アンリミテッド
俺は階段を上った。
恐らくはそこが最上階。
廊下は短く、すぐ目の前に扉があった。
そこを通ると更に扉があり、抜けるとまた扉があった。
重厚な扉を強引に押し開けると、視界が広がる。
そこは今までの部屋と違い、窓があった。
正確にはバルコニーのような形で、外が見えている。
飛竜達の姿は見えない。
この高度までは飛ばないようだ。
正面には、まっすぐ絨毯が伸びており、その先には巨大なカーテンがあった。
天蓋だろうか。何枚も重なっており、奥が見えない。
あそこに竜神がいるのだろうか。
それとも名も知らないもう一体の竜将がいるのか。
『気をつけなさい』
わかってると、胸中で呟くと、俺は慎重に進んだ。
カーテンを捲る。
その先に見えた光景に俺は息を飲んだ。
「人間の代表者。ようこそ、竜神城へ」
そこにいたのは、老人だった。
一方の男性の老人は目を伏せ、玉座に座っている。
やせぎすで、骨と皮しかない。生きているのかどうかもわからない。
だが確かに人間のように見えた。
もう一方の老人は女性。
彼女は無表情で男性の隣の椅子に座っている。
彼女が話しかけてきたことは間違いなかった。
そして彼女は竜族だった。
明らかにかなりの高齢で、隣の老人と同じくらいの年齢だろう。
だが人種は違う。
それはわかった。
一体と一人の周囲には薄い膜があった。
あれは、結界だろうか。
「あんたは……?」
「バリア。竜将の一体。竜神を守るもの」
「じゃあ、そっちの人が」
「ええ、竜神です」
何も反応はない。
死んでいるのではないかと思ってしまうくらいに、動かない。
「生きてますよ。話したりはできませんが」
何か事情がありそうだ。
だが、俺には関係のない話。
相手がどんな見た目だろうと、殺して、人類を救わなければならないんだから。
俺は剣で結界に触れた。
強烈な電撃が走り、弾かれる。
「無駄です。その結界は破壊できません」
「やってみなければわからない」
俺は大剣を巨大化させた。
そのまま振り下ろす。
まばゆいばかりの電撃が周囲に生まれるだけで、大剣は結界を壊すことはなかった。
そして、巨大な剣はまた弾かれる。
これだけの力があっても、壊せないのか。
どうする。
他に力はないが。
しかし、時間がない。
どうにかしないといけない。
「この結界をなくせ、って言っても無理か」
「そうしたいところですが、無理です」
予想に反した答えに、俺は戸惑いを覚える。
時間はないが、今の俺には対処方法がない。
少しは状況を知るべきか。
そう思い、俺は口を開く。
「どういう意味だ?」
「理性的ですね。よかった。話を聞いていただけますか?」
「早くしてくれ。時間稼ぎだと思えば、他の方法をとる」
「わかりました。ではまずこの結界に関して。これは私の意志ではなくせません。
ですが造り出したのは私です。
自分の寿命を使って作った結界なので、私自身でもどうしようもできないし、破壊できない」
「方法は?」
「ありません。神であれば別でしょうが、人間にも竜族にも壊せないでしょう」
『嘘は言ってないと思うわ。彼女には悪意がまったくないもの』
「よかったな。神様のお墨付きをもらったぞ」
「一対の神の落とし子ですか……。彼女も抗いましたが、竜神に力を奪われました。
正確には奪ってしまった、という表現が正しいでしょうが……。
我々の歴史を語りましょう。ですが時間がない。あなたに直接、情報を送ります。
受け取って頂けますか?」
俺は逡巡した。
しかし時間がないのは間違いないし、ミスカがバリアには悪意がないと言った。
『ミスカがいるから大丈夫よ。力はないけれど、ミスカの存在があんたを守る』
俺はミスカを信じる。
彼女はこの世界を救いたいと感じているはずだから。
「……わかった」
「ありがとうございます。では」
バリアが手をかざすと、俺の視界が白で埋め尽くされた。
一気に記憶が駆け巡る。
まるで走馬灯のように。
そしてすべての情報が頭に刻み込まれた。
●□●□
二体の男女の神は世界を作った。
緑を青を、あらゆる生物や物質を生み出し、育んだ。
やがて知性を持つ生物が生まれた。
それが人間と亜人、そして竜人。
それぞれが違う特徴を持っていた。
人間と亜人は反発し、竜人は漫然と過ごしていた。
人間は知性を得、道具を生み出し、亜人は独自の文化を生み出した。
しかし竜人は変わらずに生きていた。
そんな中、女性の神は竜人の中に危険な闇があることに気づき、グリュシュナ大陸から追放しようとした。
それを男の神は止めた。しかし女性の神はそれを強行する。
竜人は、巨大な外海を超えて、何もない外陸に住むことになる。
グリュシュナに比べ、荒涼とした土地で、竜人は神や人間、亜人への憎しみを強くし、やがて知性を持つ。
食料も少なく、住むには厳しい環境だったが、竜人は適応し、繁殖し始める。
男神が竜人のことを気にかけ、手助けをしていたおかげだ。
女神はそんな男神の行動を諌めた。
あの者達は危険だと。
それでも滅ぼさなかったのは女神なりの憐れみだったが、それは間違いだった。
そして男神が竜人に同情したことも、間違いの一歩だった。
きっかけは女神の行動だったが、竜人が人間や亜人と共存できるはずはなかった。
今は問題なくとも、いずれ軋轢を生み、蹂躙することは女神の目には見えていたのだ。
だが男神はそれがわからなかった。
外陸に住む竜人達の進化を促し、やがて人と同じように道具を使うようになる。
竜人は男神を崇めた。
その時にはもう、竜神と呼ばれていた。
しかし厳しい環境で、生きるのも限界があり、やがて食料は枯渇し、竜人全体に、正体不明の疫病が流行る。
このままでは竜人が絶滅する。
そう思った竜神は己の力を使い、竜人を更に強い種へと進化させてしまう。
竜神の力がなければ竜人達はすぐに死ぬ。
それがわかった竜神は、己の力を竜人達へ与え続けることにした。
だが、そのせいで徐々に身体が弱り、まともに動けなくなる。
その状態を危惧した竜人達は、結界能力を持つバリアに、結界を張るように指示する。
彼女の結界は外部の、多くの悪影響を及ぼすものを遮断する。
その力を使い、彼女は竜神の世話をすることになった。
その時は、まだ若かった竜神。
バリアが、穏やかで竜人の未来を憂いている彼に恋心を抱くには、時間がかからなかった。
やがて竜神は衰え、年老いてしまう。
このままでは竜人全体へ力を供給している竜神が死んでしまう。
そうなっては外陸では生きていけない。
だから竜人達は、内陸を侵攻することにした。
もともと、その作戦は何度も出てきていた。
竜人達はずっと人間や亜人を、女神を恨んでいたのだ。
そして竜人達はできるだけ竜神を生きながらえさせるために、強力な結界を作り、強制的に竜神を生かすようにバリアへ言った。
その時、竜神は死の間際で、内陸を侵攻する竜人達の行動を憂いていた。
女神の言うとおり、竜人達は危険な種族だったのかと。
自分の行動は間違っていたのかと。
それとも最初から竜人を内陸に残しておけば、こんなことにはならなかったのだろうかと。
それをバリアだけには話していた。
しかし彼女もまた竜人。
この話をした時、バリアは悲しげに、悔しげにすることしかできない。
それを理解した竜神はその話を一度しかしなかった。
バリアは竜神を慕っていた。
だから、竜神が苦しむ姿を見て、竜人である自分の存在が彼を悩ませているのではないかと思うこともあった。
人間は竜人を迫害した。
正確にはその女神が。
でも、バリアにとってはそんなことはどうでもよかった。
ただ竜神が笑顔を見せてくれるだけで幸せだった。
それなのに彼は老人になり、今にも死にそうになっている。
そんな中で、強力な結界を張れという指示を受けた。
そうすれば、死という最悪な呪いだけを跳ね除け、竜神は生き続けられる。
永遠ではないが、バリアが死ぬ時までは、その状況は保てる。
バリアは迷った。このまま竜神を死なせてあげた方がいいのか。
それとも自分が寿命を使ってでも、彼を生かすべきなのか。
まるで物のように生かすことが彼にとって幸せであるはずがない。
でも。
バリアは自分の寿命を費やして、結界を作った。
若かった彼女は情動的に、ただ竜神と共に生きたいと望んでしまった。
結果。
何もできず、ただ力が尽きるまで待つことしかできなくなった。
女神とも戦った。
しかし竜神の力を注がれた竜将と大量の竜軍によって女神は敗れる。
彼女と竜神はもともと一体だった。
そのため、彼女の力は竜神へと注がれ、より竜神の力は強くなる。
その上、女神の落とし子である、現神の力もまた竜神へ注がれた。
必然、竜人達は力を増してしまう。
けれど竜神自体の寿命は延びることはなかった。
竜人達が人間を滅ぼす中、ようやくバリアは自分の行動が間違いであったと気づいた。
もしも外陸にいる間に、竜神が死ねば竜人達は滅んでいただろう。
そうすれば、人間は無事だった。
自分も死んでいただろう。
でも、その方が幸せだった。
だって。
今の竜神はとても悲しそうにしているから。
●□●□
目を開けると、そこにはバリアと竜神が見えた。
『……そんなことがあったのね。知らなかったわ』
ミスカも知らなかったらしい。
女神とはあの神様のことだろう。
そして男神は目の前にいる竜神のこと。
すべては繋がっている、ということか。
しかし思ったよりもミスカの反応が薄い。
ミスカの親のような女神が殺された原因が目の前にいるのに。
『確かにそうね。でも直接手を下したのは……竜将だもの。
それにミスカは復讐のためにここにいるんじゃない。
神様との約束を守るためにここにいるの。世界を救いたいって思っているから』
――そうか。
俺はミスカに何も言わない。
彼女の心の葛藤は俺にはわからないし、知る必要もない。
俺は、俺のすべきことをするだけだ。
「事情はわかった」
「そうですか……しかし、どうしようもありません。
この結界が破壊されるのはまだ数年先。私にはどうしようもありませんので」
「もし、この結界が破壊されたらあんたと竜神は死ぬのか?」
「ええ。ですが、私はそれが望みです。もう……彼の悲しむ顔を見たくはないのです」
竜神を見ると、無表情だった。
だが、確かに何か悲しんでいるようにも見える。
彼は、竜族……いや竜人にただ幸せになって欲しかっただけなのだろう。
だから助けた。人間と争わせるためじゃない。
それを竜人達は理解できなかった。
しかし彼等にも他に方法がなかったのかもしれない。
それでも竜族達の横暴を許すつもりは毛頭ない。
女神が竜人を外陸に追放しなければ、或いは男神が竜人に手助けしなければ。
こんな未来はなかったのだろうか。
俺にはわからない。
過去の選択が、正しかったのかなんてわかるはずがない。
だから、俺は今できることをするだけだ。
「あんた達が死ねば、竜人達の侵攻は止まるか?」
「彼が……竜神が死ねば、今まで与えた力はすべてなくなるでしょう。
あくまで一方的に与えたものですし、竜人達が受けていた加護ですから。
進化は消え、力も消失する。外陸に行く前の状態、力も知恵もないただの竜人に戻ります。
そして力の反動で大半は死滅すると思います。
本来は結界がなくなるまでに、死なない環境を整えるつもりだったようなので」
『竜神が死ねば、ミスカに力が戻るし、残りの竜族も絶滅させられるわ。
もちろん、あんたもあっちの世界に帰せる。でも結界を壊すのは難しいわね……』
双方とも、結界を壊すことが目的ということだ。
バリアの心中を図るつもりはない。
彼女は敵で、相容れぬ存在だ。
だが、今は利害が一致している。
スキルはない。
ドラゴンイーターの改型も変化はない。
ミスカには力がない。
バリアにも結界を破壊する力がない。
打つ手はない。
今のところは。
「……やるしかないか」
『何をする気?』
「打つ手がないなら、作るしかない」
『それってどういう』
俺の能力はどんなものか。
裏異世界ではただ得た力を使っていた。
しかしその能力が生まれたのは、俺の元の能力あっての物だろう。
想像と創造の力。
今まで何度も試した。
けれど変化はなかった。
だが、それ以外に方法は浮かばない。
数々の戦いを生き抜き、力を蓄え、ここまで来た俺ならばできるはずだ。
俺は目を閉じ、意識を集中する。
できる。
必ず。
突破しろ。
今の限界を。
思い出せ。あの力を。
神さえも殺したあの力を。
力の奔流を感じろ。
何もかもを破壊する、あの力を。
心の底で何かの光が見える。
それに向かって必死に手を伸ばす。
だが届かない。
ダメだ。
どうしても手が伸ばせない。
そう思った時、頭の中でミスカの声とは違う誰かの声が聞こえた。
莉依ちゃん、結城さん、ニース、ディーネ、ミーティア、マルティス国王、テオバルト陛下、ウルク将軍……辺見、剣崎さん、沼田、アーガイル、ディッツ、ハミル、ラカ、そして出会ったすべての人達。
みんなの声が聞こえた。
そしてみんなが俺の手を押し上げてくれる。
その光に。
手が届いた。
▼改型
・限界突破型【攻撃力:S 防御力:S 速度:S 特殊:アンリミテッド】
…最強で、すべてを超越する大剣。
ただしその力は長持ちせず、一度変形すれば、やがて力を失う。
その力の前には何者の抗えない。神でさえも。
手に握られていたのはただの大剣。
まばゆく光る、それを俺は掲げる。
『な、なにその力は!?』
ただただ綺麗だと思った。
その剣は何物も砕く。
すべての力を集約した剣だった。
「壊すぞ。いいな?」
俺はバリアに言った。
彼女は驚きから、何度も瞬きをしていたが、やがて隣の竜神を見た。
慈しむような視線。
その姿は、俺の知っている竜人とは全く違う。
ただの女性だった。
「ええ、お願いします」
柔らかい笑みを返してきたバリア。
俺は一息に大剣を振り下ろす。
結界は一切の抵抗なく。
パリンと割れた。
薄いガラスのように破片が飛び散り、虚空で霧散する。
その瞬間、バリアと竜神の身体は光に包まれた。
涙を流し、竜神に寄り添うバリア。
「ああ……これで一緒に……本当に一緒に……」
消える瞬間。
確かに、竜神の目にも涙が浮かんでいた。
二人の姿が消える。
これで終わったらしい。
そして、目の前にミスカが姿を現した。
身体が明滅している。
「やったわ! 力が戻ってる! これで顕現も可能だし、竜族を滅ぼせる!
人類を救えるのよ! クサカベ! 聞いてる? クサカベ……?」
俺は大剣を手放す。
と、剣は役目を終えて、砕け散った。
そして俺は地面に倒れた。
同時に、部屋の扉が開かれた。
そこから見えたのは莉依ちゃん達だった。
ああ、よかった。
みんな無事だったんだな。
「日下部さん!」
慌てて、駆け寄ってくるみんな。
俺は何もできず、ただ漫然と地面に横たわっている。
視界が歪む。
それはそうか。
だって。
限界突破型に必要なものを使ってしまったからな。
▽必要人魂【己の魂】
賭けではあった。
魂を使ってすぐに死んでしまったら意味がないから。
でも徐々に力を失う型だったからか、俺は少しだけ生きていられた。
だから結界を壊せた。
よかった。
本当に。
でもラスクはどうなった?
人類は?
竜人は?
「……竜族は退化して、死んでいってる。もう大丈夫よ」
ミスカが言うと、俺は安堵から力を抜いた。
よかった。
本当によかった。
もう声を出すのも辛かったから。
ミスカが俺の考えを読み取ってくれて助かった。
ありがとう。ミスカ。
ミスカは俺を一瞥すると、険しい顔つきになった。
莉依ちゃんは大粒の涙を流し、俺に抱き着いている。
彼女は何度も俺に治療を施してくれていた。
でも、ごめん。
その力は効かないんだ。
結城さんやディーネも同じように俺にしがみつき、ニースは離れて唇を噛んでいた。
後ろには、隊員達の姿があった。
ああ、みんな生きてたんだな。
「み、みんな無事ですよ……日下部さん……」
そうか。そうか。
だったらいいか。
ここで死んでも。
みんなを救えたんだから。
みんなごめんな。
でも、大丈夫。
これでもう危機は去るから。
今、目の前にいる莉依ちゃん。
悲しませてごめん。
想いに応えられなくてごめん。
死ぬ姿を見せてごめん。
俺の帰りを待っているだろう、莉依ちゃん。
表異世界の、俺の愛しい人。
ごめん。
待たせて、心配かけて、寂しい思いをさせて、ごめん。
ごめん、俺死ぬみたいだ。
最後に。
会いたかったな。
さようなら。
みんな。
莉依ちゃん。
みんな、幸せになってくれ。