12話
屋内から幼体Gは全て出払ったようだ。成体はいなかった。本当に良かったと言うより他にない。
「建物の損壊によって魔物避けの結界も機能しなくっているのです」
本来は巨大昆虫どもが近づかないように魔法的な措置によって忌避効果のある結界が張られていたらしい。結構な数が侵入していたが中は荒らされているのではないだろうか。
そう思ったのだが、意外と散らかされた形跡はなかった。一安心である。
ドゥギュオッ!
やべ、安心したら腹が鳴ってしまった。
「今の音は何ですか」
「それは、その、おなかが……」
「お腹が?」
お腹が減ってます、食べ物をくださいと言うのは少し厚かましくはないか。こんな森の中の孤立した拠点である。しかも壊れているのだ。アルターさんだって大変な状況だというのにこれ以上甘えていいものか……
「腹痛ですか?」
「いやちがっ」
だが、正直なところ今一番何が辛いかと言えば空腹と喉の渇きなのだ。ぶっちゃけ、アルターさんに最も期待している部分はそこなのである。食べ物をもらうためにここまでついて来たと言ってもいい。
もうここまで来たのなら恥を忍んで頼んでみよう。もし断られたらスッパリ諦めればいい。
「もうここ数日、何も食べてなくて……どうかお願いします。食べ物を分けてください!」
平身低頭で頼み込む。このサバイバル生活で、人間が独力で食べ物を獲得することがいかに難しいか身にしみてわかった。三食何不自由なく食事ができる日本と、ここはちがうのだ。食べ物の価値は重い。ゆえにそれを要求することの意味もまた重い。
「そうだったのですか」
アルターさんは予想外のことを言われたような顔で目をパチクリさせている。今まで表情を変えることがなかっただけにその変化は強調されて見えた。そんなに変なことを言ったつもりはなかったが……
「空腹状態、ということですか? それは重度のものですか?」
「はい、結構減ってます……」
「確か食物を摂取することで治療できるのでしたね」
なんだろうこの会話。異世界特有のカルチャーショック?
まるで医師から問診を受けているかのような応答である。
「今まで空腹を感じたことがなかったので気が回りませんでした」
「い、今まで? え、おなか減ったことないんですか?」
「はい」
空腹を感じないくらいの飽食環境だったというわけではなく、食べ物自体を食べたことがないらしい。異世界人すげえ。それともアルターさんがすごいのか。でも空腹という概念自体はあるんだよな。
「空腹にならないのは一般的なことなんですか? ご家族の方も?」
「母上は種族柄、飲食を必要とはしていませんでした」
「人間ではないので?」
「はい。母上はユリバスという種族です」
ユリバス……聞いたことないな。異世界だから獣人とかファンタジーな種族がいても不思議ではない。ユリバスもそのたぐいなのだろうか。
「レズビアンに目覚めたサキュバスをそう呼ぶそうです」
異世界は広い……まさかそんな種族が確立されているなんて。
「母上は世界中を探してもユリバスという種族は自分一人を除いて該当する存在はいないと言っていました」
「でしょうね!」
それただのレズのサキュバスじゃん。サキュバスでいいじゃん。
「それじゃあアルターさんもサキュバスなんですか?」
「いえ、私は人間、だそうです」
少し言い淀んだアルターさん。あまり深く聞かない方がいいことだったのかもしれない。
かいつまんで話してくれたが、なんでも物心ついたときからこの森で暮らし、外に出たことはないらしい。自分の両親以外の人に会ったこともないのだとか。森の原住民といった感じでもないし、何か事情があるのだろうが詮索はしなかった。
それはそれとして、ここで重大な問題が発覚する。
アルターさんもその親も、食べ物を必要とする機会がなかったのだ。どういう体の構造をしているのか謎だが、重要なのはそこではない。
食事がいらないということは食べ物を調達する必要もない。すなわち、アルターさんの家に食料はないのではないか。
「一応、備蓄はあります。母上が嗜好用として酒とその肴を保管していたはずです」
木の実や豆、干し肉などの保存食がわずかながらあるらしい。
なんという僥倖。やっとまともな物が食べられる。胃が催促するようにデュンデュン鳴っている。
アルターさんは食料を全て譲ってくれるという。ありがたい、地獄に仏だ。今は一文無しなので対価を支払うこともできないが、この恩はいずれ必ず返そう。
そして、家の奥へと入っていったアルターさんが戻ってきた。その手には何も持たれていない。
……一抹の不安がよぎる。
「すみません、食料ですが……先ほど侵入していた魔物の群れに食べ尽くされたのか、残っていませんでした」
「Gいいいいいぃぃぃぃっ!!」
俺は泣いた。Gに対する怒りと悲しみにくれた。
既に食べ物を受け入れる体勢が整っていた胃袋は打ちひしがれた。まさに上げて落すこの絶望感。期待していただけに落胆も大きかった。
せめて水だけでもないかと聞くと、家の裏手に井戸があるとのことだった。すっかり気力をなくしてコンニャクみたいにおぼつかない足取りになった俺は、アルターさんに肩を貸されて井戸まで連れていかれるのだった。




