3話
『フアハハッ! 人間の姿となったヨルムンガンドなど恐るるに足らん! それでいで奴の魔力をも内包しているというのだから、もはや恰好の餌というべきか。食ろうて我が血肉としてやろう!』
一瞬のうちに視界が真っ暗に染まる。生温かい肉壁の感触が全身に及んでから、ようやく竜の口の中にいるのだとわかった。当然、身動きは取れない。プレス機のように身体が押しつぶされる。
もう早く殺してくれという感情しかなかった。痛いのは嫌だ。せめて、ひと思いに絶命させてほしい。鋭く尖った大岩のような歯が脚に食い込む。悲鳴をあげたいが、この密閉空間では息すら満足にできない。次は腹に抉りこむように硬い何かが突き刺さる感覚。腕、頭、全身が無造作にすり潰されていく。
何度も、何度も、何度も……
『ぐっ、なんだこれは……グニグニとしおって、噛みにくいぞ……』
おい! ふざけんなその弄ぶように口の中で転がすのをやめろ!
わざとこちらを痛めつけようとしているのか一向に致命傷を与えてこない。まるで口の中でサクランボのへたを結ぶような器用さでジワジワと追い詰めてくる。
あまりにもその拷問に時間をかけるものだから、召喚される前いた世界で受けたトラウマが蘇る。空き巣に何度も包丁で刺された記憶と痛み。何度も咀嚼される今の状況と似ていると言えなくもない。恐怖と同時に新たな感情が沸き起こる。理不尽に対する憤りだ。
つーか、マジで痛いんだよ!
すぐに終わると思っていた痛みだからこそなすがままにされていたが、いい加減我慢の限界だった。下手するとこのまま窒息死するまで続きそうな拷問に、無駄だとわかりながらも前面の肉壁に抗議のパンチを放つ。
『グボッ!?』
しかし、予想外なことに咀嚼する動きが止まった。もしかしてあれか、防御力が高い系の魔物にありがちな体内からの攻撃に弱い設定。これはワンチャンあるで。
また咀嚼が再開されてはたまらないと、死に物狂いで暴れた。舌だろうが歯茎だろうが、とにかく蹴りつけ、殴りつける。
『オブオボッ!!』
身体にかかる急激な圧力とともに吹き飛ばされた。口内から脱出できたのだ。勢いよく地面に叩きつけられる。ぜえぜえと荒い息をたてながら、痛む身体をなんとか立ち上がらせる。
『き、貴様なにをしたぁ!?』
質問に応える余裕などなかった。わき目も振らず、ドラゴンに背を向けて逃げる。逃げられるはずはないと頭で理解しながらも動かずにはいられない。またあの口の中に戻るなんて絶対に嫌だ。一秒でも早くこの場所から離れたかった。どこに逃げるとか、どうやって逃げ切るとか、そんな算段はない。助かりたいとかそんな思いよりも無様な現実逃避だった。
大怪我を負っているはずなのだが、火事場の馬鹿力でも働いているのか、走り出すことができた。
『この虫けらめが!』
急に周囲が暗くなったかと思うと、轟音とともに次の瞬間には視界が閉ざされ、全身が硬い感触の中にめり込んだ。重力のかかる方向が一気に変わるような感覚に戸惑いながら顔をあげると、どうやら寝そべる形で身体が地面にめり込んでいる。ギャグ漫画で高所から落ちた人間が型をくりぬいたような跡を残して地面にうずもれる感じ。
見上げるとそこには片足を大きくあげた竜がいた。すさまじい勢いで巨大な足が俺の上に降ってくる。
『このっ、このっ、このっ!』
衝撃が全身を駆け巡る。踏みつけられているのだ。重機が空か降ってきて押しつぶされるくらいの破壊力はあるだろうストンピングを何度も繰り出される。
普通なら死ぬ。死なない方がおかしい。だというのに俺はこのとき、恐怖よりも困惑する気持ちの方が優っていた。そう、いまだに死んでいないのだ。
むしろ、口内で咀嚼されていたときの方が百倍は痛かった。確かに背中を殴りつけられるような痛みはあるのだが、それだけだ。圧死することもなく平然としていられるのは明らかに異常である。
しばらく地団太を踏むように暴れていたドラゴンは、ようやく攻撃を止めた。よし、死んだふりだ。俺はスリッパで叩き殺されたゴキブリのごとく地にひれ伏す。
『くそったれが! なぜ死なん!? その耐久力は何なんだ!』
死んだふりは速効で見破られたが、向こうもかなり動揺しているみたいだ。なんであれだけの攻撃を受けて無事でいられるのか、俺自身知りたいところだ。
『まさか呪いが失敗したとでもいうのか……ヨルムンガンドの力を完全に封印することができなかったと……おのれえ!』
ドラゴンの手の上に光る魔法陣のようなものが現れた。その中心に大きな白い炎が灯る。たぶん、魔法だ。初めて異世界で見た魔法チックな魔法だが、感動している暇はない。まさにその威力が俺に向かって放たれた。
ドラゴンが手を一振りすると、こぼれおちた炎が油の上を這うように地上を侵食していく。あっという間に付近一帯が火の海と化す。
「アチャチャチャア!?」
そのただなかに取り残された俺が無事で済むわけがない。生きたまま鍋に放り込まれたエビのように飛び跳ねながら走り出す。
『逃がすか!』
ドラゴンが叫ぶと、新たな魔法が俺の行く手を阻む。細いレーザー光線が四方八方から俺を取り囲むように伸びてくる。それは光線ではなく糸だった。それ自体に攻撃性はないものの、非情に切れにくい。ナイロンテグスくらいの強度はある。両手でなんとか引きちぎることはできるが、それが無数に絡まってきているのだ。一本一本ちぎっているうちに丸焼きにされしまう。
いっそのことスッパリ死ねるのなら諦めもついたのだろうが、トロ火であぶられるようにジワジワ焼かれてはたまったものではない。燃え盛ってはいるがこの炎、見た目ほど熱くはないのだ。いや、実際にはものすごい温度があるのかもしれない。さっきまで近くに生えていた木が跡かたもなく消失している。ということは、この身体の耐久力に救われているのだろう。
『我が至高の魔法を受けてまだ耐えるか!』
まずい、このままではいくらこの身体でもいつかは力尽きて焼死する。それまで黙って手をこまねいているつもりはなかった。どうにかする方法を考えないと。