいと思っていたところであった。一人くらい性処理要員を加え入れておくのもいい」

 

 「お、お待ちください! そのような生易しい娘では」

 

 「案ずるな。少しくらい荒々しい方が調教のしがいがあるというものよ。吾輩が直々に手ほどきをしてやろう……フフ……お前も吾輩の勇名は知っておろう。我がモブーン家に伝わる血結技をもってすれば、たかが娘一人、容易に御せる。それともまだ何か、不満を申すか……?」

 

 「め、滅相もございません!」

 

 マダムが言いくるめられてしまう。結局、このおじさんは誰なんだよ。この貴族っぽいおじさんの性奴隷にされそうな展開である。断固拒否する。

 

 「俺は絶対行きませんからねぇ!」

 

 「これ! ザコッカス様に向かってなんて口のきき方を!」

 

 「よいよい、威勢が良いのも悪くない。しかし、そう警戒する必要はないぞ? 吾輩と一緒に来れば、こんな場末では一生体験できないような贅沢をさせてやろう。何か欲しい物はないか? 言ってみるがいい」

 

 欲しい物なんて。欲しい物、なんて……

 

 「高級ステーキとか食べられますかね?」

 

 「いくらでも」

 

 俺はガッシリと、貴族のおじさんと硬い握手を交わした。マダムは卒倒した。

 


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